グレゴリー・クラーク
多摩大学名誉学長 国際コンサルタント
財政再建? 魅力に欠けた意見だ
日本の株式市場は、安倍晋三首相が彼自身の経済刺激計画を発表する前から、すでに上向きに転じていた。そのために、新政権の対策によって株高が一段と進行した結果を受けて、さすがにいつも聞かされる刺激政策批判も口を閉ざすかと思われた。
ところがさにあらず。例のごとき不平不満–お札を増刷すれば、公的債務が増え、ばら撒き(無駄)が増える、うんぬん–がすでにわれわれの耳に届いている。建設的なコメントといえども、魅力に欠ける
さらなる量的緩和と日銀のインフレ・ターゲット2%へ引上げを求めている安倍首相の呼びかけを、多くの市場関係者、ビジネスパーソンは支持している。とはいえ、日本の大半の人は、現在の公的債務の水準からみて、政府支出の大幅増は避けるべきだと考えている。ところがこうした支出は、この国の経済が必死で求めている需要を生み出すために、是非とも必要なものだ。
たとえば、インフレ・ターゲット政策をとってみよう。目標を定めても、そもそもインフレを引き起こす需要がなければ話しにならない。金融緩和も同じこと。日銀は好きなだけ資金を放出してもよい。だが、たとえ金利がゼロでも、その金を使うべき生産的投資を促す需要がなければ、結局は貯蓄に回ることになる。
その需要はどうしたら作れるのか。
経済活性化は、成長という結果があってこそ
構造改革、規制緩和、あるいは新技術や発明を開発するというのが日本のいつものやり方だ。小泉時代には、構造改革、規制緩和は山ほどあった。だがその主な結果は? デフレーション、アメリカや中国からの輸入需要の盛り上がりが下降に転じた後の長引く不況、そして公的債務200兆円拡大、というものだった。
新技術や発明が経済全体を動かす力になるという期待は根強い。前原誠司前内閣府特命担当大臣が、IPS細胞の研究で知られる京都大学の山中伸弥教授がノーベル生理学・医学賞を獲得したことに「日本の経済に刺激を与えるだろう」と言ったのを聞いて私は、日本の誰もが成長のためのきっかけを求めようと藁(わら)にもすがりたい思いなのだと知った。
原因と結果を区別することが苦手なのは日本の慢性病だ。経済が動き出してはじめて、このような期待を背負う成長要因が力を発揮できるのだ。そして、経済を動き出させるのは唯一つの要因–つまり需要の劇的な拡大だ。人口減少を考えれば、その劇的拡大は次の二つのルートから来る– 対外的には円安を通じて、また国内的には公的支出の拡大によって。
安倍の出現に続いて円が急に円安に転じたことからわかるように、その外国からの後押しでさえ、内需拡大のために日本で何か手が打たれるだろうとの期待から来る部分が大きい。
「信用の妖精」が政府を縛る過ち
公的債務に話を戻そう。需要の創出のために財政支出を増やせば、短期的にはたしかにそれは拡大する。しかしケインズ派なら誰でも言うように、ひとたび経済が動き始めれば、新しい投資チャンスを活用しようとタンスや貯金箱の蓋が開かれ、公的需要はまもなく民間需要に取って代わられることになる。税収が拡大すれば、はじめの公的債務の拡大は帳消しに向かう。
日本は長いこと、いまヨーロッパを、そして一時期はアメリカを襲った緊縮財政病の犠牲者だった。どういうわけか、正気のまじめな政策担当者やエコノミストが、政府支出を削減することで景気後退に落ち込んだ経済を再生させることができると信じ込んでしまった。そうすることが将来に対する信用を高め、民間消費と投資を促すというのである、しかし、自分の目の前で信用と民間消費がともに落ち込み続けているにもかかわらず。アメリカのエコノミスト、ポール・クルーグマンはそれを「コンフィデンス・フェアリー(信用の妖精)」と呼んだ。
日本ではとくに、政府が公共事業に資金を投入するときに生じる無駄とか、公的債務の拡大には感情的抵抗が強いようだ。だが1929年に始まったアメリカの大恐慌は、第二次世界大戦の支出があって始めて終息したのである。他国に出かけて他国民を爆撃するのは、自国で道路や橋を作るよりはるかに無駄である。いずれにしろ、それは、経済に資金を流入させた。そして経済が元気になったために、増大した負債をカバーするのに必要な貯えも増大した。
ケインズ派のエコノミスト、ロバート・スキデルスキーは、IMFと英予算当局が常々緊縮財政によるマイナスの相乗効果を過小評価していた責任を指摘している。どちらも教科書的エコノミストの影響下にあり、後者はコンフィデンス・フェアリーにも取り付かれていた、と。
彼らの計算では、公的支出1ドル削減に対して経済縮小はわずか60セント– 相乗効果は0.6– としていた。今になって、苦い経験を経てようやく、相乗効果はその倍あるいはそれ以上であったと認めている。長らく緊縮財政病の根城だったIMFでさえ、いまチーフ・エコノミストとして、ヨーロッパの緊縮財政への移行はひどい誤りだったと認める人物を配した。ケインズ派エコノミストなら最初からそう教えてくれたはずだ。
日本ではこれまで、ケインズ派エコノミストも、相乗効果という概念も、まれな存在だった。実際、経済紙「日本経済新聞」は、以前「ケインズ流の思想は時代遅れ」と言っていた。幸い日本には、その後、私が右派的ケインズ派と呼ぶ人々– 日本が軍事勢力として国際的な地位を獲得するために欠かせない日本経済の再生には、大きな財政的プッシュが必要と認めたエコノミストたち– が出現した。そのメンバーの一部は安倍首相に近い人々だ。
「何が何でも」というマジックワードを肝に銘じてほしい
彼らの最も強力な武器の一つは、日本のここ30年間の政府支出と税収の関係を示すグラフである。
1980年代末のバブル経済期までは政府支出と税収はずっと緊密に連動して上昇を続けた。つまり支出は、無駄も多かったとはいえ、それを支えるための税収を生んでいた。
その後、橋本、小泉政権の緊縮政策へ移行、そして経済は低迷期に落ち込む。減るはずだった政府支出はそのまま変わらず。経済がさらに不況に沈み込むのを防ぐためには支出は下げるわけにはいかなかった。その間に税収は徐々に下降し、財政赤字は膨張した。
つまり、支出を切り詰めようとすればするほど、負債は増える。人間の他の活動分野ならこの教訓ははっきり目に見えたはずだ。自分がどんどん深みに落ちる穴を掘るのはやめよう、ということ。日本はこうしたことを悟るのに少々時間がかかりすぎているようだ。
たしかに、過去20年、効果の短命な景気刺激策はあれこれ登場した。しかし沈滞した経済を離陸させるというのは容易ではない。日銀の金融緩和と政府支出拡大は、あまりに短く、及び腰で、財政タカ派からの攻撃に対して弱かった。成功するためには、刺激政策は強力で長続きするものでなければならない。つまり、「財政ビッグバン(大爆発)」が必要である。
欧米のエコノミストの幾人かも述べているように、いまついにアメリカとヨーロッパが前に進み始めたとすれば、それは、金を使い、金を貸そうという決断を強めた公的介入によって、財政タカ派や中央銀行の保守派が駆逐されたからである。ベン・バーナンキ米連邦準備制度理事会議長の言葉によれば、「何が何でも」やるという約束をしてはじめて、いま緊急に必要な民間投資の再起を促せる信用を獲得することが可能になる。
安倍がこのマジック・ワードを肝に銘じ、「何が何でも」やることを期待したい。
(アゴラ編集部より)グレゴリー・クラーク氏は、オーストラリアの外交官、国際コンサルタント、評論家、多摩大学での教育者など多彩な活動をしてきた知日派の著名な評論家。(個人ホームページ)