島田裕巳さんの書評を読んで、私も同じような疑問を感じたのでちょっとコメント。
本書は私に贈ってきたが、内容が下らないので無視した。ここで「ブラック企業」として著者が指弾しているような実態は、日本の会社にはどこでもあるからだ。自慢じゃないが、私も「NC9」のスタッフだったころは、毎月100時間以上の残業はざらだったが、時間外は50時間しか認められなかったので、半分はサービス残業だった。NHKもブラック企業なのだ。
それでも日本のサラリーマンが辛抱するのは、年功序列でノンワーキング・リッチになって元をとれるという夢があるからだ。こういうインセンティブ構造は、経済学ではよくわかっており、拙著でも日本的雇用慣行について次のように書いた。
所有権アプローチの想定する近代の企業は奴隷制の禁止という制約のもとで個人間の契約によって指揮命令系統を作り出す制度であり,この個人の独立性にともなう交渉問題が非効率性の原因であった.しかし退出障壁によって労働者の外部オプションを強く制約すれば,彼女は入社時の雇用契約によって人的資本を事実上売り渡すことになり,会社が労働者を全面的に支配する「最善」の状態が実現できる.日本型組織の効率性は,このように労働者の独立の人格としての交渉力を奪って会社のコントロールのもとにおく制度的な装置に依存しているのである.(p.142)
つまり日本のサラリーマンは、長期的関係という「見えない鎖」でつながれた奴隷なのだが、その代わりメンバーシップによるレントを得られるため、辛抱している。しかし最近では年功序列も崩れ始め、長期雇用も保証されなくなった。そして本書もいうように「ブラック企業」は日本的雇用慣行のブラックな部分だけとり、身分保証しない「いいとこどり」をしている。
この分析は正しいが、処方箋が間違っている。本書はブラック企業をなくすために行政が規制しろとか労働組合ががんばれとか提言しているが、これは見当違いである。長期的関係による事実上の奴隷制は日本の企業システムの本質であり、その一部だけ直すことはできないのだ。必要なのは、資本の論理によって長期的関係を断ち切る「レジーム・チェンジ」であり、ミクロ的にいえば多様な働き方を可能にする労働政策だ。
そのためには、正社員こそ正しい雇用形態で非正社員を正社員に「登用」することが正義だと考えている現在の労働政策を180度変え、企業ではなく個人を守るセーフティ・ネットの組み替えが必要だ。その意味で、日本経済を活性化する鍵は厚生労働省が握っている。