誰がユニクロを「ブラック企業」にさせたのか --- 島田 裕巳

アゴラ

今話題になっている今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書)という本を読んだ。ここで言われる「ブラック企業」とは、違法とも言える労働条件で社員を働かせ、ついていけない者については、巧妙に会社から追い出す企業のことをさしている。

私がこの本に興味をもったのは、拙著『7大企業を動かす宗教哲学』(角川oneテーマ21)で取り上げたユニクロが、ブラック企業の代表として取り上げられているからである(『ブラック企業』のなかで、ユニクロ=ファーストリテイリングの実名はあげられていないが、衣料品販売のX社は明らかにユニクロをさしている)。


たしかに、そうした企業に就職し、過酷な労働条件のもとで酷使され、体を病んだり、精神的に追い込まれていく若者たちが跡を絶たないことは事実なのであろう。

しかし、『ブラック企業』を読んでいて引っかかったのは、そこで取り上げられている企業が、要らなくなった社員を追い出すために、異常なほどの労力をかけている点である。執行役員が、何時間も社員を追い出すためにカウンセリングを行って、それで仕事になるのだろうか。

この本で欠けているのは、ブラック企業がいったいいかなる形で経営を成り立たせているのか、その全体像が描かれていないことである。ブラック企業はみな成長産業とされているのだから、利益を上げるためのノウハウが確立されているはずだ。『ブラック企業』を読んでいると、どの企業も、ひたすら入ったばかりの社員をいじめ、追い出すことに躍起になっているようにしか見えない。

そもそもユニクロというものを、一般の企業と同列に見ていいものなのだろうか。それは、ワタミなどについても言える。ユニクロにも本社があり、そこは一般の企業と同じ仕組みで動いていることだろうが、企業活動の中心はあくまで店舗にあり、求められているのは、その店舗を運営できる人間である。

ユニクロでは、入社してから最短半年で店長になれるとされている。実際に、その期間で店長になれる人間はわずかだが、トップの柳井正が言うように、店長こそがユニクロの主役であり、社員の最終目標なのである。

入社して半年と言えば、その人間はまだ22、3歳である。それだけ若い人間が、店長となって、一軒の店を運営し、利益を出し、しかもアルバイトなどを指導するということは、恐ろしく難しいことである。よほどそうした才能に恵まれている、つまりはたぐいまれなる経営能力をもった若者でないと、その年齢で店長が勤まるとは思えない。

『7大企業を動かす宗教哲学』でも詳しく分析したが、柳井は、ユニクロを立ち上げるためにすべてをつぎ込んだ自分の姿を店長たちに投影している。ユニクロの店長になるということは、洋品店を経営する上で必要なことをすべて経験した柳井と同じ能力を身につけるということを意味する。

もちろん、そんな若者がたくさんユニクロに入ってくるわけではない。それに近い能力をもつ人間だって、滅多に入社してはこないだろう。むしろ、そうした能力をもつ人間なら、ユニクロに入社するのではなく、自分で起業するはずだ。

逆に、育った家が自営業であるとか、店を経営しているとかではなく、ただのサラリーマン家庭に育ち、しかも、入社する前に何らかの組織を運営した経験をもたない人間であったとしたら、とてもユニクロの店長は勤まらない。そうした人間は、店長になっても、効率的に動くことができず、ただただ長時間働き、心身ともに病んでいくしかないだろう。

今野は、ブラック企業に入ってしまったときには、徹底的に戦うことをすすめ、その際には、戦略的思考をとることが不可欠であるとしている。だが、戦略的思考がとれるくらいなら、その人間は、経営能力を発揮し、ブラック企業のなかでも十分に生き抜いていけるはずである。

ユニクロの服は誰でもが買える。しかし、誰もがユニクロで働けるわけではない。ユニクロで働けるのは、若くても経営能力をもち、店長として十分に店舗運営ができる人間だけである。そうでない人間が、ユニクロの店長になれば、そこには地獄が待っている。

一時、ユニクロのトップの座には、柳井に代わって、旭硝子と日本IBMで働いていた玉塚元一がついていた。その経歴からすれば、玉塚はエリートサラリーマンである。一般の企業なら、そうした人間でも、あるいはそうした人間こそがトップにふさわしいが、ユニクロでは、むしろ店を経営する自営業主のような経営者の方がふさわしいのである。

ユニクロに入社するのなら、ユニクロがどういうシステムの会社なのかをしっかりと把握することである。その上で自分の適性を考え、自分には店舗を運営する経営能力があると判断すれば、入社し、ないと判断すれば、入社を避けるべきだ。重要なことは、ユニクロは、店長になるためのノウハウを教えてくれる企業ではない点だ。

ブラック企業をなくしていくためには、ブラック企業とされる個々の企業のシステムがどのようになっているのか、それを明らかにしていくことが不可欠である。不思議なことに、『ブラック企業』では、その点の提言はない。現在の労使関係を根本から見直せという提言は、事態の緊急性の割りに、実現性に乏しい。

一つの企業に入れば、まだまだ定年まで働くという人間はいるし、長期にそこで働いた方がメリットが多い。就職が一生のことなら、「自己分析」という形で自分のことを分析するよりも、就職先の企業を分析することである。大学が就職支援を行うなら、そうした企業分析の方法を教えるべきである。今の企業分析は、その会社の業績や将来性に傾きすぎているように思われる。

島田裕巳
宗教学者、作家、NPO法人「葬送の自由をすすめる会」会長
島田裕巳公式HP