「学術的」……橋下はん、あんたが言うたらアカンがな --- ヨハネス 山城

アゴラ

「まあ、学者だから仕方ないか。何一つ実行しない人だから」
「学者さんが陥るのは、問題提起された新しい制度についての批判点だけを挙げる。現実の政治・行政で重要なのは、現在の制度と新しい制度のどちらが良いのかという比較である」

いずれも、橋下市長はんの過去のツイッターでの発言や。学者の端くれを自認するワシとしては耳の痛い話や。確かに、ちょっとした問題点を引っ張り出してきて、グチャグチャと大議論をするのは、学者の性(さが)。大学教授の飯の種かも知れん。


只でさえ忙しい現実の政治に、こういうヒマな議論を持ち込むまんといてくれと、政治や行政の人が、言いたくなるのも頷ける話や。そやけど、その橋下はん、ここへ来て、妙なことを言い出さはった。

「侵略に学術的な定義がないのは首相が言う通りだ」

普段の橋下はんなら「学術がナンボのもんじゃい」と言いそうなもんやけど、侵略に関しては、いきなりの定義論かい。いくらなんでもそれはアカンやろ。考えてみてくれ、侵略に関する議論は、マキャベリの昔から(もっと古いかも知れんが)、嫌というほど、されてきている。未だに確定した定義がないのやから、今後、それができる可能性は皆無や。

そやから「学問的な定義」が無いうちは、侵略に関してまともな議論ができんというなら、侵略の話は「何一つ実行」できんようになる。こういう甘えた手合が、国際政治の場で通用する訳がないがな。

学問的な定義がはっきりせん以上、現場でものを言うのは、常識論と「契約」や。近代日本がアジア大陸でやったことをどう評価するか、という話、まず常識論からしてみよう。

「他国の領土に軍隊を進めて、武力を行使したらそれは侵略」。このさい是非善悪は一旦置くとして、これ以上、説得力のある「侵略の定義」はないやろ。

そやから、日清戦争以来、旧日本軍がやったことは、どう理屈をこねてみても「侵略」以外の評価のしようがない。念のために言うておくと「自国を守るために仕方なかった」とか「大東亜共栄圏」のため、という議論は別のところでしたらええ。正当防衛的な侵略やら、よりよい世界を作るための侵略、ということは十分にあり得るが、侵略自体を否定するような無茶な議論をしだすと、正当な主張まで説得力がなくなってしまうで。

次に「契約」の方や。有名な話やが、1951年のサンフランシスコ講和会議で、日本政府は東京裁判の諸判決を受諾している。「判決は受け入れたけど、裁判自体は受け入れてない」てなことを最近になって言い出すお方があるようやけど、これは屁理屈や。

判決というものには、主文の他に判決理由にあたる部分が必ずあるはずやから、主文だけ受け入れるてなケッタイな主張ができるはずない。そして、そこには、旧日本軍がいかに侵略的であったか事細かに書いてあり、われわれはそれを認めたわけや。

第一「判決の結果は守るけど、あんたらの主張を認めたわけやないで」てなことを、サンフランシスコでわが国の全権が言い出していたら、独立が10年以上延期になっていたやろ。下手すりゃ、米国の50番ぐらいの州にされていたかも知れん。

つまり、良くも悪くも、現在の国際社会での我が国の地位は、戦前の旧日本軍の大陸での軍事行動を(ついでに言えば真珠湾での軍事行動も)、侵略と認めたことの上に成り立っているというわけや。これをひっくり返す気なら、サンフランシスコ条約破棄を主張せん限り筋が通らん。もちろん、そうなったら安保も消滅、国連からも脱退や。

そこまでの覚悟もないのに、侵略に関してブチブチ言うのは、かなり見苦しい行為やと思う。総理や大阪市長の発言に対する韓国メディアの口ぶりが、激怒というより嘲笑の色彩を帯びているのは、ホンマに情けない話やで。

もちろん、過去の条約や常識論を絶対視せなアカンという訳やないで。旧日本軍の軍事行動の中で「侵略ではない部分」や、「正当な侵略」と言える部分を洗い出し、国際社会にアピールしていくことは、我々日本人の権利やし、戦没者に対する道徳的な義務やろ。ただし、これをやるのは、それこそ学術的な議論で、学者の仕事や。実際、頑張ってる先生方かていてはるがな。

大学教員や研究者が「何一つ実行」していないわけやないちゅうこと、橋下はんには、認めてはもらえんもんかのう。

ヨハネス 山城
通りがかりのサイエンティスト