麻生財務相が、「国の借金は日銀がお札を刷って返せばいい」と公言したそうだ。これは冗談のつもりだろうが、270兆円のお札を印刷すると宣言している黒田日銀がこれに協力して国債を引き受ければ、ハイパーインフレを起こすのは容易である。
こういう悪い冗談を財務相がいっても大した問題にならないのは、「まじめな日本人がまさか…」という信頼があるからだろう。しかし金融技術やITの発達で、かつては100年に1度ぐらいしか起こらなかったテールリスクが、10年おきぐらいに発生するfat tailになってきた。これがタレブのいうfragilityである。
グローバル資本主義が急速に拡大するほど、テールリスクはますます大きくなるが、他方ではこのボラティリティを利用したイノベーションも容易になる。ここで勝つか負けるかを決めるのは、ペイオフの非対称性をいかに利用するかである。
この種の問題は経済学でもエージェンシー問題として70年代に流行したが、問題が情報の非対称性に矮小化されたため、条件つき最大化問題の応用に終わってしまった。政治経済学で問題になるのは、特定の利益集団がレントを得てコストを納税者に広く薄く負担させる負担の非対称性である。金融規制で問題になるのは、事前には過剰なリスクテイクを規制しても、巨大銀行が破綻したらbail outすることが事後的には合理的になるという時間の非対称性である。
これは契約理論のような技術的な問題ではなく、普遍的なパラドックスだ。人類の歴史の大部分では動物を殺し、自然を破壊して人間が利益を得る非対称性が生存の基礎だった。しかし人間どうしで殺し合うと集団が滅亡するので、同じ集団のメンバーは殺さないで助け合う強い互酬性という対称的な感情が、すべての人に埋め込まれている。
しかしこのような恥のメカニズムは、大きな集団ではうまく機能しない。不特定多数の集まる社会では、何らかの意味での非対称性が避けられないので、テールリスクを取って短期的な利益を得るモラルハザードが合理的になってしまう。これを防ぐために(事後的には)非合理的な処罰を行なう法律ができたが、それも国境を超えると逃れることができる。
麻生氏や黒田氏のようにリスクを取ることは、場合によっては「決断する政治家」として必要である。ユニクロやソフトバンクのように、決断した経営者が責任もすべて負うなら、リスクテイクは望ましい。しかしハイパーインフレになったとき、麻生氏が賠償できないのだから、政府はテールリスクを取ってはいけないのだ。