最近、これほど驚いた話を聞いたことがない。東欧の国ブルガリアでは「神が亡くなったら、聖ニコラスが後継者になる」という言い伝えがあるというのだ。「神が亡くなったら」というフレーズは非常に突飛な発想だ。そして「神の後継者に聖ニコラスが選ばれれる」という部分になると、もうビックリするだけだ。
ちなみに、聖ニコラスは西暦271年、ギリシャ南部パートレで生まれ、現トルコ南部ミュラで成長し、イズミルの司教となった人物だ。6世紀に聖人に列している。12月6日は「聖ニコラスの日」だ。巷では、サンタクロースと呼ばれ、子供たちに愛されている。
多分、クリスマスシーズン用の小話として伝わってきたものだろう。聖ニコラスはクリスマスに子供たちにプレゼントを配る使命を担う聖人だ。神が何かの原因で亡くなった場合、そのサンタクロースの聖ニコラスが神の王座に就くというのだ。
この小話がブルガリアで伝わっているのは理解できる。聖ニコラスは現在のトルコ領土で成長し、その地で司教となったからだ。そしてブルガリアには昔から今日まで多数のトルコ系住民が住んできた。ブルガリアの最大少数民族だ。だから、その国で聖ニコラスの「神の後継者」説が生まれたのだろう。はっきりしているのは、聖ニコラスは人々から愛された聖人だったということだ。
クリスマス・シーズンに入るとチャールズ・ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」の映画がテレビで放映される。イエスが12月25日生まれではないことは誰でも知っているが、クリスマス・シーズンに「イエスの誕生日ではない」と主張する者は野暮なことをいう奴だとして嫌われる。そんなことはどうでもいいのだ。2000年前に生まれた人物の誕生日など誰も正確には分からない。
ここでもう一度、ブルガリアの言い伝えに戻る。神は亡くなるだろうか。全知全能の神が亡くなることは通常考えられない。昔、哲学者が「神は死んだ」と叫び、注目された。哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900年)だ。しかし、彼の場合、文学的な表現に過ぎなかったのではないか。。ニーチェにしても資本論の著者カール・マルクス(1818~1883年)にしてもその出自は神を信じていたからだ(ニーチェの父親はルター派牧師、マルクスの父親はユダヤ教ラビだった)。だから、彼らの「神の死」は当時の既成の信仰の死だったのではないか。キリスト教会の実態に失望し、教会と共に神も死んだと考えたのだろう。すなわち、「あの神ではダメだ」といった類の考えではないだろうか。
ここまで書いたのでついでに「神の後継者」についても少し考えてみた。神は唯一絶対の存在とすれば、その死もその後継者問題も本来はテーマとはならない。しかし、興味深いことは、旧約聖書の創世記3章2節に「見よ、人はわれわれのひとりのようになり……」と複数形で表現されている箇所があることだ。多くの神学者は神の「三位一体」を表現したものと解釈しているが、神が人間を含む万物世界を創造する前、創造の手助けのために天使を創造していることから、神とその天使たちを含んで「われわれ」と複数で表現したと受け取る学者もいる。後者の場合、神に何かが生じた時、天使が万物世界に対してその支配権を主張する可能性が考えられる。そうなれば、「神の後継者」問題は決して妄想ではなくなるわけだ。そういえば、イエスは堕落した天使を「この世の神」(「コリント人への第2の手紙」4章4節)と呼んでいるのだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年12月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。