靖国参拝を8割が支持しているというネット世論調査が話題を呼んでいるが、ネット世論なんてそんなものだ。イラク戦争の開戦のときは、正式の世論調査でも8割が賛成だった。真珠湾攻撃のとき世論調査をやったら、99%が賛成しただろう。
ナショナリズムはそういう魔力をもっているので、メディアにとって戦争は最高のキラーコンテンツである。上の図は昭和初期の新聞の部数の推移だが、満州事変や日華事変(日中戦争)など、戦争のとき大きく伸びた(太平洋戦争のときは紙が配給制になったので落ちた)。
今は朝日も毎日も「平和主義」なので過ちは繰り返さない、と思っている人が多いだろうが、大きな間違いである。1920年代にも新聞は反軍だったのだ。佐々木隆氏によると、1930年のロンドン軍縮条約で日本の若槻全権大使が軍縮案を受諾して帰国したとき、新聞はそろって「全権帰朝に際し今回の如く盛に歓迎せられる事蓋し稀有なるべし」と軍縮を歓迎した。
しかしその批准の過程では、論調がわかれ始めた。大阪朝日や読売は軍縮派だったが、東京日日(毎日の前身)は徐々に海軍寄りに立場を変えた。翌年、満州事変が始まると、各社は多くの特派員を派遣して号外を出し、戦争報道を競った。東京朝日も主筆の緒方竹虎の指導のもと「事変容認・満蒙独立」に舵を切り、最後まで残った大阪朝日も反軍派が処分されて容認派に転向した。
このとき東京朝日の主導権を握ったのは、緒方や笠信太郎などの革新派だった。これは岸信介などの革新官僚と連携して日本を国家社会主義にしようとする人々で、彼らが満州国や日中戦争の中心だった。軍の中でも、東條英機を初めとする統制派は計画経済を志向しており、緒方はのちに閣僚にもなって戦時体制に協力した。
だから平時に新聞が反軍的なのは普通である。反政府的な論調のほうが人気があるからだ。そして戦争が始まるとナショナリズム一色になるのも普通だ。あのNYタイムズでさえ、「イラクは大量破壊兵器をもっている」という「スクープ」を飛ばして、開戦に賛成の論陣を張った(のちに誤報と判明)。
朝日新聞は敗戦の翌日から「平和主義」に転向したが、それは戦争に賛成したとき何の信念もなかったからだ。今の反原発も反秘密保護法も、彼らの「平時モード」としては普通だが、何の論理的根拠もないので、「有事」になったらコロッと変わるだろう。特に緒方や笠のような「リベラル」が危ない。それは(国家)社会主義の別名だからである。