「愛国主義とは祖国を愛することである。国粋主義とはその他を嫌悪することである。」(Le patriotisme, c’est aimer son pays. Le nationalisme, c’est d���tester celui des autres.) シャルル・ド・ゴール
私が真の「愛国心」に裏打ちされていない、ひ弱で卑屈な「民族主義」者や「国粋主義」者が大キライな理由は、彼らの価値観が世にもズボラでナマケモノな理論に依拠しているからです。
ただ、
「日本人である」
というだけで、他に優れている、優れているはずだ、という集団幻想に酔っている様は、バカバカしいのを通り過ぎて、いささかウス気味悪いとは思いませんか。
さすがに、あちらさんが有人宇宙ロケットを飛ばしたあたりから見かけることが少なくなりましたが、
「日本には、中国には到底まねのできない、もの作り技術がある」
などという論調を聞くたびに、真珠湾に奇襲攻撃をくらうまで、
「日本人は、みんな近視だから飛行機操縦ができない」
とうそぶいていたアメリカ人の傲慢と、なんら変わることがないじゃないかと、腹立たしい思いをしていたものです。
それが、追い上げられ、追い抜かれ、相手の背中が見えたとたんに、「引きこもり」。
「国がよくならなければ、オレたちが何やったって...」
と、 一見、至極ごもっともな主張のように聞こえる責任転嫁。お気持ちは察しますが、なにか違うような気がします。
400年以上昔に、
「人は城、人は石垣、人は掘」
と喝破したのは、武田信玄ですが、21世紀の日本人の一部の人たちは、石垣が立派になれば、自分たちも立派になれると信じているのでしょうか。優秀な国だから、国民が優秀なのではなく、優秀な国民がいるから国が優秀なのだ、ということは、平成の日本人にとって自明の理ではないのでしょうか。
「日本」という殻に閉じこもり、「日本人である」という自己アイデンティティーの確認だけで、こと足りている人々から真のリーダーは生まれないでしょう。また内向的な集団としての「日本人」から生まれてくるものは、決して「愛国心」ではありません。そこに生まれるのは「みんなでやろうぜ」という内輪の仲間意識と、その裏返しとなる「村八分」という自民党的集団論理と、「このムラ社会のどこかにオレたちをダシにして甘い汁を吸っているやつがいるに違いない」という、民主党的「妬み」と「偽善」に基づいた悪平等主義です。
「第二の開国」などとおっしゃっておられる向きもおられるようですが、日本という国、ひいては日本人という民族は、産業革命以降は、半永久的に外向きに、「世界」で勝負しなければならない宿命にあるのです。そして「世界」に出て、他民族とサシで勝負しなければならない状況下でこそ、真の愛国心が生まれてくると、私は信じています。
私は日本の大学の1年生を終えた時点、19歳の春に海外留学に出て以来、通算でかれこれ人生の半分近くを海外で過ごしている計算になります。おかげで、同世代の日本人とは、人生やキャリアのテンポが全くかみ合っておらず、自他を比較した場合、もの考え方や価値観も相当ズレていることを、自ら認めないわけにはいきません。
しかし、幸いにも、あるマンガで有名な東京都葛飾区の某所という、極めてローカル色の色濃い場所を故郷とし、「帰国子女」などというグループとも縁遠い、地元の中小企業経営者の家族に育ったため、いわゆる「国際人」などという、かなりコッパズカシイ、意味不明なレッテルに逃れるという、安易な道をとることもできませんでした。
「内輪の論理」と「仲間意識」を超えたところにあるはずの、普遍的な「日本人」としての自己/アイデンティティーとはなんなのかしらん。留学中の私は、孤独感に襲われるたびに(たいていは失恋後...などというと、お隣の柴又出身のあのお方になっちまいますが)ガラにもなく一人ポツネンと考えておりました。
その頃知ったのが、角倉素庵(すみのくら・そあん)さんです。正確に申しますと、白石一郎さんという作家の方がお書きになった「海のサムライたち」(*1)という本があります。この本に紹介されている、安土桃山から江戸初期にかけて、朱印船貿易に従事した長崎の船主、荒木宗太郎さん(実在の人物)という方のお話があり、その中で白石氏が、この荒木宗太郎なる人物を主人公にした小説を書いたとき、船員への訓示のセリフのネタを、同時代人の角倉素庵さんの「舟中規約」からいただいた、という話を読んだのです。
角倉素庵さんは、京都の商人。一流の文化人でもあり、本阿弥光悦、俵屋宗達と共に、「嵯峨本」とよばれる活字本の出版事業に携わっています。商人としての事業においては、朱印船貿易のほかに、河川運河の治水・開削を行うなどの功績をあげています。
角倉家は秀吉、そして家康から、インドシナ半島、現在のベトナムを相手にした朱印船貿易を認可されていました。こうした貿易船に乗り組む日本人船員たちへの訓示として、素庵は当時の一流儒者であった藤原惺窩(この人は、「愛国心」ということに関しては大きなミソをつけた人ですが)の協力を得て、「舟中規約」という次のような小文を草させていました。
一つ、交易とは人と己を利するもの。人を欺いて己を利するものではない。
二つ、異国は我が国と言語風俗が異なる。しかし天賦の理は同じでないわけはない。同じであることを忘れ、異なるところのみをみて怪しんではならない。
(中略)
五つ、陽気を忘れるな。異国では別して陽気暮らしをせよ。楽しげに日々を送れば、異国の人々をも楽しい心持にする。(この最後は白石さんの創作ですが、個人的に好きなので、そのまま転載します。オリジナルの抄訳は以下に。)
私はこの文章に触れた時、
「昔の人も、他民族との交流という舞台において、『日本人』とはどうあるべきか、と悩んでいたんだな~」
と、深い感銘を覚えました。
忘れてはならない歴史的背景は、秀吉が朱印船貿易を制度化するに至った理由です。天正16年(1588年)、秀吉は海賊禁止令を発布しています。ようするに、それまで東アジアから東南アジアにかけて活躍していた「日本人」は、勇敢で、クソ度胸だけは掃いて捨てるほどある「好漢」ではあっても、教養と品性においてはいささか劣る、倭冦、ようするに海賊の兄イたちだったわけです。
天下人、関白秀吉の認可の下に、交易商として海外に雄飛した角倉家や荒木家の人たちは、どうすれば自分たちが「日本人」として恥ずかしくないよう振る舞えるか、真剣に考えていたのですね。
ここに見いだせるのは、素庵や彼の同時代人たちが、他民族との交流に際して自覚していた、日本人としての強烈な矜持、プライドです。
残念ながら、素庵たちの時代を最後として、日本は鎖国に向かいますが、この「舟中規約」の精神は、その後も他民族とサシで向かい合わなければならなかった日本人たちに受け継がれているように思えます。
一漂流者としてエカテリーナ女帝に謁見しても臆することがなかった大黒屋光太夫。一商人の身でありながら「ゴローニン事件」において日露外交問題を解決した高田屋嘉兵衛。伊豆代官として「マリナー号事件」に際して国際法を引いて解決した江川太郎左衛門。そして、いささか牽強付会ではありますが、この精神は土佐高知城下にあって、全国的な商いを行っていた才谷屋の次男坊、龍馬くんにも受け継がれていたのかもしれません。
真の「愛国心」とは、内輪のなれ合いから生じる不文律への隷従ではなく、他民族との切磋琢磨の中に見えてくる自らのプライドに根ざしたものなのです。そして日本人としてのアイデンティティーとは、こうしたプライドを共有できる、志を同じくした人々の間に芽生えてくるべきものではないでしょうか。
「愛国心」を確認する為に、「日本人」としての自分を証明する為に、みなさんも「世界」に自分という人間をぶつけてみてはいかがでしょう。
例えばレースで勝つことにあくまでもこだわった本田宗一郎さんのように。
*1
「舟中規約」
第一 貿易の本義
「凡そ回易之事は、有無を通して人と己を利する也。人を損して己を益するに非ず。利を共にするは小なりと雖も還って大也。利を共にせさるは大なりと雖も還って小也。謂う所の利は、義之嘉会也。貪は之を五とし、廉は之を三とすと。思う焉。」
そもそも貿易の事業は,有無相通じることによって、他にも己にも利益をもたらすものである。他に損失を与えることによって、己の利益を図るためのものではない。ともに利益を受けるならば、その利は僅かであっても、得るところは大きい。利益をともにすることがなければ、利は大きいようであっても、得るところは小さいのだ。ここにいう利とは、道義と一体のものである。だからいうではないか。貪欲な商人か五つのものを求めるとき、清廉な商人は三つのもので満足すると。よくよく考えよ。
第二
「異域之我国に於ける、風俗言語異なると雖も、其の天賦之理、未だ嘗て同じからざるなし。其の同じきを忘れ、其の異なるを怪しみ、少しも詐欺慢罵すること莫れ。彼且つ之を知らずと雖も我豈之を知らざらん哉。信は豚魚に及び、機は海�貎を見る。惟うに天は偽欺を容れず。我か国俗を辱むる可からず。若し他に仁人君子に見れば、則ち父師の如く之を敬い、以て其の国の禁諱を問い、而て其の国之風教に従え。」
異国とわが国とを比べれば、その風俗や言語は異なっているが、天より授かった人間の本性においては、なんの相違もないのである。おたがいの共通するところを忘れて、相違したところをふしぎがり、あざむいたり、あざけったりすることは、いささかもしてはならない。たとえ先方がその道理を知らずにいようとも、こちらはそれを知らずにいてよいものであろうか。人のまごころはイルカにも通じ、心ないカモメさえもひとのたくらみを察する。天は人のいつわりを許したまわぬであろう。心ないふるまいによって、わが国の恥辱をさらしてはならない。
もし他国において、仁徳にすぐれた人と出会ったならば、これを父か師のように敬って、その国のしきたりを学び、その他の習慣に従うようにせよ。
第三
人間はすへて兄弟であり、ひとしく愛情を注くべき存在てあるから、苦労を ともにし、助け合わなければならない。
第四
人の物欲は限りかない、酒や色情が人を溺れさすことは恐ろしい、真の危険な場所とは寝室や飲食の席てある。同行者同士は、このことをよく戒めあって誤りを正していかなければならない。
第五
些細なことは、別の文書に記す。これを日夜座右の鏡とせよ。