「誰でも納得いく理屈」 - 書評 - 数量的な見方考え方

小飼 弾

版元の仮説社竹内様より献本御礼。

折角の良書なのだが、Amazonで扱っていないので書影と書名のリンクは版元.comにした。奥付には「2010年5月10日 初版発行 (2300部)」とあるが、初版が少ないためそうなっているのだろうか。著者のリンクの方はAmazonのまま。これだけ多くの著作があるのになんともったいない。

数学者でない人が、なぜ、そしてどのように数学と接したらいいのか考えるのに最適の一冊。日本の学校ではなにを学び、そして何を学び損ねているのか、本書を通して知ってほしい。

本書「数量的な見方考え方」は、和算の頃から現代に至るまでの日本における数学教育を振り返った上で、著者独自の数学授業を提案した一冊。江戸時代の数学教育書ベストセラー、各章の冒頭の塵劫記のイラストが楽しい。

目次

1.概数の哲学――本当の数とウソの数,タテマエの数とおよその数,役立つ数
2.算数教育を考える
3.大学の入学試験と〈浪人〉
4.古代以来,〈日本人の成人の総数〉と〈読み書きできる人の総数〉
5.二宮尊徳と数学――数学というもの,グラフというものの役立ちかた
6.日本(中国・朝鮮)におけるゼロの概念とその記号の歴史――「無」に関する大風呂敷的な教育談義
7.2種類あった江戸時代の円周率??〈3.14〉と〈3.16〉のなぞ
8.科学と数学
9.遠山さんと私??水道方式と仮説実験授業
10.授業書案《勾配と角度》
11.授業書案《図形と角度》
あとがき
板倉聖宣「数量的な見方考え方・数学教育」論文著作一覧

しかし江戸時代の数学、というより同時代人の数学の見方に対して、著者は厳しい批判を加えている。それは数理を通して人々が互いを説得しようという意思の欠如。彼らにとって数学は絵馬に奉納するほど美しく、寺子屋で学ぶほど役に立つものではあったけれども、著者に言わせれば「人々を完全に納得させよう」と一生懸命になったことはついになかった。

その実例として、江戸時代には円周率が二種類あったことを著者は指摘する。3.14と3.16。後者は√10から来たものだが、どうしてそうなったのかはぜひ本書で確認していただきたい。ゼロがなかったことは「和算で数に強くなる!」を読んで知っていたが、こちらは知らなかった。

そして現在。「人々を完全に納得させる」ための道具、そう、ことばとしての数学を、我々の社会は子弟にきちんと教えているだろうか。

私はかつてこう書いた事がある。

404 Blog Not Found:努めて強いて何を学ぶ?

私は義務教育は「ことば」を教えるだけでいいと思う

しかし算数+数学はおろか、国語ですらそうなっていないことは「非論理的な人のための論理的文章の書き方入門」を読めばわかる。著者が本書を著した次第である。

それでは日本人に数量的な見方考え方が出来ないかと言えば、今も昔もそんなことはない。本書に登場する二宮尊徳の数量グラフは実にみごとなものだ。しかし当時も今も、コミュニケーションの道具として数量的な見方考え方を学校で教わることはあまりない。

実績はとにかく言葉としては「サイエンス・コミュニケーション」は日本でも根付いた。「マス・コミュニケーション」(Math Communication)はどうだろうか。Mass Communicationとかぶり過ぎだろうか…

Dan the “Math Communicator”

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