英語の早期教育を進めるべきだ - 小田切尚登

アゴラ編集部

良く知られたジョークにこういうのがあります。

「いくつもの言葉を話せる人を何と呼びますか?」
「ポリグロット(多言語使用者)です」
「では一ヶ国語しかしゃべれない人を何と言いますか?」
「??????」
「アメリカン(笑)」

母国語が英語でかつ世界最強の国家に住んでいるアメリカ人。彼らが外国語を習得しようというインセンティブを持ちにくいのも当然です。しかし、もうひとつの「アメリカン」である日本人にはそんな言い訳は通用しません。英語がますます「世界語」としての地位を確立しつつある今、何とかしないと取り残される恐れがあります。そこで早期教育によって日本人の英語力を向上させるべき、というのが私の意見です。


しかし、日本ではそれに反対する意見が意外に根強いのです。以下、英語の早期教育に否定的な代表的な三つの意見と、それに対する私の反論を書いてみます。

1)外国語を早い時期、例えば小学生時代から学ぶと、言語能力に悪影響が出る。

早期の外国語の習得が言語能力に悪影響を与えるかどうか。これについては、実際の例をみて判断すべきだと思います。例えばシンガポール。シンガポールでは共通語としての英語と母国語(中国語、マレー語、タミール語)の二ヶ国語の習得が義務付けられています。それを達成するために二カ国教育は幼稚園からスタートします。典型的には、自宅では母国語、学校では英語、ということになりますが、実際には三ヶ国語以上習得する人も多いです。

シンガポール人の英語力の素晴らしさは多くの人が実感していると思います。IEA Progress in International Reading Literacy Studyというテストは各国の十歳児の英語の読解力を比較・検討したものですが、ここでもシンガポールの子供は英語を母国語にする国々の子供におとらぬ素晴らしい成績をあげています。

問題は、国民全員をバイリンガルに育て上げようとするこのような教育が、同国民の言語力に悪影響を与えているかどうか、ということです。私に彼らの中国語等の能力は判断できませんが、母国語として家庭で常にしゃべり、学校でもバッチリ勉強するのですから、十分な力があるとみて良いのではないでしょうか。むしろ、全く出自の異なる複数の言語に幼少期からふれることで、言語のみならず他の学習にもプラスになっている、と考えるのが普通でしょう。

2)外国語が下手でも日本人は立派にやってきたし、やっていける。

日本は「ものづくり大国」と呼ばれてきました。日本のメーカーには「匠の技」があり、良いものを作っていれば黙っていても海外から製品を買いに来る、と言えるような状況にありました。それはそれで素晴らしいことであり、「外国語なんていらない」という発想が生まれるのも無理がない面があります。しかし「黙って良いものを作ってさえいればよい」という時代は、残念ながら終わりました。昨今、海外市場でビジネスを展開して成功するには、それぞれの市場で法律、会計、税金、政治・・・など様々な点に関して確実に対応する必要があります。そういうことがモノづくり自体にも劣らず重要なことになっています。そして、それに必要なインフラは「英語」です。「日本企業」でも外人をトップに迎えた日産やソニーはもちろん、楽天やユニクロなどでも英語を社内共通語にする動きが進んでいますが、それも当然と言えます。

3)英語が必要なのは日本国民の一部だけなので、それ以外の一般人は英語を習う必要がない。

日本はいわゆる「愚民思想」とは無縁の国でした。江戸時代には全国に15,000もの寺子屋があり、身分や男女の別なく「読み書きそろばん」をならっていました。寺子屋の中心科目は論語をはじめとする漢文(中国語)の読解でした。おかげで江戸時代から明治時代にかけて書店には当たり前のように中国語の書籍が並んでいましたし、ちょっと心得がある人でしたら興が乗れば漢詩の一つや二つをさらっと書いたものです。これがヨーロッパ人でしたら「鎖国時代に、庶民に中国語で朱子学を教えても意味がない、武士などのエリートだけが勉強すれば良い」と考えるところでしょう。しかし我が国では「ヤクザの親分や農民までもが漢文を学んだ」のです(「漢文の素養」加藤徹著より)。このことが日本の経済・文化の発展に大いに寄与したことは疑いないところです。

我々にとっての英語習得の有効性は江戸時代の漢文とは比べ物にならないほど高いです。インターネットの情報の九割が英語で書かれているため、英語が読めれば、仕事や学業をはじめ、およそありとあらゆる事柄について世界の最先端の情報を得ることができます。こんな便利な道具をエリートだけのものにするのは間違っていると思います。

ともあれ、今の英語教育で問題ないと思っている人はほとんどいないと思います。早期教育がダメ、という方々、ではどういう英語教育が良いのか。ぜひそこを教えて頂きたい。

(小田切尚登)

コメント

  1. celtic_tiger より:

    谷井と申します。英語教育は今のままでいいと思います。
    因みに私はそこそこ英語ができます。また小学生と幼稚園児の子供がいます。
    最初、子供に英語の早期教育をしようと思っていましたが、1.どうせ中途半端な英語力(完全な英語力とは英語の古文を理解し、文化もマスターしていること)しかできないのなら、中学以降で学べばいいと思いました。しょせん、ネイティブでないし、英語を使うといっても中国人や欧州人など、けっこう私程度の英語しかできないものだし・・・。まあ、こんな程度でいいんじゃない。と思うからです。2.それより(古文を含む)日本語をマスターした方がクールだし。漢文(中国語古文)、古文はかなりイケてますよ。こんなに良い環境にすんでいるのだから英語勉強するより日本語をマスターした方が絶対にクールですよ!3.どうしても必要ならば英語を学ぶし誰でもできますよ。運転免許と同じ。外人英語で世界中通じるから難しく考えなくてOK。努力は必要ですけどね。

  2. masaka120 より:

    今の中学・高校で行う英語教育を単純に小学校で行うように前倒ししても、英語が話せるようにはならないのではないですか?
    まずは、発音の練習すら行わない、読み書きのみに特化した今の英語教育を改めることが先かとおもいます。
    他にも問題は多いので、まずは問題点を洗い出し、それから解決法の策定をすべきなのでは。
    ただ、今の英語教育は受験用なので、問題点の解決には受験を変える必要があるかもしれず、そのためには大学受験の先にあるもの(企業の新卒採用)にも手をつけなくてはいけないかもしれませんね。なかなか大変そうです。

  3. bobbob1978 より:

    Vision自体は仰る通りだと思いますが、問題はコストですね。何しろ早期英語教育用の英語教師を育てる点から始めなければなりません。
    もうひとつの問題は勉強するためのモチベーションです。「こんな便利な道具をエリートだけのものにするのは間違っている」のは確かですが、英語を勉強することがリターンに結びつかなければほとんどの人は勉強などしないでしょう。
    ビジネスなどのリターン目的以外のモチベーションは、音楽などのコンテンツを理解するためというものがあると思います。私の母親やその友人などはThe BeatlesやQueenの音楽を聴くために英語を勉強したそうです。しかし、昨今は漫画にしろ音楽にしろ日本語のコンテンツが溢れているため、エンターテイメントなどのコンテンツのために英語を学ぶというモチベーションも低くなっています。逆に日本のコンテンツを知りたいが故に日本語を学ぶ外国人が多数いるくらいです。

    シンガポールの例が挙げられていますが、彼の国でエリート以外も英語を学ぶのは、中国語マレー語タミール語のコンテンツが日本と比べて少ないという理由もあるのではないかと思います。

    以上のことから考えると日本で早期英語教育を根付かせるためには「英語を学ぶモチベーションが低い子供達も英語を学ぶのが楽しくなってしまうような教育が出来る英語教師」を育成する必要があるでしょう。これはかなりハードルが高いことのように思われます。

  4. nodagiri より:

    コメントありがとうございます。

    celtic_tigerさん
    今の教育システムのなかで「そこそこ英語が使える」ようになるのは大変です。多くの日本人が「たかが英語学習」のために二十代の大事な時期に多大な努力と時間を費やしている、というのが現状です。小さい時に学習すれば、もっとずっと楽に会得できるでしょうに。

    masama120さん
    「読み書きに特化」ということで、読み書きだけでも本当にできるようになれば全然良いのですが・・・。受験については、東大入試の英語の設問が変われば、状況は一気に変わると思いますよ。「日本だけは無理」という発想から脱出したいですね。

    bobbob1978
    おっしゃることはわかります。が、大半の子供は数学だって理科だって、社会だって・・・いやいや勉強しているのでして(苦笑)。「どういうリターンがあるか見えない」ものを学ばせるのも学校の役割ですよね。

    小田切尚登

  5. dj_roppyz より:

    話すようになるのは、小中学からでもOKです。
    発音は残念ながら、幼少からでないとできません。
    音ができていないアジア人は、欧米では一人前扱いされません。

  6. この世界に異質な者同士の共存,あるいは切磋琢磨こそが本質的に重要なのです。地球の言語が徐々に英語化されて,ホモジーニアスな言語が世界を席巻してしまうと,文化全体が地球規模で均質化してしまい,後は力や物量の差だけが優劣を決める次元の低いつまらない世界が訪れるでしょう。世界中が皆,同じようなことで笑い,同じようなことで泣く。同じような正義感,美的感覚…その同調は危険ですらあります。一方だけに偏って乗ると地球という船が傾いて沈没するようにです。日本は世界でも個性のある人類でも貴重な,文化の1つの極に成り得る国だと思います。それに人間は基本的に1つの言語でモノを考えるようにできているのです。それがデフォルトです。そしてその言語が1つの国や文化を作り出しているのです。日本の存在意義は,欧米にない文化や考え方や感性が存在する事です。日本の建物で,ベルサイユを模した迎賓館と,清水寺とどちらが貴重でしょう。また,1つの言語は座標軸で言えば原点であり,絶対音感のようなものです。他の言語は原点からの隔たりによってはじめて違いが認識されるのです。その座標軸が曖昧では,違いも不明瞭となります。影と光があってからこそ物事は明瞭に見えるのです。英語は外国語として意識的に学ぶのが良いと思います。

  7. zanpano77 より:

    日本における早期英語教育は、遊技感覚で英語のリズムや発音に慣れる程度に留めるべきです。それ以上を早期英語教育に求めても時間の無駄に終わります。

    万一英語ネイティブ級の教師を大量に確保し、かなり良い学習環境が構築して、早期英語教育を強行した場合、日本語と英語のどちらも満足に使えないなど、子供たちの言語能力に問題を残すことが実証され始めています。幼少期から二つの言語を母語として同時習得できる環境がない限り、バイリンガルにはなれないということです。

    日本で日英両言語を母語として同時習得できるような環境とは、英語ネイティブと日本語ネイティブの両親がいる場合などに限られます。学校で週に数時間英語に触れるというような環境は、とても同時習得環境とは言えません。日本はシンガポールとは全く異なる、日本語天国環境だからです。

    外国語を習得することは、スポーツや音楽などと同じで、知識獲得と技能訓練の両面があります。日本の中高6年間の学校英語教育は、明らかに座学による知識獲得に偏っていますが、意外とその内容は高度です。聴く・話すが苦手な日本人が、難解な英語論文を読みこなす事ができるのもこのためです。

    従って、日本語天国の日本において、また俄には変え難い英語教育システムの現状を考えたとき、理想的な英語習得方法は、現行の学校英語が修了し、大人の日本語をほぼ身に付けた18歳以降に、英語の技能訓練を集中的に行うことが最も合理的でしょう。学校英語がその基礎になりますから、お子さん方にも、ちゃんと勉強するようにアドバイスされる事が賢明と思います。

  8. はんてふ より:

    英語に関しては百家争鳴の様相を呈しています。
    英語に限らず、例えば高等学校まででも、
    まともに専門教育はあまねく広がっているだろうか?

    大人になって「なるほどな」と感心させられる教員、
    逆に「全くアレだったよな」と落胆させられる教員。

    英語を教えるのであれば言葉というものに
    呻吟を尽くしたような重みが教員に欲しい。
    語学は語学しか伝えられないからこその
    「言葉」です。

    英語以外にまともに専門教育、知識を伝えられないので
    あれば、単にコミュニケーションに留まるであろうと
    危惧します。
    教員が不勉強なんですよ。英語に限らず。

  9. nodagiri より:

    コメントありがとうございます。

    dj_roppyzさん
    なかなか厳しいコメントですね(笑)。実際にはテキサス人も、オーストラリア人も、スコットランド人も「発音が・・・」と言われたりします。要はいろんな英語があるということですね。ですからノン・ネイティブは堂々となまりのある言葉を話すしかないと思いますが、どうでしょう。

    jit19850726131431さん
    おっしゃるような文化的な視点は、一言で簡単にまとめられないので、ここでは以下の点だけ挙げておきますね。
    1)世界では複数言語を扱う人の方が単一言語しか使えない人より多い。
    2)一つの国が単一の言語でまとまっている例は少ない。
    3)日本の存在意義は「独自の文化や感性」にもあるが、一方で優れた科学技術や経済力にもある。

    小田切尚登

  10. pacta より:

    教育に手を入れるより、必要性を高める方が早いのではないでしょうか。英語を第二公用語にして、公務員試験の必修(高いレベルで)とすれば、みんな勝手に勉強しだすと思います。
    経済大国でいたいのであれば、いっそのこと第一公用語にして放送や公式書類は全て英語にするぐらいの方がいいかも。

  11. sudoku_smith より:

    地方文化の独自性を大事にするのは結構なことですが、だからと言って標準語を学ばなくて良いとはならないでしょう。
    今現在アメリカに住んでいますが、英語ができないことは社会的に非常に不利です。多少訛りがあってもかまいませんが、とにかくしゃべれないことには非常にプライドが傷つくほどの扱いを受けることもあります。
     ましてや、子供の将来を考えるなら、せめて英語は身につけさせないと多くのチャンスを失う可能性があります。子供の将来を考える親であればみすみすチャンスを逃しかねない事態は避けるべきと思います。大人になって「やっときゃよかった」では絶対に遅いです。子供のときにやったほうが絶対に効果的で学習が早い。
     「大人でもできる」と言う人は子供のときの数倍の努力を厭わないか、負け惜しみです。
     子供のころから勉強して、自分の英語の成績が悪いのは自己責任ですが、社会として英語はもう必要不可欠なツールです。たとえれば電話ができないのと同じようなものでしょう。英語で電話するのはつらいですよ。

  12. asoa より:

    こういった教育問題はまったくの素人ですが、素人だけに、
    今の日本の英語教育の時間が何時間で、小学校からはじめると何時間増えるのか?
    シンガポールでは何時間英語を学んでいるのか?
    日本人とシンガポール人との英語力の差はどのくらいなのか?(特に学力が上位の層)

    等、客観的に出てきそうな数字がないとなんともいえません。

  13. urizzeble より:

    >日本はいわゆる「愚民思想」とは無縁の国でした。江戸時代には全国に15,000もの寺子屋があり、身分や男女の別なく「読み書きそろばん」をならっていました。

    これは読む人に誤解を与えかねない表現です。

    「読み書きそろばん」は商家と農家のレベルだけで、小作人や使用人は教育を受けていません。

    江戸時代は総人口2000万位だったと思いますが、これを寺子屋だけでなど、到底不可能です。

    英語にしろ日本語にしろ、言語は文化であり、歴史なのですから。

  14. 暑がり屋 より:

    ブロゴスでもコメントしましたが、この期に及んでまだ英語教育に否定的なことを言う人がいるのには、びっくりを通り越して絶望的な気分になります。

    私は現在ある専門職としてシンガポールに住んでいますが、日本人とまったく区別がつかない大勢の若いシンガポーリアン達がごく普通に英語を話し、なんの苦労もなく英米豪の専門家達と細かい部分まで密接にやりとりしている姿を直に見て、ショックを受けずにはいられませんでした。知識として知っているのと、じかに現実を見るのとは大違い。
    (シンガポールは国策として英語を母国語にしています。中国語とのバイリンガルが多いが、基本的に母国語は英語で、日本との英語力の差がどうのというレベルの話ではないです)

    アジアの中心はシンガポールになりつつある、あるいは既にそうなってしまったのでは、という危機感を持たずにはいられません。日本国内の移民に対する頑ななまでの抵抗や、ヒステリックとさえ感じるほどの日本至上主義、これらの根底には英語能力の低さへの潜在的コンプレックスと、それを正当化しようとする潜在意識が働いている場合が多いんじゃないでしょうか。
    (私も英語は下手くそなので、コンプレックスはかなりあります。でも、まずはそれを直視するところから始まるのではないでしょうか)

    英語が未来永劫続く訳じゃない、なんて話は机上の空論です。既に英語が世界の標準語になっているという現実を無視して議論するのは、まったく空虚な話。もはやとっくに、形而上学的な議論ではなく戦略的な議論でなくてはならない時期です。

    日本全体での教育システムの改革がいかに難しいか、コメント欄を読んでよくわかりましたが(せめて否定的コメントが若い人からでないことを祈りたい)、せめて能力を高めたいと思う人に対してきちんとした教育を施すシステムを早急に整える必要があると思います。

  15. natgeolakeforest より:

    これが現実です。

    GDP per Capita (PPP Adjusted as per 2009 IMF data) 

    日本:$32,608
    香港:$42,748
    シンガポール:$50,523

    アジアの中で香港、シンガポールが際立って高いのは、彼らの英語力に因るところが大きいでしょう。『英語プラス専門知識』が『ハイエンドのサービス産業』の中で競争優位を発揮出来る最低条件です。

    多くの凡人は、現在と、直近の過去しか見ないようですね。今後、日本語しか出来ない人々の多くは、英語を必要としない、海外にオフショア化出来ない『ローエンドのサービス産業』で低賃金で働くしかない。コーポレート・ジャパンは海外で稼ぐ姿勢を鮮明にしています。日本人でも『英語プラス専門知識』があれば選択肢が多少は広がるかも。

    因みに、我家の公用語は英語です。子供3人は、全員、英語が第一言語。そのほうが、職業選択の幅は広がるし、人脈も世界規模で広がるし、人生が楽しくなる。勿論、祖国(日本)を愛する気持ちはありますよ。

    小田切さんの論旨は理解出来ますが、英語教育は、日本の場合、公教育という土俵に乗っかりにくいのでは?

    元日本人

  16. raphee より:

    英語の早期教育自体には賛成ですが、論拠として出した例が悪いですね。
    シンガポールは公用語が英語ですので、日常生活で英語を使うのに対し、日本では英語は完全な外国語です。この二つでは条件が全く違うので、シンガポールを早期教育の有用性の論拠としてしまうには問題があります。
    この場合、国策として英語教育に力を入れ実際に成果を出し始めている韓国などを例に出せばよかったでしょう。
    (サムスン・LGの新入社員はTOEIC平均900)

    また、早期教育に対して、日本語教育への悪影響を懸念する声もありますがそのイメージは7,80年代に移民達の学習力を測定しバイリンガルは悪だとした非常に古いデータに起因するイメージです。
    (母国語の習得もままならないまま、新たな国に順応せねばならず様々な不利が生じた)

    しかし、日本で育つ限り日本語が満足に習得出来ないという事態はほぼありえず、日本語力に英語力が上乗せされるだけです。

    早期教育が有用であるという研究データは豊富にあるし、最適な教育法も専門家達が日々研究しています。
    私達に出来るのは英語の有用性を認め、早期英語教育・英語教育改革の機運を盛り上げていく事ですしょう。

  17. bobby2009 より:

    「早期に英語を習わせると、日本語も英語も中途半端になる」
    日本の教育者の間では、そういう都市伝説があるようです。うちの妻も、昔はそういう事を言っていました。海外駐在員の子供を英語の学校へ通わせると、そういう子供がかならず発生します。理由は簡単で、勉強の嫌いの子供は、何語であれ「読み書き」が苦手になり、学校の成績は低下します。

    「英語教育はやはり英会話である」
    幼稚園では遊戯を主体とした英会話の習得を通して英語に慣れます。小学校から先は、「読書と作文」です。国内で英会話を習得しても用途が無いが、ネットは世界に繋がっているので、いくらでも用途があります。

    「ネイティブな発音で話せない英語は意味が無い」
    英語が母国語でない人にとり、英語はコミュニケーションの道具であり、話が通じれば発音は二の次で結構。インド人の英語はおもいきり訛っているが、インド人のビジネスマンは世界で活躍しています。

  18. bobby2009 より:

    日本の幼稚園や学校で英語教育するのなら、費用他意便益が高いのは、フィリピン人教師を活用する事です。米国人から見て、フィリピン人の英語は海外でもっとも「判り易い米語発音」と言われています。人件費は、フィリピンとの物価の差を考えれば、月給10数万円程度で雇用可能かと思います。(学校側で寮を用意して寮費は学校側負担がベター)

    英語教師はドメスティックな職業(海外就労できる可能性が低い)ですので、日本政府が幼稚園と学校に限定した特別ビザ枠を設ければ、彼らにとっても非常に魅力的なチャンスになり、双方にとってメリットが大きいと思われます。

  19. nodagiri より:

    多くのみなさんから真摯なコメントをいただき御礼申し上げます。皆さんのご意見を参考にして、問題をさらに掘り下げていこうと思います。

    一点だけ。寺子屋教育ですが、確かに「ほとんど全員」みたいなニュアンスで書いてしまいました。いくつかの研究をみると江戸時代の識字率は男性で40%から80%程度、女性が20%台とされているようですね。それくらいの割合が寺子屋で学んだということでしょう。謹んで訂正します。

    小田切尚登

  20. ikuside5 より:

    デーブスペクターがカタカナ英語でもいい、ってテレビで言ってたのを思い出しました。日本語と体系が違うとはいえ、幼児教育となると、たぶんほぼ同じ手法を通して行われる同じ意味での言語教育でしかないと思います。

    インターネットなどの新たなメディアが発達するというと、過去にテレビの普及でネイティブな方言が日本各地で失われたのと同じで、日本人の日本語自体がそのようなメディアの形態に応じてますます変形していくんだと思いますね。また外国語を単語レベルで移入しやすいというのは、日本語の大きな個性ですし、そのような日本語の歴史からいっても世界共通言語としての英語をしっかり日本語のレイヤーに反映させるというだけでも意味があるのかな?という気はしますね。さすがにアルファべットでないと使い物にならないとは思いますが。

  21. s_takanashi より:

    日本の英語塾で教えた経験がありますが、4歳前後の子供は言語習得が非常に早いですよ。日本語がダメになるのでは、と不安になられる方がいらっしゃるようですが、1日1時間程度教えたくらいでは、損なわれません。それは、海外長期滞在など日本語がかなり遮断された状況におかれた場合や、子供に英語のビデオばかり1日中観させて、ほとんど日本語で話しかけない場合などに起こることだと思います。「日本の古文を習う方がかっこいい」というご意見がありましたが、たとえて言えば「野球の方がかっこいいからサッカーは教えない」というのも変な話だと思うのですが……。清水寺と迎賓館のたとえもありましたが、そもそも日本の寺というのは中国文化という外国文化の影響を強く受けて建立されたわけで……。ただ、「言語習得が単なる外国人の猿真似で終わってはいけない」とは思います。自分達の文化を侵すものとしてでなく、自分達の文化を発信する手段として捉えるべきだと思います。

  22. 密偵 より:

    現状の高校英語までの教養程度、もしくは小5,6年で中1の内容を軽く教える程度の英語教育で十分だと思います。英語は基本的にそれを母国語とする人以外にとっては単なる外と接するための道具でしかありません。本格的に日常会話程度まで話すようになるまで勉強するのは個人の自由に任せるべきでしょう。教養程度の英語でもある程度はネイティブと意思疎通ははかれますし、文化に対する理解と関心を持たせることができるでしょう。ただ、その範囲の中で英会話力は重視すべきだと思います。

    私は早期英語教育より受験における英語至上主義を問題視しています。前述したように、私は英語は我々日本人にとって外と接するための道具でしかないと考えています。その道具が受験の優先順位として数学に並んで最重要視され、次いで国語、以下理科、社会と続くのが納得できないでいます。その受験英語ですら、受験後に英語力として身についてる日本人はごく一部です。英語は受験5教科のうち、最重要から切り離し、最下位に置くことで筆記テストで採点しにくい英会話力に初めて重点を置けるのではないでしょうか。受験勉強については英語の優先順位を下げることで、他の教科への力量配分をしやすくなるという利点もあります。日本人に英会話力を着けたいのならば、早期英語教育よりも受験英語に偏重した日本の教育構造を転換させる必要があると思います。英会話力も早期教育しても、後の教育で文法ばかりの英会話なしでは意味がありません。もちろん読み書きをおろそかにしろと言ってるわけではありません。ただ、どの言語も会話が基本であると言うことです。