「よろしくご指導ください」
自分と同年代くらい、三十代の若い金融庁の官僚たちを前にして、六十歳近い保険業界のベテランである出口は深々と、腰が折れんばかりに頭を下げた。横にいる僕も真似をして、頭を深々と下げた。
そろそろいいかな、と思って頭を上げてみたら、まだ出口の頭は下がっていた。慌てて、もう一度頭を下げた。
金融庁の担当者と行った初めての打ち合わせ。このとき奇異に移ったこの光景は、規制業種における、霞ヶ関の当局と、監督される業界人の関係を象徴するものだったかも知れない。
千ページの資料を手作りで
ネットライフ企画が設立されたことがニュースになると、僕たちはすぐに「金融庁の免許申請のためのコンサルティングをする」という会社から売り込みを受けた。
「金融庁に免許申請をするには、千ページを超える膨大な書類を作成しなければいけません。そこには、高度の専門性が要求されますので、御社のように小さな会社では、そのような作業はとてもできないと思われます。当社は、その作業をお手伝いさせて頂きます」
大手生命保険会社の子会社だというこの会社の担当者は、出口がかつて業界で名が知れた存在であったことは知らないらしく、大げさに売り込みをかけてきた。
「で、そのコンサルティングは、いくら費用がかかるのですか?」
怪訝な顔をして、僕が質問すると、相手は自信満々に答えた。
「現時点での見積もりは、3千万円程度でしょうか」
この回答に対して、出口は即答した。
「あいにく、当社にはそのような資金はありません。自分たちで書類作成はやりますので、お帰り下さい」
お客さんが帰ってから、僕は心配そうに質問した。
「認可申請ってそんなに大変なんですか?本当に僕たちだけで、できるんですか?」
「大丈夫だよ。ちゃんと業法を読み込んでいけば、用意しなければならない資料は全部書いてある。二人で、じっくり作っていこう。」
いつものように、出口は穏やかな口調で話した。ちょっとだけ心配な僕は、初めて手にする、分厚い「保険業法 法規集」をパラパラとめくってみた。
「相場は100億、黒字は10年以内」
「第3条1項 保険業は、内閣総理大臣の免許を受けた者でなければ、行うことができない。」
保険業法はこのように定め、保険会社を作るには内閣総理大臣の免許が必要であると定めている。証券業が登録制に移行し、新設のネット証券会社が乱立したのとは対照的に、保険は銀行と同じく、その公共性に鑑み、厳しい免許審査を必要とされていた。
現在の保険業法は、1996年に50年ぶりに大改正が行われ、制定されたものである。戦後の金融行政が「裁量行政」と非難されたことを受け、監督基準についてできるだけ明確にしようとする意図が見え隠れるする。特に、それまで曖昧だった新規の免許交付基準については、明確に定められていた。
「第4条2項 前項の免許申請書には、次に掲げる書類その他内閣府令で定める書類を添付しなければならない。
一 定款
二 事業方法書
三 普通保険約款
四 保険料及び責任準備金の算出方法書」
保険会社の基礎をなすのが、契約者と保険会社との間の権利義務関係を定めた、「普通保険約款」である。どういう場合に保険金などが支払われるか、そのために保険契約者が果たさなければならない義務は何か。生命保険という無形の商品について、会社と契約者双方の権利義務を定めるものである。
これに加えて、保険会社がどのように事業を行うかを定めた「事業方法書」、保険料などの計算方法を書いた「算出方法書」。これらと定款を加えたものが「基礎書類」と呼ばれる。そして、これらの基礎書類と、施行規則第6条4項で添付が求められている「事業計画書」が、主な提出書類となった。
免許を取得するためのプロセスは、数100ページを超える基礎書類と事業計画書を作成し、何度となく面談を重ね、審査を受けるものである。
それでは、免許の審査はどのように行われるのか?業法は、審査対象として大きく4つのポイントを明記している。
「第5条 内閣総理大臣は、第3条第1項の免許の申請があったときは、次に掲げる基準に適合するかどうかを審査しなければならない。
一 当該申請をした者(以下この項において「申請者」という。)が保険会社の業務を健全かつ効率的に遂行するに足りる財産的基礎を有し、かつ、申請者の当該業務に係わる収支の見込みが良好であること。」
まずは、保険契約者にとってもっとも大切な、財務の健全性。最低資本金は10億円と定められているが、「相場は100億円」が業界の常識とのことだった。つまり、僕らが保険会社を作るためには、100億円の資本を集めなければならないことになる。
収支の見込みについては、生保については施行規則が「10年以内の黒字」を求めているにとどまった。損害保険会社が5年以内の黒字、銀行が3年以内の黒字を要求していることと比べると、生保が構造的に収益がよくなるまでに時間がかかる、忍耐が要求されるビジネスであるということがよく分かる。
経営陣の資質、契約者保護、モラルリスク
次に、経営陣の資質。
「二 申請者が、その人的構成等に照らして、保険会社の業務を的確、公正かつ効率的に遂行することができる知識及び経験を有し、かつ、十分な社会的信用を有する者であること。」
ここはいささか主観的なように見えるが、保険会社には、人と紙とコンピューターしかない。だとすると、会社の経営者がどのような人間であることは、ある意味もっとも大切なことでもある。
しかし、出口は問題ないが、自分はどうなんだろう?この基準に照らしただけでは、知識も経験も、社会的信用も、まだ足りないように思えた。
更に、約款と事業方法書について、以下が審査基準とされていた:
「三 前条第二項第二号及び第三号に掲げる書類に記載された事項が次に掲げる基準に適合するものであること。
イ 保険契約の内容が、保険契約者、被保険者、保険金額を受け取るべき者その他の関係者(以下「保険契約者等」という。)の保護に欠けるおそれのないものであること。
ロ 保険契約の内容に関し、特定の者に対して不当な差別的取り扱いをするものでないこと。
ハ 保険契約の内容が、公の秩序又は善良の風俗を害する行為を助長し、又は誘発するおそれのないものであること。
二 保険契約者等の権利義務その他保険契約の内容が、保険契約者等にとって明確かつ平易に定められたものであること。(以下略)」
契約者保護、平等、モラルリスク防止、明確性の4つが要件とされているが、ここには生命保険契約の本質が語られている。
つまり、契約者の権利を守ることは大事だが、他方で支払基準を緩くしてしまうと、不正に保険金等を詐取しようとする人たちが増えて、生命保険という制度が成り立たなくなる。そこで、契約者保護と、モラルリスク防止のために様々な制約を設けるという、相反する要件を満たしていくことが、保険商品の設計、そして保険会社の運営のひとつの柱をなしていた。
最後に、保険料などについては、「四 ・・・算出方法が、保険数理に基づき、合理的かつ妥当なものであること」と、「保険料に関し、特定の者に対して不当な差別的取り扱いをするものでないこと。(以下略)」とされていた。ここでは、保険数理のプロの助けを借りる必要があった。
最後の免許交付は昭和9年
読めば読むほど、免許を取るのは容易でないように思えた。僕らは、保険会社を作るために必要な資金も、人材も、商品に関する知識やデータも、ITシステムも、保険数理に関するデータも、何もなかった。机の上には、ノートパソコンと、市販の書籍だけ。
だんだん不安になってきて、出口に質問をしてみた。
「出口さん、もしかして、生保の免許って取るの大変じゃないですか?」
「え?そんなに難しくないよ。外資系の日本法人、損保の子会社なんかはたくさん免許出てるから」
「でも、僕ら、外資系でも損保の子会社でもないじゃないですか」
「うん。この間、調べてみたら、最後に外資系でも損保でもない『独立系』に生保に免許が下りたのは、昭和9年の日本団体生命だったみたい」
「。。。それって、1934年だから、70年以上前じゃないですか・・・」
「大丈夫だよ。いい保険会社を作れば、絶対に、免許は下りる。」
「・・・高尾さん、ちょっとスタバにお茶しに行きませんか」
「いいわよ!私もちょうど息抜きしたいと思ってたから。あれ?どうしたの?青白い顔しちゃって」
いたずらっ子のような笑顔を浮かべる出口をオフィスに置いて、僕は仲間に加わったばかりの看板娘に声をかけて、駆け足でエレベーターを降りていった。
(つづく)
(過去のエントリー)
第一回 プロローグ
第二回 投資委員会
第三回 童顔の投資家
第四回 共鳴
第五回 看板娘と会社設立
第六回 金融庁と認可折衝開始