日本のイルカ捕食文化をドキュメンタリー映画にした「ザ・コーヴ」の上映をめぐって、上映中止騒動が持ち上がっている。私はイルカもクジラも食べないが、彼らがなぜ日本の食文化を批判するのか「ザ・コーヴ」を見て、彼らの主張に接してみたいと思っていた。しかし、上映が中止になってはどうしようもない。相手の表現が気に入らないから、表現そのものをさせないのは、どう見ても野蛮である。
日本の調査捕鯨を実力で阻止したシーシェパードの船長がいま裁判にかけられている。公判で日本の調査捕鯨の違法性を主張するらしいが、メディアは法廷で彼らが何を主張しているのか、なかなか報じてくれない。
地中海ではクロマグロ漁をグリーンピースが実力で妨害するニュースもあった。
グリーンピースのゴムボートが沈没、ケガ人も出た。マグロを取る漁民には生活がかかっている。何の権利があって妨害をするのか、腹を立てたとしても当然である。
なぜ実力行使までして漁を妨害するのか、日本人には理解しにくい。日本人の多くはクジラをうまいうまいといって食べる。食糧難だった子ども時代、学校給食で鯨肉を食べさせられた。それで蛋白源を補っていた。クジラは戦後日本の子どもを救ったといっていい。
いまはクジラを食べなくても栄養失調になるわけではない。調査といって数百頭も捕獲する必要があるのか、という議論もある。
イルカは漁業資源を食い荒らす害獣だという説もある。漁民の生活の元であるサカナを食い尽くす。漁民がイルカを浅瀬に追い込んで撲殺する映像を見たこともある。それが環境保護派から見ると野蛮に映る。欧米人だって石油が燃料として利用されるまで、鯨油を取るためにだけ世界各地で捕鯨をしていた。日本に開国を迫った大きな理由のひとつは、捕鯨船の水の補給だった。国民の蛋白源確保のために捕鯨をした日本と燃料油確保のために捕鯨をした欧米とどちらが野蛮か。
比較しても意味はない。
寿司はいまや世界中で好んで食べられるようになった。マグロも寿司の重要な食材である。シーシェパードなど環境保護派は食文化への挑戦をしているといってもいい。
人間は食べられるものは何でも食べてきた。半面、禁忌としてきた食材もある。
その社会の価値観、宗教観によって、何を食することが許され、何が保護されるべきなのかは変わる。
根本的な価値観が異なるのだから国際捕鯨委員会でも話し合いは決着がつかず、ずっと平行線をたどっている。その結末が実力行使とそれを阻止する実力行使の応酬である。科学的調査や事実に基づく冷静な議論はどこへやら。保護派、反保護派双方が相手の主張にいっさい耳を貸さない風潮こそ実は人類共通の敵である。
コメント
そもそもが、隠し撮りで作られたニセドキュメンタリーです。偏見と悪意に満ちた自慰映像なのは、観ずとも明らか。
上映しないのは、非難が多いことよりも、実際中身を観て動員が期待できないと考えたからじゃないでしょうか。
絶滅危惧種を保護するというのが、そもそも感情論で、議論のしようのないテーマなのですが、
日本は日本で、鯨関連の雇用や利権が絡んでいて、こちらも議論のしようのないテーマです。
ですから、シーシェパードが実力行使に出るというのは、ある意味正解かもしれません。この問題は実力行使でしか決着は着かないでしょう。
原淳二郎氏は何を主張されたいのだろう?
氏も書かれているように「社会の価値観、宗教観によって、何を食することが許され、何が保護されるべきなのかは変わる」のである。
日本の価値観では「鯨やイルカを食することが許され」るのに対して、グリーンピースや「ザ・コーヴ」の作者は許さない価値観を持っており、自分達の価値観を「暴力」や「隠し撮りによる捏造」で押し付けようとしているというだけの話。
氏のいう「人類共通の敵」なる、相手の主張にいっさい耳を貸さない輩はグリンピースや「ザ・コーヴ」の作者である。
日本及び日本人は、「鯨やイルカを食することを忌避」する根拠が、生態系の破壊により「鯨やイルカが持続的に食せない」という科学的な理由であれば受け入れるが、「かわいそう」という社会によって異なる価値観が根拠なら受け入れられないというだけ。
結局、氏は「鯨やイルカを食することを忌避」する価値観を聞いて、「食することを許す」価値観が誤りであると気付くべきという主張、つまり進歩的な欧米は正しく、野蛮な日本は間違いと主張したいだけに見える。
クジラ保護をうたう白人が本当に自然や動物を守ろうと本心から思っているのかが疑わしいですね(もちろん全部そうとは思いませんが)
グリーンピース英語版のトップページを見ると、「I LOVE Whale」と旗を掲げる写真が鎮座しています。
だけど今、差し迫った危機はメキシコ湾原油流出事故だと思うんですよね。
彼らは沖合掘削の反対運動も展開しているようですが、とても現実的じゃない。
法律による、掘削施設の施工・運営に関わる、監視体制の強化が妥当であり、彼らの行動はただの広告かポーズに過ぎない。
彼らのスポンサーやビジネスと純粋な環境保護とはズレがあるんですよね。素人の僕から見ても。
捕鯨バッシングは本当の環境問題を覆い隠す、一種の娯楽のようなものですかね。
上映中止には反対だが、どんな意見にも耳を貸さなければならないということはない。多くの良心的日本人は、これを理解していない。
話合いというもの、協議といっても議論といっても良いが、それは
双方が相手の主張に耳を傾け、問題の解決や妥協点を見つけて
いこうという姿勢を持っていなければ成立しない。
それをもっていない相手に対して話合いを求めるというのは愚かな
ことです。例えて言うのであれば、言葉の通じない空腹の猛獣に、
食べないでくれと懇願するようなものです。
日本の捕鯨を批判する団体には、それによって寄付を得ている
ものもありますが、彼らにとって重要なのは寄付をしてくれる企業
などのスポンサーであっても、日本人ではありません。
キリスト教的な価値観に基づいて行動する人々にとって、相手は
神ではあっても、日本人ではない。
そうした人々に対してすべきは、その主張に耳を貸すことではなく
その独善を指摘することだけです。
鯨は美味い肉であり、子供の頃から今に至るまで、機会があれば喜んで食しており、商業捕鯨ができない事は非常に残念だと思っています。イルカの肉は、残念ながら美味いとはいえず、世界から非難されながら食べる事の意義を見出せませんが、イルカが漁師にとって、価値ある魚を食い荒らす海の害獣である事は十分に理解できます。オーストラリア人が害獣であるカンガルーを駆除し、欧米人が家畜に害する狼や狐を駆除したように、日本の漁師がイルカを駆除するのを理解するべきです。欧米人にとっての羊や牛は、日本人にとっての(今はだいぶ変わったようですが)魚だという事、文化の違いがある事を理解してもらう努力をするべきだと考えます。