ねじれ国会を選択した国民の想いとは?!  ―前田拓生

前田 拓生

1週間前の参議院選挙は民主党の大敗で終り、またしても「ねじれ国会」になってしまいました。この敗因として菅首相は「私(菅首相)の唐突な消費税増税発言が問題だった」という旨の発言をしています。確かに「唐突」という感は否めませんが、消費税増税を発言したから「負けた」というのは疑問。現に増税を掲げて選挙を戦った自民党は議席を伸ばしています。つまり、増税発言ということよりも、増税した資金を「どう使うのか?」についての説明不足、というか、この10か月の“政権運営における全てに関する説明不足”に国民は不信感を持ったと考えた方が良いと思います。


増税だけに絞っても、「使い方を間違えなければ経済成長できる」という幻想しか口にせず、挙句の果てに「日本がギリシャ化した時に一番困るのは誰だと思いますか(答え:国民)」という脅しともとれる話をすれば、有権者は一斉に引いてしまうのも当然です。

菅首相だけではないにしても、今の政権では、個人的な想いをそのまま発言する人が多く、それが内部でも外部でも全く練られていないという部分が大いに問題だと思います。日常の業務でも、政権を担っている政治家は、政党または政府を代表して発言しているのですから、それなりの合意形成を経ることが求められるものです。況して、それが「重要な方向転換」ともなれば、当然にしっかりとした合意形成のプロセスが必要なはずです。にもかかわらず、民主党は、この10カ月、このプロセスを軽視してきたようにしか見えません。

例えば「あるのです、探せばいくらでも」と言って「子ども手当」を創設した時も、「もっと議論を」という声を無視して実施に踏み切りました。しかし、いくらでもあるはずの資金は出てくる気配はなく、今になって「消費税増税の話を真剣に」と言われれば、「この政権はどうなっているのだ」と思うのは当然です。このような議論なき政策運営に対して国民は「ねじれ国会」を促し、「もっと議論を」ということを強制したのでしょう。

なので、数合わせのためだけの水面下での行動を活発化させるのではなく、是非、正々堂々とした議論を中心にした政策運営をして欲しいと思います。特に「消費税増税」については、社会保障、財政規律、経済成長など、多岐にわたる問題が複雑に関係する事項だけに、一部の党との連携で安易に決めてしまうのではなく、国民に見える場所で、時間を掛けて審議を尽くしてほしいと思います。

とはいえ、「増税の必要性」については極端な議論も多いので、財政危機を殊更に強調することも、また逆に、今の巨額な政府債務残高を軽視することもないようにしてほしいと思っています。

実際、現状、政府債務は家計の金融資産を通じて間接的にカバーされているので、財政危機が今すぐに起こるという可能性は薄いと思います。

ここで「家計の資産選択行動」も当面の間であれば、大きな変化があるとは思えない状態ですから、ギリシャのような緊急性はありません。当然、少子高齢化の進展が急なので、家計貯蓄も徐々に減少する可能性は否めませんが、一気に危機的な状態になることはないでしょう。

しかも、今金利は十分に低い状態であり、「(債務残高の)雪だるま現象」はそれほど深刻ではありません。当然、「今後、インフレが酷くなる」と予想される場合には、金利が上昇することになるので財政問題が浮上することになりますが、現状、需要サイドからのインフレ懸念は感じられません。もし仮に「需要サイドからのインフレ」ということになるのであれば、それは景気が良くなっていることであり、税収の回復が見込まれるわけですから、税収との見合いでプライマリーバランスを再考すればいいと思います。

もし問題になるとすれば、資産インフレなどのいわゆる「悪いインフレ」でしょうね。この場合には、税収も上がらないにも関わらず、金利も上がってくるでしょうから、政府債務残高は発散することになります。そういう意味で、今以上の過剰な金融緩和の実施は問題ですし、日銀には慎重なる金融政策が求められることになります。

ということで、金融政策が適切に運用されている状態において、今すぐの財政危機の心配はないわけですから、変に財政危機を煽って、国民の不安心理に付け込んだ増税議論を行わないようにしてほしいと思います。

といっても「いつまでも大丈夫」ということでもありません。

一部では「粗債務ばかりを問題にするが、純債務で考えれば問題はない」という意見もあるようです。ここで粗債務とは「資金の借り入れ・保証などの債務」を指し、純債務とは「粗債務から政府が保有する金融資産を控除したネットの債務」を指します。つまり、債務から日本政府が保有している金融資産を控除すれば、日本の政府債務も先進国並みであり、全く問題はないという話です。でも、これって基本的に「あるのです、いくらでも」といった埋蔵金探しと同じですよね。

まぁ、ここは蓮舫行政刷新大臣の特別会計仕分けに係ってくるので、現段階で「大丈夫」とも「そうでない」とも言えないのですが・・・

そもそも10カ月間、事業仕分けがクローズアップされたわけであり、それでも政府内部から「増税」という話が出てきている以上、ここにはあまり期待はできないと考えた方が良いのではないでしょうか。菅首相は「鼻血も出なくなるまで」という表現で行政のスリム化を考えていたわけであり、財務省からいろいろなレクチャーがあったとしても、そこは理念の問題ですから、政府債務と相殺できるような政府の金融資産は“ほとんどない”とみるべきだと思います。

今でも外野(みんなの党や経済評論家など)からは「ある」とは言うものの、その根拠について民主党はほぼ否定的な見解です。民主党も野党であった頃は「あるのです、いくらでも」と言っていたわけで、でも「ない」のですから、「ある」ということ自体が“幻想”なのだと考えるべきでしょう。その幻想をいつまでも追い続けてみても、そこから建設的な「何か」が生まれることはなく、時間の浪費といえます。

つまり政府債務は、結局のところ、将来の国民が返済をしていかなければならないのです。

当然、すべてを返済する必要はないにしても、返済できる目途は付けておく必要があるのです。今のままで増え続けるだけなのであり、発散してしまうわけですから、持続可能性は全くありません。

したがって、上述の通り、今すぐに危ないわけではないにしても、ある一定期間後には厳しい状態になることは目に見えているわけですから、ねじれ国会の場で、喧々諤々の議論をして欲しいと思います。

この場合・・・

当然、たたき台がなければ議論にもなりません。政権としては「どうしたいのか」という部分を提示しなければ、野党もテーブルにつけないのです。特に「増税」の議論は、そのまま「何をするのか」に関係するわけであり、単に「税率を引き上げれば良い」という話ではありません。だから、そこには「国家戦略」が必要になるのです。理念・ビジョンを持って「だから必要」という話の中で、「ではいくら」「どのように」という議論が起こるわけであり、単純に超党派で議論をすれば良いという話ではないのです。

にもかかわらず、何故か、国家戦略室の「局」への昇格は断念し、機能を縮小するという話が持ち上がっています。その理由として「民主党がいくら理念や国家戦略を持ちだしても、ねじれ国会では実現しない」ということがあるようです。何と情けない!

正々堂々と政府の国家戦略は「こうだ」ということを提示し、それを「ねじれ国会」であっても、与野党で真剣に議論し、叩いていけば良いのです。それが民主主義であり、政治主導ということではないでしょうか。コソコソと数合わせをして、とりあえずの多数派で「何かを決める」というやり方では、国民は納得するわけがありません。

菅首相が悪いのか、民主党の体制が悪いのかはわかりませんが、もっと“開かれた議論”によって政策運営をして欲しいものです。おそらく多くの国民はそれを望んでいたからこそ、敢えて「ねじれ国会」という試練を与党民主党に突き付けたのだと、私は思っています