iPadとジョブスの方針については、さまざまな議論が錯綜しているので、ここではAppStoreでのアプリの一方的と言われる、マネージ方針に関して述べたい。
ジョブスがiPadの発表をした際の映像。それを日本で見て、ちょっと驚いたことがある。
それはジョブスがソファーに座っていたことだ。
プレゼンテーションを聞いていてもそうだが、ジョブスがiPadを説明する際には、「これはMacBookとiPhoneの間を埋めるモバイルデバイスだ」という説明をしていた。
モバイルデバイスと聞いた際に、おそらく少なくない人が「電車の中やカフェなどで使うものだ」と思ったのではなかろうか。そのような用途向け製品だと考えたのではないか。
なので、既存のノートブック・ネットブックやスマートフォンとの対比が主な論点になっているのが現状である。
ただ、ジョブスはソファーに座っていたのである。
ということは、これは外というよりは家の中で使うもの「リビングPC」であり、家の中でムーバブルなもの、という意味でのモバイルデバイスなのではないだろうか。
そう考えると、このiPadというデバイスは、家族で使い回すものであり、それは両親から子供たち、場合によっては祖父祖母まで使う一種の家電製品なのではないだろうか。
前置きが長くなったが、その前提であれば私はアップルの「検閲」を肯定したい。
なぜなら、家族が求めているのは「安心して使えるデバイス」であると考えられるから。
その「安心」は、電源のオンオフに気を使わなくてもいいというハード的なものもあれば、このデバイスを使っても事故が起こらないというソフト的なものもある。
そのソフト的な部分の最も危険なところがAppStoreであることは明白であり、ここに「教育上好ましくない」ものがあるのは、親としては不安であろう。
もちろん、そこにはやりすぎと思われる部分もある。
例えばジョブス自身の書籍を出させない、あるいは削除した方針をきちんとアプリの制作者はもちろん、開発者たちに公開しない、そして議論をしないというのはいけない。
なぜなら、プラットフォームは、どこが開発したものであるにせよ、それがある程度の規模になったのであれば、それはその会社単独のものというより、公共性を持ったインフラストラクチャーだと考えるべきだと思うからだ。
公共性を持った場において、ある特定の企業団体の意図だけが反映されるのは良くない。
そう言った意味で、今後のAppleには、公共性を持ったプラットッフォームとしてiTMSやAppStoreを育てて行ってくれることを希望する。
そしてそれはきっと、リビングpcという方向性において、プラスに働くとも思うのである。
(中山陽平 株式会社WEBマーケティング総合研究所 上級WEBコンサルタント
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