日韓併合100年を機に、政府は過去の植民地支配に対する「反省とおわび」を表明する首相談話を閣議決定した。同時にかねて韓国から返還要求が出ていた古文書「朝鮮王室儀軌」を韓国に「渡す」ことを決めた。
文化財の返還について韓国政府は評価する声明を発表したが、日本では「渡す」といい、韓国では「返還」といっている。この用語の違いは何を意味するのか。
日韓基本条約で過去の法的問題は決着済みとする立場に配慮して日本政府は「渡す」を使ったとメディアは解説している。「返還」といえば他の文物、文化財の返還要求に発展するかもしれないし、植民地時代に被害を受けた韓国人個人の請求権に発展しかねないと心配しているらしい。
普通に読めば、両者は和語と漢語の違いしかない。モノを渡す時、そのモノの所有権がどちらにあるかは、渡すという言葉には含まれない。返還には所有権のあるものを本来の持ち主に返すという意味が含まれる。だから所有権のあるなしには無関係な「渡す」という用語を選んだのだろう。
しかし、渡すの意味に、渡すのは1回限り、他のモノは渡さないという意味が含まれるとも思えない。逆に返還という言葉には他のものも返すという意味は含まれない。つまり渡すでも返還でも韓国が所有権を主張したら、今回の文物だけで終わるとは限らない。
日本は日本で都合よく解釈できる用語を使い、韓国は韓国で都合よく説明できる言葉を使っている。こんなことで日韓のホントの相互理解につながるのだろうか。竹島問題も日韓条約交渉でお互い国内向けに都合よく解釈可能な解決を図ったと聞く。それが竹島問題の解決を難しくしている。
自国に都合のいい解釈が可能な言葉を用いて妥協を図るのが外交なのだという声が聞こえてきそうだが、両国間で異なる解釈が可能な言葉の使い分けはかえって将来に禍根を残すのではないか。これだけメディアの発達した時代、自国の都合を用語で隠そうとしても隠し切れるものではない。
この首相談話を安倍元首相は「愚か」と評したそうだが、自民党政権時代、日韓関係をあいまいな言葉で取り繕ってきたかつての外交は愚かではなかったのか。あいまいにしたことこそ賢い外交だといいたいのだろうが、日韓両国民を馬鹿にした発言である。いっそのこと用語解説を添付して外交文書を発表するか、楽天でも見習って日韓関係の外交文書は全部英語で統一したらどうか。