怨嗟の声
「みんな来て!これ、凄い!あと少しで1位になるぞ!」
2008年12月8日、夜9時過ぎ。半蔵門駅上のマクドナルドで買った夜食を手にし、紙袋からフライドポテトをつまみ食いしながらマーケティング部の一角へ立ち寄ると、何だか騒然としている。ヤフー出身でウェブ広告を担当する堀江の机の前に4,5人が集まり、何だかパソコン画面の中を覗きこんでいる。面白そうなので、油っこい手をティッシュで拭いて、野次馬に参加することにした。
「どうしたんですか?」
「いや、先日のダイヤモンド社の原価開示の記事がヤフー!トピックスの上位に来ていて、今、経済ニュースで3位なんです!」
皆に交じってブラウザを覗きこむと、ヤフーのトップニュースのヘッドライン(見出し)が並ぶ中に、確かに以下の13文字が異彩を放っていることを確認できた。
「保険料の原価開示に業界不満」
11月20日に中間決算の発表と同時に行なった「付加保険料の開示」が広く世に知れ渡るきっかけとなったのも、この週刊ダイヤモンドの短い記事がきっかけだった。
「業界初!”保険の原価”を開示したライフネット生命に怨嗟の声」
「なんで開示したのか!」――。ある生命保険会社幹部はいらだちをあらわにした。その理由は、11月21日、インターネット専門の保険会社であるライフネット生命保険が、“保険料の原価”の全面開示に踏み切ったためである。
契約者が支払う保険料は、将来の保険金支払の原資である純保険料と、保険会社の運営経費である付加保険料に分けられる。この付加保険料には、営業職員や代理店への手数料や、保険会社の利益などが含まれ、開示はタブーとされてきた。
(以下、略)
通常であれば雑誌の記事はそれを手にした人の記憶に留まるだけで終わり、たいした伝播効果は期待できない。しかしこと週刊ダイヤモンドについて言えば、記事は同社のオンライン版にも掲載されており、そこから一部の記事はヤフーニュースにも配信されていたのだった。
もっとも、紙面の制約がないウェブ媒体、かつヤフーのように複数のニュース源から記事の提供を受けているサイトであれば尚更、膨大な数の記事が同時に配信されていることになり、読者の注意を惹いて読んでもらうことは容易ではない。読者にしても新聞のように限られた紙面にサイズの大小をつけたレイアウト構成によって読むべきニュースが選定される訳ではないので、何らかのナビゲーション機能が無いと不便である。
そこでヤフーニュースでは編集部が独自に重要なニュースを選び、それに13文字の見出しを付け、「ヤフートピックス」と称してページの上位に表示している。カテゴリは経済、エンタメ、スポーツなどに分かれており、各カテゴリの中で特に注目すべきニュースが「総合」として上位に表示される。この箇所は国内最大のポータルサイトであるヤフーでも断トツの「視聴率」を誇り、それはテレビ並みとも言われ、表示された企業や製品についてはその直後、読者からサイトへのアクセスが殺到し、サイトへの負荷がかかり過ぎてダウンすると言われている。それ位、大きな影響力を持つページなのである。
このようなヤフートピックスの影響力の大きさに鑑み、同サイトの編集権は「聖域」とされており、広告の出稿主などを問わず、いかなる者の圧力や影響からも独立性が守られていた。
聖域
ライフネットの保険商品はシンプルで、安く、便利である。理屈で考えれば、消費者がこれを選ばない理由は余り無かった。それでも契約件数が伸びない最大の理由は、とにもかくにも知名度が全く無いことにあると考えていた。そして実際の購入に繋がる知名度とは、単に社名が音として知られているということではなく、それが正しい文脈においてどういう会社かという理解を伴って知ってもらうことが重要だ。その意味でも、今回の付加保険料の開示のニュースが第三者によってポジティブに語られ、それがヤフートピックスを通じて世に知れ渡ることには図り知れないメリットがあった。
「これ、『経済』のカテゴリから『総合』に移ってくれれば、大ブレイクしますよ。岩瀬さん、ヤフーのAさんと知り合いでしたよね。電話して頼んでみて下さいよ。なんとかして下さいって。」
A氏はヤフーのキーマンにしてネット業界の有名人。帰国後に友人に紹介され、準備会社の頃から色々とアドバイスをいただいていた。
「えー。それは無理だよ。さすがにKさんだってあそこの編集権は聖域だって言うじゃん。」
「無理は承知で、お願いします。」
堀江の図々しいお願いの仕方は巧みで、不思議と断ってはいけない気にさせる。乗り気ではなかったが、社員の皆が頑張っている時に自分もできる限りのことをしない訳にはいかないと思い、ポケットから携帯を取り出して番号を検索した。間もなく、電話が繋がった。
「あ、ご無沙汰してます。ライフネットの岩瀬です。」
「おー、久しぶり。調子はどう?」
「立ち上がり、やや伸び悩んでいたのですが、数週間前に我々が出したプレスリリースが今話題になってて、今ヤフトピ『経済』コーナーで上位に来てるんですよ。」
「いいねー。凄いじゃない。あそこに出れば効果絶大だよ。」
「そうですよね・・・そこでAさん、無理とご迷惑を承知でのご相談なんですが・・・どうにかして『経済』から『総合』にしてもらうことはできないでしょうか?」
「え!?いやー、あればかりは、前に話したと思うけど、誰も動かすことはできないんだよ。」
「そうですよね・・・ホント、変なお願いで、失礼しました。」
「別に失礼でもないよ、ただ無理なだけ。ライフネットは大丈夫だよ。心配しなくても。応援してるから、頑張ってね!」
「はい、ありがとうございます。またご連絡します」
電話を切って堀江らに報告しようとすると、皆が再びスクリーンの前に張り付いていた。
「岩瀬さんが電話している間に、『総合』欄に移動してました!今6位です!」
結局、この夜、保険料の内訳開示のニュースはヤフートピックスの最上位まで行き、ライフネットのホームページへのアクセスは一晩で24万PVと殺到した。
ちなみにその時の2位のニュースは「高級魚、マンボウの解体ショー」、3位は「ケニア首相『ジンバブエ介入を』」だった。保険業界のニュースがこのコーナーで上位になることがいかに特異なことか、このことからも分かるだろう。
賛同と共感
我々の付加保険料開示は業界の内外から賛同の声が寄せられた。例えば、出口が書いたブログのコメント欄には業界関係者と覚しき人から以下の書き込みがされていた。
記事を読み衝撃を受けPCの前で一瞬手が止まりました。保険業界に携わる者として、出口社長の英断とその行動に賛同いたします。
ライフネットさんからすれば、保険というサービスを消費者目線で追求すれば、もしかして当然なのかもしれませんが、おそらく同じ行動に出れる保険会社は無いと思います。
何回石を投げればこの業界が変わるのか分かりませんが、今後もこのような革新的な取り組みに期待して応援しております。
また、ネット上で話題の記事を計る指標となるソーシャルブックマークの一つ、はてなブックマークでも300近いブックマークを集め、その多くがこれまでの生命保険業界の情報開示の少なさに対する不信と、その反動としてライフネットの情報開示の姿勢を評価するものが大半だった。
このニュースが拡がっていく上で大きな役割を果たしたのが、社内がヤフトピ掲載で喜ぶ最中、マーケティング部の関谷が冷静に用意したもう一通のプレスリリースだ。
「原価開示のニュースが話題で、ライフネットのホームページに一晩で24万PV(ページビュー)ものアクセスが殺到。電話やメールでの問い合わせも相次いだが、殆どが賛同の声」といった趣旨のものだった。
実はこのリリースが今回最大のファインプレーだったかもしれない。ヤフートピックスだけでは一晩のお祭りで終わっていたかも知れないところ、今度はこのプレスリリースがきっかけとなってまたニュースになり、地方紙や雑誌からの問い合わせが急増し、それが記事として取り上げられる、という好循環に入ったのである。
元はと言えば話題作りのためではなく、生保業界の構造的な問題である情報の非対称性に一石を投じたい、消費者が商品について知るべき当然の情報を了知した上で購入の意思決定をしてもらいたいと考えて行った情報開示だった。それがこれほどにまで話題になり、賛同を呼ぶとは。いかに旧来の業界のあり方への不満が溜まっており、消費者が情報を渇望していたかを痛感した。
当たり前のことを、一つ一つ堅実に進める。それが信頼につながり、事業の成長を加速化させる。やはり近道など存在しないということも強く感じた。
今回の一件を機に取材が増え、かつ知名度がこれまでよりは一段上がったことを感じた。12月の申込件数は11月の619件から968件と約5割増の伸びをみせ、ついに1000件の大台が見えてきた。
(つづく)