金融構造の今昔物語

池尾 和人

先の拙記事、やさしい「財政ファイナンス」の話その補足では、伝統的なマクロ経済学のモデル(IS-LMモデル)で想定されているような単純化された金融構造をやはり想定して、説明を行った。この種の金融構造の単純化は、現在ではあまり違和感のないものだと思われるが、1980年代以前においては、そうではなかった。当時の金融論研究者の大きな悩みの1つは、マクロ経済学では公開市場操作を通じて貨幣が供給されると教えているが、そんな現実は日本にはないというところにあった。


日本の現実にそくして金融構造をモデル化するためには、政府・中央銀行・民間の3部門区分では不十分で、民間部門を民間銀行部門と民間非銀行(企業と家計)部門に分けて考える必要がある。むしろ均衡財政の下で国債の発行が無視できた状況では、金融構造をモデル化するに際して政府部門をあえて考慮する必要はない。それゆえ、中央銀行・民間銀行・民間非銀行の3区分で考える。

次の図1が、かつての日本の中央銀行と民間銀行のバランスシートを示している。中央銀行の資産は、民間銀行に対する貸出である。民間銀行は、預金と中央銀行からの借入を原資に貸出を行い、預金に見合った準備を保有する(簡単化のために、自己資本の存在等は捨象している)。

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ここで、中央銀行と民間銀行を統合したバランスシートを考えると、図2の左側のようになる。すなわち、中央銀行と民間銀行を統合すると、準備と日銀貸出(借入)は内部取引となって相殺されて消える。

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この図から、(国債の存在しない)このモデルでは、民間銀行の貸出残高にマネーストック(現金+預金)が等しいことが分かる。換言すると、民間銀行が貸出を増やせばマネーストックが増加する。しかし、民間銀行は貸出に伴って、増加する預金に見合う準備と流出する現金の合計に相当するベースマネーを手に入れなければならない。そのベースマネーを提供するのは、日銀貸出である。この意味で、日本銀行の貸出政策(日銀貸出の割当とその金利である公定歩合の決定)が当時の金融政策の中心であった。

なお、図2の右側の民間非銀行部門のバランスシートについて奇異に感じる読者もいるかもしれないので、参考のために図3を示しておく。民間非銀行部門のバランスシートは、図3のような企業のバランスシートと家計のバランスシートを統合して、実物資産(投資の累積額)と正味資産(貯蓄の累積額)を相殺・消去したものである(別に消さなくて下に並べて書いてもいいが、簡便化のために省略)。

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実は現在でも、金融政策のより正確な理解のためには、民間銀行と民間非銀行を分けて考える方が望ましい。例えば、『金融政策論議の争点』の第2部・討論の冒頭で、小宮隆太郎先生は次のように発言している。

私のペーパーでいいたいことの第一は、金融政策を論じるときに、金融セクターの理論モデルをきちんと考えてほしいということだ。もっぱらマクロ経済学で物事を考えている人は、IS=LMモデルやマンデル=フレミングモデルで通貨供給量Mは政策変数だから、Mは外生的に政策で決めればよい、と単純に考えているように感じる。(中略)が、実際の金融政策のプロセスはそれほど簡単ではない。なぜなら、マネーサプライは民間銀行のノンバンクに対する負債であって、それは民間の取引の結果として決まるものなので、それがどういう仕組みで決まるか、また銀行はじめ民間経済主体のどういう行動により決まるかを、理論的に考えないといけない。

(同書、p.315。なお、ここでのノンバンクは、民間非銀行部門の意味である。)

そこで、先のモデルに国債を大量に発行している政府の存在を加えてモデル化してみると、次の図4および図5のようになる。これが、現代日本の金融構造を示した(実は最も簡単な)モデルといえる。最終的には財政赤字の累積額(えんじ色の部分)が民間部門の貯蓄超過の累積額(群青色の部分)でまかなわれていることには変わりがないが、途中は「民間の取引」でつながれている。

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これでも、かなり複雑だと感じられる向きも少なくないと思うけれども、まだこれは閉鎖経済のケースで海外部門との取引を捨象している。より「きちんと考え」るためには、対外取引も本来的には考慮すべきである。残念ながら現実はきわめて複雑であり、それゆえ金融政策の効果等について単純に考えて直ぐに断定的な結論が出せるということはない。