「大阪都構想」を批判する民主党の「地域主権」とは?

前田 拓生

11月23日に岡田幹事長は「住民に一番近い市町村に権限、財源を移し、自立的にやってもらうのが民主党の考え方」であるとして“大阪都構想”を批判していました。確かに「住民に一番近い」のは市町村なのでしょうが、そこに「財源を移し」というのは、どのような仕組みを考えているのでしょうか?

市町村レベルで上がってくる税収となると、かなり大きなばらつきがあるため、結局、中央政府で集めた税金を配分することになるのでしょう。これでは金太郎あめのような自治のままであり、今と何ら変わりはありません。

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日本のように経済が成熟してしまっている国においては、人々の嗜好や考え方が多様化するので、あらゆるものを国が主導的に行うことは不可能です。特に生活にかかわるような政策においては、それぞれの地域において必要性の濃淡がかなり大きく異なるため、一律に何かを行おうとすれば非常に多額の出費になる場合が多いものです。

なので、国は「安全保障」「外交」「金融(通貨管理)」に集中し、それ以外の行政については、それぞれの地域に権限を移すという考え方が出てくるわけです。それが「道州制」「地域主権」「地方分権」などという考え方だったりするわけです。まぁ、これらの言葉も「同じようなモノ」ではありますが、細かく内容をみると主張が異なる場合もあり、一概に「こうだ」とはいえないのですが、「国から地方に権限・財源を移す」という点では概ね一致しているように思います。したがって、「地域主権」などを論じる場合、少なくとも「権限」と「財源」についてはしっかりと国から「自立している」ことが必要になります。

と考えた場合、「市町村」で独自財源を維持できるのでしょうか。「できる」という地方公共団体もあるのでしょうが、絶望的に「無理」という自治体も存在するので、結局、中央が何らかの形で配分するシステムが必要になります。となれば、おカネの配分に絡んで権限が生まれ、その権限が大きくなることによって「地域主権」などというのは名ばかりになってしまうでしょう。

このようなことにならないように、「地域主権」といっても基礎自治体(市町村)だけを考えるのではなく、中央(国家)と基礎自治体の間に「道州」を置こうとする考え方が多いのです。それを特に「道州制」といったりしているわけですが、この考え方だと、財源的な“自治”として「道州」という単位を考え、その財源を基に「安全保障」「外交」「金融」以外の広域行政を行い、また、地域の事情に合わせて市町村といった基礎自治体に財源を配分するという形になるわけです。ここでも「道州」と「基礎自治体」の間で財源に絡む権限の問題が発生するでしょうが、それは当該地域(道州)内の話ですから、現在のように国全体が非効率な金太郎あめ状態になるほどの心配はありせん(なお、道州制の厳しさなどについて、以前、アゴラのコラムに「「地域主権」の話はどこへ?」を書いたことがあります)。

こう考えた場合、「都」というシステムは一種の「道州」のシステムと同じなので、「大阪都構想」は立派な「地域主権構想」といえます。細かな点で問題はあるかもしれませんが、「住民に一番近い市町村に権限、財源を移し、自立的にやってもらう」というのが民主党の考え方であり、中央と基礎自治体の間に“何もない”ということでは「地域主権」として(少なくとも財源的な面で)機能しないように感じます。

つまり、道州制ではなく、「市町村に権限を」といっても、税収が確保できない以上、やはり国の出張機関に過ぎず、予算権限がある中央の言いなりになるだけになるのは目に見えています。「そうではない」ということであれば、もっと現実性のある「地域主権」の政策内容を提示してほしいものです。