株式投資に懐疑的な日本人が、なぜこの4つには盛り上がるのか。それは、これらが株式投資よりも遥かにフェアであるからである。
最もフェアなのは、競馬。誰にでも勝つチャンスがあり、ほぼ平等だ。ある種のインサイダー的な要素はあるが、そこは普通の情報戦。どのような経済活動にも、情報による有利不利はある。それがないのが、宝くじで、その意味では、最も宝くじが平等だろう。だから、宝くじが日本では一番人気がある。世界で、宝くじをまともな人間が買うのは日本だけだから、日本人のフェアネスへの志向は極めて強いといえるだろう。フェアネスのためには、60%を国などに献上しても構わないというのであるから。
競馬も同様に人気がある。競馬も、これほどまともな人間が馬券を買う社会も少ない。それは日本の競馬界の努力の賜物で、フェアであることに異常に神経を使っているのは、我々にとっては異常に思えるほどであるが、その結果が馬券の売り上げの高さに繋がってきた。
八百長がないと分かれば、競馬は本質的に極めてフェアなギャンブルである。強い馬、レースで速い馬を当てればいいのだから、純粋な頭脳、情報ゲームだ。
一方、株式投資においては、真実が存在しない。買うべき正しい株というのは、値上がりするかどうかで決まるわけで、それは将来の人々の行動による。そして、この人々の間には、財力において決定的な違いがある。そして、財力がある人々が買い上げれば、その株は上がる。さらに、情報の操作も、この財力のある人々あるいはその仲間達が行っているから、さらにフェアネスに疑問が生じる。
さらに現在SECが踏み込んでいる新しいインサイダー取引とは、このような仲間内のインサイダーの一種であるが、インテリ社会同士の情報交換であり、これは階級、インナーサークルの話であるから、フェアネスには更なる疑問が生じる。
FXも為替は、それは大きく動かせる人々がいることは事実であるが、日本人に人気のFX取引法とは、基本的にボラティリティを利用した丁半賭博であるから、大きな流れからは自由であり、これはまったくのじゃんけん投資だ。大きな流れに影響を受ける、スワップポイント狙い、つまり、金利差を利用した外貨預金のレバレッジかつ低コスト版というFX投資は円安の流れに依存していたから、もはや下火で人気がない。
一番のFXじゃんけん投資の問題は、ミセスワタナベがあまりに有名になったために、ミセスワタナベを狙って、ボラを作って巻き上げようとするプロのトレーダーが出てきたことで、FX取引業者に対するフェアネスへの疑問とあいまって、今後は人気が低下していく可能性がある(既にこの流れになっているが)。FX業者は伝統的にフェアネスに対して疑義をもたれており、今後は、さらにここが大きな課題となるだろう。
そしてパチンコである。
パチンコはこれらとかなり違う議論であるが、人気があるのは動かしがたい事実である。これは頑張れば、誰でも勝つチャンスがありそうに見えるところが、人気のきっかけで、ゲームとしての中毒性もこれにあいまって人気を高めている。
社会的にはパチンコは大きな問題であるが、これはあまりにグレーゾーンが多次元において存在しているからで、完全合法化し、公営化することにより、解決する問題が多いと思われる。
現在のパーラー業者を一掃することは出来ないし、望ましくない面もあるから、現実的には、カジノを解禁し、カジノの中に、より効率的な、フェアで回収率の高いパチンコが登場することにより、変化を促すという政策的戦術となるだろう。
カジノはエリアを限定し、コントロールすれば、街の景観やコミュニティとの関係などもより望ましいものに変わっていくだろう。
コメント
欧米では価格カルテルの摘発は頻繁に行われ、最近も液晶パネルの価格協定でメーカーが数百億円の罰金を課せられてます。欧米で摘発される会社には何時も日本の会社がはいっています。(液晶は例外的に韓国と台湾だけだった。) 日本では入札談合の摘発がたまにあるくらいで公正取引委員会は吠えぬ番犬と揶揄されてます。公益法人の運営する国技の大相撲での星の売買は常識です。
こういう風土で育った日本の競馬が八百長のないフェアなギャンブルであると断定されるのには何か根拠をお持ちでしょうか?馬券の売買や換金には本人確認も不要で何の証拠書類も残らず、不正を行うには最適のゲームです。馬主の殆どは赤字で、なかには不正を行う者がいたとしても不思議ではありません。司直の手が入らぬから不正がないとするのが誤りなのは大相撲を見ても明らかです。「競馬 八百長」、「Horse-race Rigging]でググれば、不正があると考えている人が少なくないことが分かります。
国民にベーシックインカムのようにバラマキを続けたらパチンコ、ゲーム、株に消えるだろうと言われています。それほどギャンブルは市民権を得ているのであって、株は企業の資本を動かす大博打です。これほど究極なインテリジェンスの知識経験など資質を目に見える形で手にするコーディネイト能力の力量を公言できる自信に繋がるものはないでしょう。
もし、実質との乖離の付加価値に実質的価値が伴う可能性が見える投資家ばかりだったら、日本のバブル崩壊はなかったと思います。
物つくり側の人間においてお金だけを動かす職業は理解しがたいものはありますが、物つくりにも確実に流動性の罠は存在します。消費能力以上に大量に生産してしまうと、その商品は在庫を抱えることになり、値崩れが生じるので、結果的には同じだと思います。
大量の大博打を売って事業を拡大させるのもやり方でしょうし、地道に繋げていくのもやり方でしょう。
どちらもパドックを見て買わず、後追い的な流行に乗って潰れていくだけの人の方が多いので、マーケットの熱狂には繋がらない。だけども、一度興奮を味わうと止められくなる魔物だとも思います。
実質を伴う生産性を上げれる経営者タイプが少なく、雇われる側の人間になりたがる市民が多く、実質を把握しようとしない単なるギャンブル中毒が多いからこそ、公共ギャンブルの拡大はその流れを加速する大きな落とし穴だと私は予測しています。
博打の客は暴利に敏感。
銀行金利の高い時には、「自転車操業」のパチンコ屋経営でも日銭をかせげたが、その回転に目をつけた財閥系金融の介入と機器業界の機械代の吊り上げで、流れが鈍化したうえ、
金融危機とかで、吸い上げた遊戯代が客に配当として、戻ってこなくなってる。客離れするのは当たり前。「本国送金」の時代のほうが、還元率、よかったぞ。
昔の話ですが、 出張先で会社の同僚がさそうものだからパチンコにいやいや付き合いました。 そのときは、負けも勝ちもしませんでしたが、多少はおもしろいとおもいました。 そこで、後日帰社の途中に駅前のパチンコ店に寄りました。 そうしたら、ジャラジャラでて大勝しました。 それから一ヶ月ほどは連敗でした。 しかし、 連日勝っているパチプロがいるということは、 勝てる方法があるはずだた思って精進したところ、 それから二ヶ月ほどでほぼ勝てるようになりました。 その方法は30分もあれば説明できます。 個々の玉のゆくえは確率てきですが、 大局的にはでる台の見つけ方が分かれば勝てました。
しかし今は、 計算機によりパチンコ台の設定を遠隔操作できますから、 昔の方法は通用しません。 したがってプロもいなくなったようです。 また、 初心者を引きずり込むために勝たせるということもできます。 つまり、パチンコ店は利益を最大にするための(違法な)操作ができるということです。
12月11日の小幡氏の記事「通貨安競争という誤解」で欧米政府は通貨安競争の意図はないと述べられてます。又、別の記事で米国の長期金利の急騰について解釈されてますが、金利の急騰の次に何が来るかが重要と述べながら、どういう事態が待ってるかについての予測はされませんでした。
National Australia Bankの12月のマーケットレポートによれば、「米国はQE2実施でドル価値の希薄化を演出、欧州は一部加盟国の債務返済問題で危機を演出し通貨安を画策」と述べています。欧米の自虐戦略は今のところドル高ユーロ安で米国が劣勢だが米国は次なる「本格的自虐戦略」を来年早々打ち出す。それは「欧州債務危機を」上回る危機で住宅差し押さえ問題に関するスキャンダルと言われているそうです。小幡氏が正しいか、このレポートが正しいか結果が楽しみです。
競馬についてもう一つ。殆どの馬主が赤字なのに何故、馬を所有するのでしょう。常識的に考えれば「馬が好き」だからとなります。しかし、引退すると直ぐに屠殺され馬肉になるのは金銭的動機で馬を所有しているとしか思えないのですが、動物好きの私の偏見でしょうか。
パチンコ業界、監督官庁ひっくるめて、まるで集団自殺するかのようにイカサマや詐欺行為へ走っています。合法だろうが非合法だろうが関係ない。このままではまずいと薄々感じている関係者の方も多いんじゃないでしょうか。でも、分かっちゃいるけど止められない。壊滅的なショックに出会うまで。これが人間本来の負の姿だとしたら、それはパチンコ業界に限ったことではないんでしょうね。
ギャンブルは射好心というプラスの感情を動機付けにしていると言われるが、それだけではない。怒り、悔しさ、焦り、嫌悪などマイナスの感情もかなり積極的に使っている。業界縮小期には尚更顕著になる。遺伝や環境の要因によりプラスの感情に敏感な人とマイナスの感情に敏感な人がいる。良い悪いではなく、集団として活動領域を広げリスクヘッジするためにはどちらも大切だ。しかし、マイナスの感情に敏感な人が過度にその動機を強くさせれば、破滅的な行動を招いてしまう。その辺りが問題だと思う。マイナスの感情による動機付けは、あらゆる分野で広く使われていて必要なものではあるが、有害な場合も多いし、限度がある。
> それだけではない。怒り、悔しさ、焦り、嫌悪などマイナスの感情もかなり積極的に使っている。
私のいとこの息子はパチンコが原因で離婚しました。 またいとこの一人もパチンコで大金を失い家庭争議をひきおこしました。 いずれもおとなしい性格です。
私も、一年ほどパチンコに勢をだしました。 また、株式投資では、 大きく儲けたこともありますが大損もしました。 また、多少賭け事と共通点がある魚釣りは、 20年以上も一年間に20-40回も行きました。 したがいまして、賭け事をする人達の心理はよく分かります。
実生活で力を発揮できないもしくは認められないとき、何とか自分の力を示したいと思うわけです。 いわば、歪んだ形ですが自己実現を達成しようとするわけです。
つまり、怒り・悔しさが動機となり賭け事を始め、
焦りからさらにのめりこみ、 結果的には大損をして自己嫌悪です。
私は、確率的に損をする賭け事はしないことを原則にしています。 魚釣りでもガソリン代と釣り免許代の分だけの魚は釣ってくることにしています。
釣りは、 うまくいかなくても損失は限られていますし、 身体的・精神的健康にも大変よいものです。 朝暗いうちに家を出て月をみながら帰ってくると、 たとえボウズになっても心が洗われたように感じます。
パチンコの害は本人だけでなく、 配偶者・子供にもおよびます。 かって私はパチンコでは稼がしてもらいましたが、 私の親族の被害者である家族の苦境を思うと、パチンコ店は全廃しろとおもいます。 すくなくとも、 パチンコ等の賭け事の可能な損失額はぐっと制限すべきであり、 パチンコ店にはパチンコの弊害を記した看板の表示を義務ずけるべきとおもいます。
時計じかけのオレンジという映画がありましたが、日本人って「ルドビコ療法」的ですよね。逸脱を犯す選択肢があるのがいけないから無くすべきと考える。私は嫌いですねこういう発想。。あの映画のボケた牧師の台詞にあったように、逸脱する自由があるのにしない意思を持つことの方が大事であって、逸脱する選択肢を予め奪うことはそういう意思の力を毀損しないのか。誰も見てなければトイレに落書きができる人間が溢れる社会でトイレに監視カメラを設置したところで、逸脱は恐らくトイレの落書き以外の形を取るだけの結果にしかならないでしょう。
i8051さん、
分かりました。 それでは、 客の各自が正しい選択ができるように、 パチンコ台がどのように制御されているかを開示することを義務ずけるというのはどうですか? これは、各台ごとというわけでなく、 客の大勝用、 遊び台、 客のボロ負け用の各グループの台数・出玉率・出玉率の変更の頻度等です。 これらのデータは加工食品の成分表のようなものです。
また賭博依存症というのは一種の病気で、 意志の力でなんとかなるといったものではありません。
>minouratさん
すみません、趣旨がよく理解できないのですが、私はパチンコに限らず、弊害の存在を理由に直ちに何かを禁止すべしとする思考には反対です。弊害があるならまず直接的に弊害を緩和することを考えるべきで、その場合でも弊害と無関係の大多数の人の利益にも配慮すべきです。
違ったら済みませんが、minouratはパチンコ「なんぞ」下らないと考えておられるんでしょう。それは問題ありませんが(私も同感ですし)、世の中にはそうではない人も大勢いるわけです。その点を軽視しているとたら、それは独善的な思い上がりじゃないんでしょうか。
> i8051さん
私は独善的な人間でなくて浅はかな人間です。
したがいまして、 賭け事をみるとすぐに「自分も勝てるかな?」とおもいます。 そこで、 恒常的に勝っている人がいれば、 勝つ方法をなんとか知りたいといろいろ調べます。
35年も前の話ですが、 当時のパチンコ台のしくみは簡単でしたから3ヶ月ほどで勝つ方法がみつかりました。 その頃、私は発電所等の計算機制御の仕事をしていましたから、 計算機で制御すれば、 逆にパチプロをつぶすのも難しくないとおもいました。
次のサイトをみると、違法行為も含めて今のパチンコ店は私の想像以上のことをしているようです:
http://www.geocities.jp/pachimaya/gyoukai-shop.html
このような行為によって社会的弱者から金をまきあげ、その家族を苦しめることは、 制限されてよいとおもいます。
私自信はパチンコに恨みはありません。 勝てるようになってからは、 ワイフも自転車の後ろに乗せてパチンコ店に開店30分前にいって、 よく2台を打ち止めにしました。 あの頃は楽しかったです。
http://mondoru.blog133.fc2.com/blog-entry-43.html
競馬も他のギャンブルも株式投資などと同じで、資金量で
勝負する時代になっていると思います。
ただ競馬などは資金が少なくても他の要素で勝てる可能性がある事が魅力だと思います。
競馬がフェアなギャンブルだった事は一度もないと思います。
ただフェアなレースはあると思います。
物欲だけでなくギャンブル欲があるということを理解しました。
ただ、物を生産する生産者がいなければ、ギャンブラー達も飲まず食わずになってしまうわけで、供給と需要のバランスと潜在需要を認識していれば、GDPは成長方向に向かうと思います。
実体経済とギャンブラー含めた投資家が作りだす金融経済の認識のギャップも理解しましょう♪