2011年の過ごし方(新年のご挨拶に代えて)

矢澤 豊

アゴラ読者、執筆者・投稿者の皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。

来し方行く末に思いを馳せる時期です。

ますます視界が悪くなってきている世の中ですが、僭越ながら私の管見を新年のご挨拶に代えさせていただきます。


昨年の初夏の頃(以前の「今年度後半戦開始時点における世界俯瞰」というエントリーの前後)より、当地香港における気のおけない友人と共に意見を交わす際、常に話題になったのは、「質への逃避(Flight to Quality)」と「社会不安」ということでした。

中・長期的視野から俯瞰すれば、2008年9月のリーマン・ショックに代表された金融危機は、グローバルな金融ビジネスに対する国家権力のコントロールと規制の限界を露呈したイベントだったといえるでしょう。

2009年/2010年は、こうした世界経済と、世界規模における広義の「政治」の間における接続不良を改善することが大きな課題であったはずの2年間でした。しかし景気後退局面で先進国の各国政府は「グローバル・エコノミー」という現代のリヴァイアサンを制御することあたわざるままに、国家レベルでの政策手段しか持ち得ず、国内政治アジェンダにふりまわされるまま、「成長」というハイを追い求めつづけ、「借金財政」という薬物を無闇に打ち続けるジャンキーと化してしまったかのようです。すでにギリシャとアイルランドがリハビリ施設送りになったことはみなさんご承知の通り。もちろん最大の中毒患者は日本です。(もっとも既に「ハイ」を味わうことなく、禁断症状ばかりの状態ですが。)

躍進する中国とて、「政治改革」がタブー視され続ける状態の下で、構造改革が進まぬまま世界経済という奔馬にふりまわされているのは同じこと。リアルなインフレ不安と、それに対する中央政府の矢継ぎ早、かつランダムな対策で市場が混乱しています。このバブル形成傾向は今年以降も続いていくことでしょう。おかげさまで中国国内のリスクマネーは、不動産市場においては価格高騰の火消しに務める中央政府の一歩先を上海、北京、海南島と逃げ回り、続けてニンニク、トウガラシ、白菜と食品商品をつづけざまに狙い撃ち。原材料高騰の煽りをくって、韓国ではキムチ・パニックが発生。さすがに食品は一般庶民の懐を直撃するので、政府も投機マネーの閉め出しにかかったところ、「上に政策あれば、下に対策あり」のお国柄。すぐさま照準を銅、金といった鉱物資源や、綿などに変えてきております。

来年はドルに対する為替不安、ソヴリン債に対する信用不安、そして特にアメリカの地方政府債のデフォルト・リスク(そして悪化するままの日本の財政破綻リスク)など、世界経済との接続不良をおこしている「いけていない政治権力」を起因とした不安材料が山積しており、世界中のマネーが、中国の投機家よろしく「質への逃避」、または「安全性への逃避(Flight to Safety)」に奔走し、お祭り騒ぎになるような気がしております。

こうした各国政府の財政不安に呼応して、国家という旧態然の枠組みの下における既得権益としての社会保障にメスが入り始めたことにより、ヨーロッパ各国ではデモやストが多発し、「社会不安」が現実のものとして再浮上してきました。日本でも、まだお行儀は良いものの「世代間格差」という合言葉がキナ臭いものを発しつつあります。

「社会不安」ということに関しては、中国は慢性的問題を抱えています。国家レベルの急成長にのりきれていない労働者階級や、万年就職難に喘ぐ若者世代を中心に不満が蓄積され、今夏の華南地方におけるスト騒動につながったことは尖閣以前の大きなニュースとなりました。

こうした現状の下、2011年はどのような年になるのでしょうか。

先日、目にした金融関係の業界誌には「Year of Valuation」という見出しが躍っていました。「価値評価の年」。

もちろんこの文脈では「資産価値」をさしています。

「立法者」たる国家政府間の協調による大規模な金融市場の規制見直しが起るはずだった、「Year of Legislation」が、いささか不完全燃焼に終わった後、市場は流動性が低くなったまま放置されている金融資産に対して容赦ない「価値の再評価」を突きつけてくることが金融関係者の間では予想されています。

しかしこの「価値の再評価」という言葉は、私の目にはその文脈を超えて、多くの示唆に富むものとして映りました。

いったい今の世界において何が「価値」を形成するのか。

市場にその価値の再評価を迫られているのは、なにも金融資産だけではありません。

賢明なアゴラの読者はもうお気づきでしょうが、ここのところのアゴラ誌上では「(日本の)大学教育」の価値に対して疑問を提示し、「大卒就職」という慣習の本質に疑義を呈し、「起業」というオプションの価値を議論してきました。

これらの身近な「従来の価値観」への挑戦も、この大きな「価値再評価」の波の一部と言ってさしつかえないでしょう。そして、これはひいては「日本の価値」というものが、世界規模で再評価されているという、現在進行形のプロセスに包括されています。

世界的規模において、よりグローバル経済の実体に軸足をおいた「価値」の再評価が始まるのだとすれば、それは新たな時代の始まりを意味するものではないでしょうか。

かなりの荒れ模様となりそうな2011年ですが、嵐につかまった場合、一番重要なのは自らの現在地点を常に把握しておくことです。私としましては「成功毎在苦窮日」のモットーを忘れずに、自らの「価値観」や「考え方」を機会あるごとに見直し、再確認しつつ、干支のウサギのごとく荒波のその先を走り抜けていきたいと考えています。