菅首相の説明では、社会保障維持の為に消費税増税を検討する必要があり、此の分野に明るい与謝野議員を他党から招聘したとの話である。先ず以て、国の将来に拘わる重要課題を、70才を超えた老人に丸投げする菅首相の政治センスには呆れて声も出ない。
30代、40代の若手を中心に、議論に参加出来るのなら20代の議員も入れて熟議すべきである。国の将来の為と称し、太平洋戦争開戦を決めたのは、この種の老人である。そして、結果流されずに済んだ、多くの無垢な若者の血が流された。
それから、この種の、「あれか、此れか」的な議論はシェークスピアのハムレットの悲惨な結末を見るまでも無く、何時も良い結果には至らない。「To be or not to be」が思考の硬直化を引き寄せるのだろう。
国民が、一緒に考えろと言われても、妙案浮かばず、結果政府への一任。政府は官僚への丸投げと成り、国民が気が付いた時は、「官僚パラダイス」の制度設計完成後で、何時もの通り後の祭りと成る。
それでは、何故この様な、隘路に嵌まり込むが如き議論と成るのであろう。それは、古く成って既に機能しない、今の行政の仕組みや、行政に寄生する既得権益ありきで物を考えるからである。
それ故、将来が長い若い議員を中心として議論すべきんなのである。何を議論するかと言えば、社会保障と消費税増税の前提と成る将来の「国」のあるべき姿である。
現行制度を維持したままで、幾ら消費税を増税した所で、これ程老人人口が既に多く、且つ団塊世代が、間もなく社会保障にぶら下ると成れば、あっと言う間に足り無く成る筈である。
税収増えれば、行政は更に肥大化するだろうし、税に群がる既得権者も増殖し、あっと言う間に食い尽くされるに決まって居る。そして、行き着く先は更なる増税である。ある意、味壁打ちテニスの光景に似ているでは無いか。
結果は、無論無残な、大不況と、大失業時代の到来である。そして、此れは失業手当等の社会保障費の増額を意味し、日本は増税スパイラルの罠にがっちり捕捉されてしまう。
矢張り、国の在り方、社会の仕組みを根底から再構築する必要がある。キーワードは「個人の自立」、「地方の自立」では無いか。国や行政に依存しない、強くて、しなやかな国民の存在こそが先ずありきである。次いで、財源含め、国から地方に権限を委譲する事に拠って出来る、透明で、効率的、低コストの地方行政サービスの再構築である。
老人問題を担保にしての、消費税増税であるが、そもそも、税を財源として、国が老人の面倒を見ると言う事が、本当に老人を幸せにするのか、と言うのが、基本的な疑問である。
社会保障を担当する行政が肥大化し、税に寄生する業者、既得権益者が大喜びなのは間違いない。
犠牲者は、無論増税の、痛みに耐えるしかない一般国民である。
こういう仕組みが焙り出されると、どうも胡散臭く感じられるのは私だけではあるまい。
矢張り、此の問題解決の為には、能力もあり、勤労意欲もある老人に、仕事の場を提供する事である。老人を採用する企業には、法人税を減税する、とかのインセンテイブを与えれば採用に向かう企業想像するより、ずっと多いと思う。無論、此れと併行して、老人に成っても、働き続ける事を可能とする、キャリアパスの構築が重要である。
一方、健康だが仕事を此れ以上したくない、或いは体が弱って働けない、老人対策も重要である。一つ提案であるが、人件費の高い日本での介護は贅沢と割り切ってはどうだろうか。
優しく、敬老精神に富み、若年層の労働力の豊かな、インドネシア、フィリッピン、ベトナム、マレーシアに相手国政府と協議の上、老人村を建設してはどうだろうか。
こう言った国では、年間、100万円程度で衣、食、住が賄え、日本よりも遥かに高い生活レベルが維持出来る様に思える。
そして、今後需要が増大する、原子力発電所と連携させるのも可能では無いか。原子力発電所に隣接する敷地に日本村を併せ建設し、日本の老人を受け入れて貰うのである。
原子力発電所の建設費用を10年間の老人受け入れで返済して貰うのだ。原子力発電所の建設コストが5,000億円とすれば;
5,000億円÷@100万円÷10年=5万人と成り、原発を建設する事で日本の老人5万人を10年間面倒見て貰える試算である。機能しない行政や、既得権者に貪られてる税がゼロに成る訳である。
日本のメリットは、政府として老人に拘わる、実に重い、社会保障費をバランスシートから外せるメリット、そして老人に取っての日本に留まるより良い生活環境の実現である。
一方、相手国政府のメリットとしては高額で購入を躊躇していた、原子力発電所の建設と若者の雇用の創出である。
先ず、増税ありきの発想からでは無く、こういった柔軟な企画を現政権には考えて欲しい物である。
山口 巌
ファーイーストコンサルティングファーム 代表取締役
コメント
消費税増税だけしても問題の先送りに過ぎないというのは全く同感です。
今後数十年の人口動態と(正確は無理にしろ、ある程度保守的に)経済成長率を見積もり、それをベースに支出側の目算を立てた上での増税でない限り、(財政破綻or大幅なインフレの確率が上がるとしても)私は受け入れません。
まあ、簡単に解決出来る話でないのは良く分かるんですけどね。
山口さんの提案含め、人口動態をポジティブにする移民受け入れや成長性を高める規制緩和なども一長一短があり、かつどれか一つで解決出来るわけでもないですし。
国民の側もどういう痛みをどこまで受け入れるのか、覚悟が必要でしょう。
老人であるということをもって批判するというのは
全く合理性を欠くものです。太平洋戦争云々との
関連性も不明です。
こうした感情的な批判は慎まれるべきでしょう。
また、人は誰しも老います。
医療が発達した現在、今若い人も同じように長寿
となることでしょう。
今、老人である人と違うのは生まれた時代の
違いに過ぎず、かつ老人となった世代の正負の
遺産のもとに、現在の世代がある。
今の老人が現役世代のお荷物として突然に
出現したかのようなことはありえません。
現役世代は、その収入は、前の世代とは
無関係に発生しているとでもいうのでしょうか?
無論、少子高齢化を生み出した一定の要因に
ついて前の世代にそれをもとめることは妥当
であるが、その要因には女性の多様な生き方
など、今の世代の価値観としても評価できる
ものがあり、それに続く働く女性の出産の問題
などは現在でも十分な対処が出来ているとは
言いがたい。将来の世代からしてみれば、
現役世代も批判の対象となることでしょう。
こうした問題について、世代間の問題に矮小化
してしまう原因は、政策を考える際に人間が生ま
れ、育ち、老い、そうして世代が続いてゆくという
ことについて想像力を失っているということです。
そうした想像力の欠如による、政策における
人間としての生き方の優先順位の低下こそが、
老い、少子化という問題として現れたものと考える
べきあり、同じ過ちを繰り返しかねないものです。
財政的な限界はありますが、同じ人として
老いたるものも、若きものも、出来る負担を行い
今後の世代までも見据えた対処をしなければ
なりません。
負担、つまり増税をすれば行政が肥大化する
などという副次的な理由で問題を先送りしては
ならないのです。それは国民、自らの無能を
吐露しているにすぎません。
>2
世代会計を無視したこのようなロジックは聞き飽きました。
年金が賦課方式だと厚労省も認めているのに、いつまでこんなことを言い続けるんでしょうか?
たとえ若い世代が上の世代から生まれ育てられたとしても、そこには重大な見落としがあります。それは、次世代を産み育てずに自分の年金だけはもらうというフリーライダーがいることです。老人医療費ももちろん、その時の納税者の負担で成り立ってます。次の世代を育てなかった人に、それをタダ乗りされるんです。
公平を言うんなら、次世代を育てない人には相当の課税をしなくちゃいけない。子育ての直接費と失われる機会費用も含めてね。
だから、育てた人も育てなかった人も公平に負担・受益するよう、年金や医療は保険として積立方式にすべきなんです。
賦課方式を認めている限り、世代間格差を無視するわけには行かないでしょう。
ご提案の趣旨は分かりますが、5万人という数字はあまりに小さく、焼け石に水としか言いようがありませんね。 数字を伴った議論が大事で、天下りで税金が無駄に消費されている云々といった話も、実は数字の上ではどうでもよいことです。
こういった一種感情的な議論で、物事が左右されるのは困ったことです。 もう少し大局的な立場に立てないものでしょうか。
一般国民は消費増税の犠牲者というのも全くの誤りでしょう。 現在、国民の預金や年金で国債を買い支えているわけですが(国民の大部分は無意識のうちに)、その国民の資産である国債に十分な価値の裏付けがないのですから、増税でそれに価値の裏付けをするか、歳出の削減で、コントロール可能な規模に抑制しないと、結局は国民が犠牲になるわけです。
良くある、財務省の策動で増税が、といった見方、言い方もインチキで、彼らが悪者であるかのような誤解、曲解が流布されていますが、要するに政治家が彼らを悪者にして、自分が正義の味方という演出に過ぎないですね。
>>3
認めるも認めないも、公的年金は賦課方式
ですし、それを認める認めないなどということに
反論としての意味はないでしょう。
また、前の世代は自分で産み育てることがなくとも、
税負担をはじめとして社会の一端を担うことで、
次の世代を支えているわけです。
学校の建設その他が、子供のある者の負担のみ
でなされているなどとは考えておられないでしょう?
あまり即物的な考え方はどうかと思いますよ。
東南アジアの原子力発電所隣接の老人ホームに日本人の年寄りを住まわせる?これって体の良い「姨捨山」じゃないですか?原発の隣に住みたい人なんかいますか?山口さん、まだ正月の屠蘇が抜けてないのでは?
私もまだ二日酔いの状態ですので、正月にみた初夢を披露します。10年後、首相になった小泉進次郎が画期的な老人福祉法案を成立させた。生活保護を受ける難聴の老人を全て沖縄に強制移住、政府が買い上げた基地周辺に居住させることになった。老人達に米軍機の騒音は全く聞こえず、温暖な冬は極めて快適と好評。他の感覚も鈍っているので、夏の暑さも気にならず冷房も不要とのこと。日本人と違いボランティア精神に溢れた米軍の若者は無償で日本の老人の世話をしている。政府の老人福祉予算は半減、沖縄への基地対策費も全く不要となった。
税優遇などで高齢者採用にインセンティブを与えたところでマクロ景気が改善しない限り求人のパイは決まっている。
高齢者が採用された分、中年や若年者があぶれるだけだ。
この国はマクロ経済についてなぜこれほど思考停止状態が長く続いているのか全く理解できない。
世界で唯一、長期のデフレ不況にあり世界中から「日本のようになりたくない」と言われ続けているのを国民は知っているのか。
小手先のミクロ政策には実に御執心だが、そんな議論は100年やってもデフレ不況は解消しない。
ほかの先進国より日本の景気回復が遅いのは、日本人お得意の「日本は特別だから論」に浸っているからなのか。
残念ながら日本が特別なのは日銀を始めとした役人支配を自ら変革できず、そのエクスキューズに無駄なミクロ論議を長々とやっていることぐらいだ。
問題の本質を理解できず、あるいは敢えて避けている限り日本の景気は未来永劫改善しない。
景気循環である程度回復しても小さな山が短期間現れたと思ったらまた深い谷がやってくる。
一体こんな事を日本人は何年やっているのか。
単に頭が悪いだけですか?
>5
日本の預貯金の何割を高齢者世帯が持っているのか、そして政府に積み上がった巨額の債務は誰が税負担しなかったからなのか。年金・医療・介護など老人関連の公的補助と、子育てにかかる公的補助の規模の呆れるほどの差は、何度も指摘されてますよ。普通に考えて誰にでもわかる事実を無視しちゃいけません。
日本にいるすべての人に親はいたけど、子供がいるわけじゃないです。老後の負担を若者に押し付け、巨額の債務の支払をこれから育とうとする子に押し付けるのがいかに不正義か、考えたこともないならわからないでしょうが、ちょっと考えればわかることです。
年金を賦課方式から積立方式に移行しろという提言を鈴木亘教授がしていることも知らないのですか。
学校建設費の恩恵なんて、今の老人だって被ってるでしょう。おかしな詭弁はやめてください。即物的な考えが卑しいというなら、税負担をしないで預貯金を積み上げてる老人は即物的じゃないとでも言うんですか?