なぜ「財政破綻させるべき」論がないのか? ‐ 伊東 良平

アゴラ編集部

日本の財政状態を考えるとき、「日本は財政破綻をするか」の議論ばかりで、「日本を財政破綻させるべきか」の議論が見当たらない。これの議論はタブーなのか。

日本は経常黒字を毎年計上しており、国内の資金循環だけをみれば、国民の金は余っており、対外資産が年々積み上がっている。このことから、日本国政府が外的要因から「財政破綻」することはないのは明らかである。このような状況下で国の債務を解消する方法は、増税により積み上がった国債を消却するか、国債を直接・間接的に中央銀行が買入れてインフレにするか、どちらかの「選択」しかない。


この選択の違いは、増税は政策決定により行われるが、インフレは不作為に起こる、という違いだけである。ではインフレになるとして、終戦直後のようなハイパーインフレが起こるか。答えは「ノー」である。

日本円は、国際通貨として国内外の金融機関が決済以外の目的で多額に保有している。仮に日本の通貨価値が膨張して価値が大幅に減ると、世界各地の金融機関と投資家が円を売る。円が売られれば当然円安になるが、日本の国内産業の輸出競争力が増すため、日本経済の崩壊のクッションになる。現在の日本が終戦直後と違うのは、現在の日本には十分な「生産手段」があり、日本経済に不足しているものは、エネルギーや鉱物などの「資源」だけである。

日本のこれからの「財政破綻」により起こることは、円安による資源インフレである。円の国際的価値が1/4に下落し、石油の国内価格が今の4倍になっても、米の生産が回復して10キロ4000円ほどで買えれば、水資源が豊富なわが国経済は、「崩壊」しない。

日本国民に将来に待ち受けているものは、ショック的なハイパーインフレではなく、5年から10年で徐々に進行する円安である。円安がスタートするのは、高齢化と生産人口の減少が進み、経常収支が赤字に転換したときだろう。その後の日本人は、対外資産を「切り売り」して鉱物資源と食糧を手に入れなければ、生活を続けられない。

日本はここ20年間、経常収支の赤字による自国通貨安を経験していない。そのため多くの「識者」は円安が長期で進行すると何が起こるのか、を論じてこなかった。このため多くの国民が、円安継続下における経済運営のあり方を「体感」していない。恐らくはバブル期とは反対の現象である、資源インフレと資産デフレ(バブル期は逆が起こった)が進行すると思われるが、それによる日本経済への影響の程度と内容が、想像できない。

日本国の債務を政策的に解消する方法は将来の増税しかないが、増税は現在資産のない国民にも負担がかかる。インフレは国民全体が苦しむものであり、為政者は通常インフレを恐れるが、通貨価値の下落によるインフレは、資産のない者には負担が小さい。毎日の消費を労働で賄っている「勤労者」には、円安は自らの労働市場での競争力が高まるため、国内の生産要素の基盤がしっかりしている限り悪いことではない。対して日本円で資産を持っている者にとっては、円安は保有資産の目減りを意味するので負担になる。

日本の財政破綻を本当に食い止めようとするならば、増税を考えるのではなく、いっそのこと国債費を減らすことを考えればよい。つまり国債の満額償還をやめるのだ。

それが「財政破綻」だというかもしれない。それは違う。企業も「破綻」させる前にADRなどの方法で救済することがある。国も同じように救済する手がある。国家の大幅な「リストラ」を条件に、国債の償還額を切り下げ(国の借金の棒引)る。民間の金融機関にはあらかじめ「通告」して、事前に国債を売らせる。郵貯銀行は債務超過の会社として、債権者(貯金者)に債権放棄(貯金の減額)を求める。
 
すなわち、日本国を「計画倒産」させるのだ。日本の「財政破綻」が突然起こればショックが大きいが、国債の価値が徐々に目減りする(金利上昇と円安の同時進行)方法を取れば、日本国民は生き延びられる。現在の日本は、国の債務(国債)が増え続け、国民の国に対する債権(貨幣)が増え続けているだけである。貨幣という債権も、貸し倒れることがある、と思えば、生活は維持できる。

資産のない者に税負担を掛ければ、生活が立ち行かなくなり、「死を選ぶ」者が増える可能性が高い。一方、資産のある者から資産を奪っても、生活を脅かすほどでなければ、「死の危険」はない。これからの日本に必要なのは、通貨という「債権」の放棄要請と、その代価としての「国のリストラ」である。
(伊東 良平  不動産鑑定士)

コメント

  1. いわせた より:

    今まで私の主張したかったことがすっきりと書かれていて素直に悔しいと思わされました。全面的に支持します

  2. すばらしい。消費税を10%に増税したって日本の1000兆の借金には焼け石に水なのに,庶民の暮らしには大迷惑で私など路頭に迷うくらいの一大事で途方に暮れていたところです。アゲシオやらリフレやらいまいち胡散臭く,まして現政権の「増税による景気回復」なんて世迷言を聞かされていた身には,日本国の「計画倒産」という処方箋は,ストンと胸に落ちました。その薬を飲ませてください。誰かその政策をやってくれる政治家はいませんか。

  3. worldcomw より:

    基本的な考え方は私と同じですが、私には答えの無い疑問点もあります。

    ・金利上昇&円安がコントロール可能か
    ・大規模な取り付けが起きないか
    ・現物資産(特に貴金属)への逃避が起こり、暴騰など世界へ悪影響を及ぼさないか
    ・その際、IMFが介入しないか
    ・各種海外ファンドが介入し、利鞘を稼がないか
    ・上記の結果、例えば10倍のインフレで負債1/10・現金資産価値1/10とはならず、
     10倍のインフレで負債半分・現金資産価値1/10・ファンドが500兆円儲ける、
     というような事態にならないか

    これくらいで済むなら、現状よりはマシかもしれませんが・・・

  4. nnnhhhkkk より:

    すべてが希望的観測で語られていますが、信用というものをどう考えているのか疑問です。とくに国債の償還額を減らされたら確実に金融恐慌に発展するでしょう。日本全国で取り付け騒ぎに発展して金融システムが崩壊し、へたすると世界恐慌の引き金さえ引いてしまうのではないですか?
    それとも日本人は従順で日本国政府の奴隷だから貯金が目減りしても何も文句を言わないとでも思っているのでしょうか?常識的な感覚で考えて、そんなことされるのなら預貯金全部下ろして安全な外貨に変えようとするのではありませんか?最悪円の信用が完全崩壊して、白人の私有財産を奪い取ったあとにハイパーインフレになったジンバブエのようになる可能性はないのですか?
    最悪の場合、円通貨そのものが消滅し、日本国内ではドルしか使われなくなることだって有り得ない話ではありません。もちろん財産を没収された経験もあって、二度と日本の銀行に財産など預けなくなるでしょう。そうなったら日本国内では金融が完全に死んでしまい、生産どころではなくなってしまいます。
    貨幣という債権が一度でも貸し倒れれば、その信用を回復するのにかなり長い時間を要するでしょう。

  5. スマコン より:

     筆者です。理由があり、別のアカウントからコメントします。
     私が具体的に考える国債の元本に対する不償還率は、3~5%程度で十分と考えます。これを10年くらい継続すれば、日本経済への悪影響は小さいと考えます。
     国債の不償還を突然行えば、金融システムがクラッシュしますから、経済の基盤を破壊しかねません。しかし、これを「計画的に」行えば、金融機関はそれに応じた合理的行動を取る時間的余裕が与えられるので、影響は小さいと考えます。国債の不償還による損失は、実質的な国の機関である、日本銀行と郵貯銀行が被る、という案です。
     ライブドアニュースでは、「政府の計画倒産」という言葉が独り歩きして誤解されたかもしれませんが、国は貨幣の流動性を付与している主体そのものなので、「倒産」は法的にありえません。「計画倒産」は比喩にすぎません。その点を誤解なきよう。

  6. galois225 より:

    正直言ってここに書かれていることはお粗末だと思います。 たとえ不償還率が3から5%と低くても、一旦そういうことを始めれば、誰も国債を買わないので、政府が発行する国債は日銀が直接引き受けなくてはなりません。 この影響は諮り知れません。 

    財政破綻のようなカタストロフィーは「中間」がないのです。 割り箸を半分に折るとき、力の入れ方をしても、曲線的にグニャリと曲がることは絶対にないのと同じことで、財政破綻をゆっくり起こす方法というのは、現実的にはあり得ないのではないでしょうか。

  7. スマコン より:

    再び筆者です。
    galois225 さん、ありがとうざいます。
     実は、本説のような暴論を吐いたのは、貴殿のような反論を期待したからなのです。
     『財政破綻のようなカタストロフィーは「中間」がない』という、国債という債券の、あるいは日本円という通貨の、信用の非可塑性と非弾力性について、国民が思考訓練をしておくべきではないかと思ったからです。
     『財政破綻をゆっくり起こす方法というのは、現実的にはあり得ない』のかどうか、考えておくことによって、日本の財政状況の本質を、市民一人一人が真剣に考えるようになるのではないかと思ったからです。

     マスコミ報道も経済評論家・経済学者の論説も、形式的な議論ばかりで本質を捉えているように感じられなかったため、あえて暴論を提示し、貴殿のような見解と比較したかった。
     なぜなら、”国の信用とは何か”について、感情を入れずに冷静に議論できる場は、マスコミや公開討論などの、公式の場では得られないからです。