松本徹三さんの論にコメントした上で、私の考えを書きます。
>一般能力は相当見劣りするが英語だけができる人を採用しなければならなくなったり、一般能力は相当あるのに英語が出来ない為に落とさなくならなくなったりして
「英語で採用するとまともな人材が集まらない」問題を解決する方法は、採用を大学新卒に限らず、学歴無差別、既卒も対象とし、採用の母集団を拡大させることだと思います。デメリットとしては、年齢も学歴もバラバラの人材が入ってくることですが、英語の効用がそれを上回ると思うなら、英語で採用すべきです。
1)幼児向けの英語教材はすでにあって、幼稚園での英語教育も行われていますが、それで英語の音韻の発声、聞き分けができるようになったという人はいません。なぜなら、圧倒的に時間が足らないからです。
2)小学生が自発的に家庭学習をすることはほとんど不可能です。誰がやらせるんですか?親がですか?大半の家庭は、共働きでないと家計が維持できないのに、そんなことをさせるわけにはいかない。
3)中高の英語教育が文法中心だという妙な誤解があるようですが、とっくの昔に、オーラルコミュニケーション重視に方向転換が行われています。しかし、予備校教師、伊藤和夫(故人)の著書「予備校の英語」によると、文法を系統立てて教えなくなってから、急激に高校生の英語力が低下したとあります。
4)>受験勉強の負担はさして増大しないだろう。
現実的に考えて、英語学習を強制する社会的圧力は、大学入試と就職ぐらいしかないので、むしろ、受験勉強の負担は増える方が好ましい。しかし、入学者確保に悩む中堅以下の大学では、まともな入試を行うことは不可能でしょう。
5)>自習をしていない学生は落ちこぼれ、卒業も出来ない。
18歳人口の急減で経営の悪化している大半の大学では、自習しなくてもついていける程度に授業を易しくし、ほとんど出席だけで単位認定をするだろうと思います。単位認定を厳しくしても、学生離れを招き、経営のクビを締めるだけだからです。
私の考えは以下。
「日本人全員に高度の英語教育を行うことは不可能だし、必要でもない。英語は、必要な人が、必要になった時に、自分で勉強するべきである。学校教育は、独学可能な水準まで生徒を引き上げればいいのであり、その役目は、すでに果たしている。幼児の英語教育や小学校英語教育も不要。大学で英語による授業なんてやっても、まともにやったら誰も聞き取れなくて、内容がひどく幼稚になるから、止めた方がいい」