5年に及ぶ小泉政権の跡を襲った自民・民主両党の政権は、ここまで例外なく一年前後の短期政権に終わった。海外では“回転木馬”と揶揄されているそうだ。池田信夫氏が言うように、政治家がこの程度でも日本が大過なく過ごせるのは国民の優秀さと官僚の優秀さによるものだろう。これほどの長期の不況と政治的混乱が続けばイギリスの様に暴動が起きてもおかしくない。
戦後、日本国憲法発布後に首相は野田首相を除いて30人誕生した。そのうち、9人の在任期間は一年以内、9人が一~二年以内であり、二~三年が6人である。実に8割が3年以内に退任している。平均の在任期間は2年2ヶ月であり、衆議院の任期の半分を少し超えた程度である。つまり、衆議院の任期期間中に最低1回は総辞職なり解散総選挙なりで首相が交代しているということだ。
3年を超えて首相を務めたのは吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤榮作、中曽根康弘、小泉純一郎の6人だけ。特にこの四半世紀では中曽根と小泉だけしかいない。ということは、日本の政治体制や政治家では長期政権を作るというのは相当に難しいということなのかもしれない。では逆に上記の6人は何故長期政権を続けることが出来たのだろうか?
6人が首相を努めた時代は決して”楽な時代”ではなかった。戦後の混乱期の吉田茂、岸・池田・佐藤は安保問題に翻弄された。中曽根は激しい抵抗を乗り越えて公社やJR、JALの民営化を進めた。小泉は失われた10年に終止符を打つべく古い自民党の破壊とそれを継承するかのような民主党との苦闘があった。これはピンチをチャンスに変える力を持った首相が長期政権を維持することが出来るということなのかもしれない。
海外に目を移すと、イギリス病を乗り越えたサッチャー首相は長期政権を樹立した。平坦な時代ではない中でリーダーシップを発揮して多くの支持を集めた。これは長期政権を実現した日本の首相にも当てはまる。
任期途中に首相が退任に追い込まれることは、「金枝篇」で言う“王殺し”なのかもしれない。古代に天変地異が続くと“王の責任”として王は犠牲に捧げられ新しい王が誕生した。首相が今の状況を打開出来ない限り、首相の首はすげ替えられる。斯くして木馬は回転し続けることになる。
木馬の回転を止めた小泉政権期は今のところ最後の経済成長をもたらした。決して社会情勢は良くなかったが、規制緩和をはじめとする改革を進め、その象徴は郵政民営化であった。野田政権にはこの小泉政権の功績を振り返ることからはじめて欲しいものだ。
(8月30日付の記事に大幅に追記、改訂して掲載)
古川賢太郎
ブログ:賢太郎の物書き修行
Follow @Kenta6