この記事は私の「今は『円高』ではない」という記事へのコメントだと思いますが、そのコメント欄でも補足したように、これは円高が(リフレ派のいうように)貨幣的なデフレだけで起こっているとすれば問題がないという意味で、実際にはもちろんそうではありません。大事なのは一般物価の下がるデフレではなく、相対価格の変化なのです。
これは国際経済学では、バラッサ=サミュエルソン効果としてよく知られている話です。部門間で生産性上昇率に大きな格差がある場合、新興国との競争で貿易財の価格が下がると、国内の労働需要が減って賃金が下がり、非貿易財の価格も下がるのです。実際に日本の実質賃金も下がっており、これによって散髪の料金を4000円も取らなくても、1000円で採算が合うようになり、客が増えて利益も上がるわけです。
つまり国際競争が価格に直接影響するのは製造業だけですが、先進国の相対価格の低下(disinflation)は労働市場を通じてサービス業にも影響し、経済全体に波及するのです。いま日本で起きている「デフレ」の大部分は、こうしたグローバル化によって要素価格が均等化するdisinflationであり、サービス業でもQBハウスのような「価格破壊」が起きて内外価格差が縮まっています。1000円というのは、ニューヨークの床屋とほぼ同じ「国際標準料金」です。
これは日本が自由貿易体制をとる限り避けられないし、避けるべきではない。国際競争によって国内市場の労働生産性を高める圧力が強まっているとき、TPPを延期したりしてその圧力を弱めると、価格が高止まりして消費者の利益をそこなうばかりでなく、生産性の低い床屋が残ってサービス業が成長しません。まして洗髪台条例などの規制で古い床屋を保護しようとすると、美容院など他の業界に客が逃げるでしょう。
このように規制に守られて相対的に高い日本のサービス価格が間接的に国際競争にさらされて下がっていることが、ここ十数年のdisinflationの原因であり、ビッグマック指数でみると現在のドル/円レートは購買力平価にほぼ見合っています。しかし、これによって自動車や電機のように生産性の高い(国内価格の下がっていない)部門は大幅な円高になり、資本の海外逃避が起こります。
世界市場が統合されるにつれて「一物一価」になる傾向は、万有引力の法則みたいなものなので、それを止める政策は残念ながらありません。低賃金の新興国でつくれる工業製品を日本でつくることは、合理的ではないのです。長い目で見ると、日本に残るのは高度な知識を要する(新興国にまねできない)ソフトウェアや金融などの産業と、床屋のような個人向けサービス業の二種類しかないでしょう。
それに対応するには、規制を撤廃して労働力を知識集約的な産業に移動し、サービス業の労働生産性を高めて雇用を増やすしかない。日本経済がいつまでたっても回復しないのは、新しい雇用を生み出すQBハウスのようなイノベーターが少なく、しかもそういう挑戦者を「ユニクロ型デフレ」などと言って排撃する人がいるからなのです。
野田首相が就任後初めての外出でQBハウスに行ったのが、「これがグローバリゼーションの中で日本のサービス業が生きる道だ」ということを示すためだとすれば、野田政権には意外に期待がもてるかもしれません。