摂氏1085度:銅線が融けるとき --- 純丘曜彰博士

アゴラ編集部

マイケル・ムーアの『華氏911』で、そのタイトルの元となった、古いブラッドベリのSF『華氏451』が世間にも知られるようになったが、肝心なところが誤解されている。ムーアは、アメリカの自由が燃やされてしまった日、という意味のようだが、ブラッドベリの『451』は、じつは、けっして政治的な検閲焚書や思想統制を扱った話ではない。それは、まさに本自体が自分で自然発火して消滅してしまう時代のことだ。ブラッドベリが恐れていたのは、ラジオやテレビなど直観的なメディアが人間の思考そのものを支配してしまうことであり、むしろ、まさにブッシュやムーアのように映像で一瞬にして人心を操作しようとする新時代のデマゴーグの到来だった。


マクルーハンの言うように、メディアこそが我々の思考を規定する。「情報」と言えば聞こえがいいが、その実体はセンセーショナルなキャッチコピーにスキャンダラスなヘッドライン、押しつけメールにカリスマツィッターと、脈絡のない断片の言葉ばかり。我々の頭は、もはや通俗スポーツ紙の見出しの切り抜きを集めたスクラップブックのようだ。そのうえ、人の話など聞かず、耳から口へと筋肉反射する。だが、とにかく言い散らして、周囲を圧倒した者が勝ち。だから、商品でも、映画でも、子供が口ずさむほど、大人でも夢に見るほど、意味もないフレーズを大量に繰り返し、人々の耳に流し込む。

こんな状態でも、かろうじてなんとかなっているのは、共通の文化基盤があるからこそ。しかし、それも、今後は危うい。かつて欧米は、キリスト教会や大学留学生の人脈によって、第三世界までを包み込む国際的ネットワークを持っていた。ポルポトやカダフィのような独裁者たちが外交の綱渡りで君臨できたのも、彼らに留学経験があり、欧米と隠喩的なメッセージをやりとりできたからだ。しかし、いま、世界各地で狼煙を上げているのは、まったくのドメスティックな連中。貿易交渉などで騒いでいるのも、同類だ。

ここでは、共通の文化基盤がない。それどころか、共通の基盤を築くこと自体が、利敵行為になるという猜疑心で凝り固まっている。だから、一方的に喚き散らし、示威行為だけで相手を威圧しようとする。まあ、明治維新以前のようなものだ、いずれボーダレスになるだろう、などという楽観論は、むしろいまや世界各地で崩れつつある。歴史を振り返れば、自由・平等・博愛を訴えたナポレオン戦争の後に帝国主義が現れ、独裁主義枢軸国に対する民主主義連合国の勝利の後に鉄のカーテンが敷かれた。それを、当時、誰が予想できただろうか。だが、歴史は、前へ進めば、かならず強烈な反動復古がやってくる。

いまはインターネットが、などと言っても、政治は、必要とあれば、ベルリンに物理的な壁を作って、乗り越える人間を射殺する。例の高速計算機にしても、通信を麻痺させるハッキングの強力な戦略兵器になりうる。もっとも、いまさら国民国家でもあるまい。ドメスティックな連中は、もっと狭い地域集団を作って立て籠もるだろうが、それよりも、世界を横断して、絶対的に越えがたい貧富の壁が築かれるだろう。

かくして、人類は、やがて、それぞれかってにスローガンだけ叫び散らすサルになる。だれも聞く耳は持つまい。いくら通信回線があっても、言葉が通じないのだ。さらには、誰が誰に叫んでいるのかすらわからない声だけが、メディアジャングルに響き渡ることになる。だいいち、この1600字程度の文章ですら、もう、わけわかんねぇよ、このクソおやじっ、と、言って済ます連中の方が、すでに現実に多いのだろうから。

純丘曜彰博士(大阪芸術大学芸術計画学科教授/元テレビ朝日報道局報道制作部『朝
まで生テレビ!』ブレーン)