『「TPP開国論」のウソ』のウソ

池田 信夫

「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった
著者:東谷 暁、三橋 貴明、中野 剛志
販売元:飛鳥新社
(2011-05-14)
販売元:Amazon.co.jp
★☆☆☆☆


TPPをめぐる騒動は、首相の参加表明で一段落するかと思ったら、まだ続いている。今回の特徴は、新聞では(朝日から産経まで)反対論はほとんどないのに、ワイドショーやネットメディアで反対論が強いことだ。それは反対派が、新聞記者でもわかる程度の初歩的なロジックも理解していないからだ。それを示しているのが本書である。このコラムは良書を紹介するとともに悪書を駆逐する目的もあるので、あえて取り上げた。画像にはリンクを張ってない。

本書で間違いを探すのは容易で、正しい記述をさがすのがむずかしい。著者が3人とも、根本的な勘違いにもとづいて本を書いているからだ。たとえば三橋貴明氏は、比較優位の原理を否定して「自由貿易でデフレが起こる」と主張する:

デフレの時にTPPに参加してはいけない理由は、自由貿易がインフレ対策だからです。[・・・]リカードの時代はずっとインフレ傾向でしたら、モノの消費が増えればよかった。しかしデフレの時に自由貿易を進めれば、物価はさらに下がります。(本書p.36)

自由貿易がインフレ対策だという話は、リカードもびっくりの珍説だ。同様の記述は中野剛志氏も繰り返しているが、大学で経済学を学んだ人ならわかるように、自由貿易と物価水準は関係ない。関税を撤廃すると下がるのは一般物価水準ではなく、個々の財の相対価格(交易条件)である。交易条件の改善は消費者の利益になるので、自由貿易は望ましい。

授業ならこう説明すれば終わりだが、これで納得しない人が多いようなので、具体的に考えてみよう。たとえばコメの国際価格は国内の約3倍だから、関税を撤廃すると国内米の1/3ぐらいの価格のコメが輸入されるだろう。それによってコメの価格は下がるが、貨幣量は変わらないので物価水準は変わらない。このとき消費者はコメの価格が下がった分の所得で別の財を買うので総需要は変わらず、デフレにもインフレにもならない。

三橋氏は「比較優位はインフレのときの理論だ」とかわけのわからないことを言っているが、クルーグマンの例でもわかるように、比較優位の説明に貨幣は出てこない。バラとコンピュータという実物ベースで考えているので、物々交換でも比較優位は成り立つのだ。いくら三橋氏や中野氏が経済学を知らなくても、貨幣のない経済でデフレが起こらないことぐらいわかるだろう。

こういう彼らの誤解は、リフレ派と共通である。物価水準と相対価格を区別できず、「なんとなく景気が悪い」という感じを「デフレ」と表現しているのだ。デフレは不況の結果であって原因ではない。好況のときデフレになることもあるし、今のようにマイルドなものであれば予想に織り込まれるので経済活動に中立だ。日本でデフレと称される現象の大部分は、相対価格の変化である。

そして東谷暁氏は「TPPに入ったら、ゼネコンは談合すれすれの情報交換ができなくなるからやめたほうがいい」という。語るに落ちるとは、このことだ。彼らがいろいろな理屈で守ろうとしているのは、農協や医師会やゼネコンに代表される「古い日本」の既得権なのである。

追記:これ以外の非関税障壁についての細かい話は、決まっていない話を憶測する被害妄想。ISDSについては江田憲司氏が解説している。