テクノジー領域における世界経済は、「プラットフォーム」をいかに押さえるかという一点が肝要だと言われる。入口を全て押さえてしまえば、主導権を握って自社がいかに利潤をあげるかというエコシステムを形成することが出来るからだ。プラットフォームを支配する企業はルールを作り、プラットフォームに参画する企業はそのルールに従うことになる。
そして、日本企業はプラットフォームという「仕組み」ではなく、プロダクトという「ものづくり」単体で儲けようという発想から抜けきれなかったため、取り残されつつあるという論評が一般的となっている。
市場を支配出来るプラットフォームの誕生は、イノベーションとセットになっている。Facebookはソーシャルというイノベーションのプラットフォームとなり、twitterは「リアルタイムソーシャル」というイノベーションのプラットフォームとなったように。イノベーションの出現を予期することは難しいが、サービスを投下するタイミングが最重要であると思えてならない。IBMに取って変ったマイクロソフト、マイクロソフトに取って変わろうとしているgoogle、そして2000年代半ばに生まれたFacebook。いずれもプロダクトが素晴らしいという前提はあるが、タイミングにも恵まれていたと思う。例えばFacebook以前にも2000年頃にソーシャルサイトは米国で誕生していたが、普及するには至らなかった。これらの成功したサービス以外にも、同じくらい優秀な人々が世にサービスを送り続けていたはずだ。成功したブラックワン(予測の出来ない突然変異)の数万倍、成功しなかった白鳥たちがいるに違いない。タイミングという蓋然性に影響されて、数千のサービスの中から数個のプラットフォームが誕生したのではないだろうか。
日本も新たなイノベーションを起こしてプラットフォームを確立することは可能なのだろうか。米国と同じ環境を整備して市場にたえまなく”仕組みのサービス”を送り続けたとしても、ブラックスワンが現れるのは明日かもしれないし、10年後かもしれない。
私が思う解としては、「出口を押えること」と「小さなフレーミングの転換」の実行だと思う。「出口を押えること」とは、入口としてのプラットフォームが押えられているのであれば、一定規模の出口を押えられないかということだ。例えばFacebookにおける入口がソーシャルであれば、出口はそこから得られるビックデータのマイニングであるし、googleにおける入口が検索であればSEOによってクエリーを握ることが出口に相当する。例えば検索に関しては料理についてのキーワードを入れるとたいてい「クックパッド」が検出されるし、最近はパソコンの設定方法などを検索すると、ハウツーサイトの「nanapi」が検出される。意図的かどうかは分からないが、「料理」や「ハウツー」という検索ワードにおける一定ボリュームのジャンルをカバーすることにより結果的に出口を押えることになっている。
そして「小さなフレーミングの転換」は、ミニマムスタートのイノベーション、要は発想の転換である。最近google+でしばしば面白いビデオが共有されるのだが、よくよく見たらただのGIFアニメーションであった。ストリーミング再生では再生ボタンを能動的にクリックしなければならないが、GIFアニメであればページが読み込まれれば再生されるため拡散しやすいのだ。米国には、動画をgifアニメーションに変換する「gif.soup」というサービスもある。これは、gifアニメの定義を「バナー広告に動きをつけるための形式」から「ソーシャルストリームで拡散されやすい形式」としてフレーミングを再定義した発想だと思う。
しかし、最初の出口を押える方法は、川上よりも川下は広域になるため、あくまでも一定規模しかカバーすることはできない。そして、後者の小さなフレーミング転換は、成長した後に大手にバイアウトされるのが一般的だと思われる。そして、両者とも「プラットフォームの横暴」により、パージされる危険性も常にはらんでいる。
しかし、出来ることをしながら次のイノベーションのタームを目指すという点が一番大事なのではないだろうか。Appleだってガレージから生まれているし、Facebookだって始まりは大学生同士のコミュニケーションサービスだった。イノベーションとは、国の保護政策や業界団体ではなく、個人の発想と実行から生み出されるように思えてならない。
そのためには、孫正義氏が提唱するようにiPadを全国の小学に無償配布する等、これからのデジタルネイティブ世代にデバイスを行き渡らせてブラックスワンの登場し易い社会の構築が、長期的な面で見れば一番効果的なのではないだろうか。
村井愛子(@toriaezutorisan)