枝野経産相が、東電の「国有化」に言及した。この原因は、福島第一原発事故にともなう出費で東電の純資産が前期のほぼ半分の約7000億円程度になり、2013年3月期には債務超過になるおそれが出てきたためだという。奇妙な話である。
東電が実質的に債務超過になっていることは、多くの専門家が指摘したことだが、政府は「資産超過だ」と言い張り、国が賠償を立て替える「原子力損害賠償支援機構」をつくって延命してきた。そのスキームの前提となる資産評価が早くも破綻したわけだ。
経産省の検討している案では、支援機構が東電に1兆円出資し、銀行にも1兆円程度の追加融資を求めるという。これは国有化というより、不良債権処理のときも銀行に行なわれた資本注入であり、株主や債権者は丸ごと保護される。こういう中途半端なbailoutが問題を長期化させ、かえって金融危機を拡大した教訓に経産省は学んでいないのだろうか。
これと並行して枝野氏が「発電と送電の分離の検討」に言及したのも奇妙だ。政府が資本注入してゾンビ化した東電を分割することなど、できるはずがない。発電会社と送電会社に分離したら、政府出資はどっちの会社の資本になるのか。企業売却の価格は、どうやって決めるのか。東電に税金を投入することに対する批判をやわらげるために「東電を解体する」といっているのだとすれば、大きな間違いである。
われわれは7月に「原発事故の損害賠償に関する公正な処理を求める緊急提言」を出した。そこでも東電の資産査定や株主責任を曖昧にした政府の処理策は早晩行き詰まると警告したが、早くもその通りになったわけだ。ここでさらに弥縫策を重ねると、90年代のように泥沼化し、国民負担が際限なく膨張するおそれが強い。
私の提言は、5ヶ月前と同じである。東電を日本航空と同じように会社更生法で処理し、その経営再建は破産管財人のもとで法的に透明な手続きによって行なうべきだ。その際、賠償の原資を調達するために発電所を売却することも考えられ、これによって発送電の分離は実現する。これには電気事業法の改正をともなう規制改革が必要だが、これも第三者機関によって公正に決めるべきだ。
いずれにせよ、東電が実質的に債務超過に陥ることを枝野氏が認めたのだから、東電は100%減資して株主が責任を負うことが商法の鉄則である。それを抜きにして銀行に債権放棄を求めることはできないし、まして税金を投入することは許されない。賠償債権の優先順位が社債より低いというのはテクニカルな問題で、前述の提言でも解決方法を示した。
政府は東電をスケープゴートにして裁量的に「リストラ」やら「経営努力」やらを求めるのではなく、資本主義の原点に立ち返り、法的な破綻処理によって東電を再建し、ルールにもとづいて電力改革の道筋をつけるべきだ。それが結局は危機を脱却する早道であることが、不良債権で日本が高い授業料を払って学んだ教訓である。