【GEPR】放射線の事実に向き合う―本当にそれほど危険なのか?

アゴラ編集部

2012年1月2日から、アゴラ研究所は研究機関GEPRの運営を始めました。そこに掲載された論文を紹介します。

放射線の事実に向き合うー本当にそれほど危険なのか

ウェイド・アリソン
オックスフォード大学名誉教授

【要旨】(編集部作成) 放射線の基準は、市民の不安を避けるためにかなり厳格なものとなってきた。国際放射線防護委員会(ICRP)は、どんな被曝でも「合理的に達成可能な限り低い(ALARA:As Low As Reasonably Achievable)」レベルであることを守らなければならないという規制を勧告している。この基準を採用する科学的な根拠はない。福島での調査では住民の精神的ストレスが高まっていた。ALARAに基づく放射線の防護基準は見直されるべきである。


科学的知見ではなく、政治的に決まった放射線の国際基準

ある特定の場所、特定の時間において、再生可能な資源はエネルギー供給に重要な貢献を果たす事ができる。しかし、それらは完全なエネルギー問題の答えとしては高価であり、信頼性のあるものとはいえない。原子力発電は大規模に石油に代替できる唯一の有効なエネルギー源であるが、放射線への懸念により、多くの人々にとっては受け入れがたいものである。

福島の原子力事故から8ヶ月の間、原子力問題に関する報道が数多く出ている。しかし放射線による死者は出ていない。これは大変興味深いことだ。通常は、これほどメディアの注目を集め続けるような大事故であれば、何10、何100どころか何1000人もの死者が出ているものだ。福島では3基の原子炉が自壊した。

この規模だとウィンズケール(1957年、英)、スリーマイル島(1979年、米)、そしてチェルノブイリ(1986年、ウクライナ)での1基のみの原子炉事故よりも状況は悪い。しかし、チェルノブイリを除くいずれの場所でも死者はでていない。チェルノブイリでの死亡者数は、現在では50人未満であったと確定されている[1]。私たちは何か間違いを犯したのだろうか。放射線は一般に考えられているよりも害が少ないのだろうか。

放射線は途方もなく危険であるという視点は、科学よりも歴史に基づいている。冷戦時代に、放射線への恐怖は重要かつ効果的で世界に通用する兵器のようなものであり、各国の国内においても極端な反応を起こすことは避けられないものだった。当時、人々が自由な意見表明を認められていた国では、多くの人々が核兵器と放射線から解き放たれた生活を求めてデモ行進し、投票した。

こうした圧力に応え、国際放射線防護委員会(ICRP)は、今日でもなお[2]、どんな被曝であっても「合理的に達成可能な限り低い(ALARA:As Low As Reasonably Achievable)」レベルであることを守らなければならないという国際的な放射能規制を勧告している。それは岩石や空間、人の体内にある放射能といった自然界にある放射線を基準としている。「確実に安全」と思われる比較的少量の増加分の放射線のみを基準で安全と認めている。そしてそれは世論が安全と再確証を与えるものだった。しかし、その基準は「それ以上の放射線量であったら安全ではない」という意味ではないのだ。

新技術は導入に際して過剰なリスク配慮が行われる

このようなALARAレベルは立法や原子力産業の現場ですぐに重要な基準になった。しかし実際には、人々の健康を侵す危険のある水準よりも何十倍も低いままである。さらに放射線に対する恐れを和らげるために設定されたにもかかわらず、実際にはそれに失敗している。社会が情報のないままメディアに煽られ、不安を募らせたままである。そして放射能防護規制への政治的圧力はさらに制限的な方向へ向かっている。

新しい技術がもたらされる時にリスクはきちんと理解されず、監視や管理の体制は不十分だ。だから、安全に対する事前の予防策を考えるのは理屈にかなっている。例えば「機関車」が初めて登場した時、はじめは蒸気だったが後に内燃機関によって運転されるようになった。市民からの圧力を受け、時速2~4マイル[時速3~6キロ]で走らなくてはならないという安全法が1865年の赤旗法(英国)として成立した。

現代の文明化において幸運だったのは、偶然にも放射線が発見されたのと同じ年の1896年には、このような交通規制は20倍またはそれ以上に緩やかになったことである。はじめ人々は、初期段階の技術水準の交通手段は受け入れられない(また、馬を驚かすだけだだろう)と考えたが、次第に技術が改善されて事故率は低下した。人類はリスクを受け入れ利益を得ることを受けいれたのだ。

交通では今でも、人間のすぐそばを通る乗用車など、極端に危険なことがすぐそこにある。しかし人々はこういった危険を日常の中で避けている。19世紀に普及していた規制は今日では考え難いものであり、例えば子供に対して道路による移動を禁じるといったような、特別な規制を提案する人は現代にはいないだろう。

利益に対するリスクを考え、技術に向き合うべき

放射線の安全性と原子力技術の扱いを、他の技術に比べて特別にする理由などない。経験に照らし合わせて、利益に対するリスクのバランスを取りながら扱うべき問題だが、不幸なことに現実はそのようにはなっていない。1951年、安全レベルは1週間あたり3ミリシーベルト(1カ月あたり12ミリシーベルト)に設定されていた[3]。市民がこのレベルの放射線で安全にすごせる記録があったにもかかわらず、1951年以降には一般市民を対象に推奨される基準の最高値が、ALARAの名のもとに150倍低く「減らされて」設定されたのだ。これは賢明だったのだろうか。臨床医学において、個人の健康に効果のある放射線の被曝実験では、安全レベルは1週当たり3ミリシーベルトの8倍「増やして」いいかもしれないと提案されている[4]。

偶然だが、放射線をめぐる状況は、交通速度規制の緩和化と、さほど異なるものではなかった。興味深いことだが放射能を科学的に解明してノーベル賞を受賞したキューリー夫妻のうち、妻マリー・キュリーはその研究活動において莫大な量の放射線を浴びたにもかかわらず1934年まで生存した(享年66歳)。一方で夫であるピエール・キュリーは1906年パリで馬に引きずられるという交通事故で亡くなった。最も有名な科学者たちとはいえ、このケースから、放射線の危険性について結論づけるのは科学的ではないことだが。

福島、そして世界で過剰な規制によるコストの再考を

医療用の画像診断に用いられる放射線は、患者に対し内部または外部の放射線源から照射することで、1回当たり5~10ミリシーベルトの被曝量である。日本政府が最近定めた[5]放射能セシウムの基準値まで汚染された肉を食べて、この放射線量と同じ量だけ被曝するには、およそ4ヶ月の間に1トンの肉を食べなくてはならないのだ。この規制は不合理だ。福島における避難方針のよりどころとなった基準同様、これはALARAを由来としている。

その方針は1年に2回全身の CT スキャンを受けたのと同量のレベルを基準としている。放射線治療中の患者は、悪性の腫瘍をなくすために、体内で10~20センチメートル四方の組織や臓器に「1000回」、またはそれ以上の CT スキャンを受けるのと同量の被曝をしている[4、6]。そのような治療において放射線を浴びた組織および臓器は、通常機能を失うことはないし、このような放射線治療に感謝する友人や親類を持つ患者がほとんどだろう。この事実から考えても、この基準以下の放射線は無害であると確実に言えるだろう。

チェルノブイリでは、同様の食物および避難方針が、社会的および心理的に深刻なストレスをもたらし、放射線そのものよりも広範囲な健康被害をもたらしてしまった[1、4]。この不幸な過ちが、福島でも繰り返されている。厳然な統計はまだ入手できないものの、最近福島を訪れた際、私は地元自治体の首長や医師、教師などから、放射線に対する恐怖や現在の政策が、絶望を生み、ビジネスを崩壊させ、自殺の原因となり、またコミュニティを崩壊させ、高齢者の間に生きる目標を失わせているかということの、説明を受けた。

現在の厳しい放射線の「安全」基準は、科学的な視点からは支持することができないものだ。これは一般市民の漠然とした懸念に応えて生まれたものだが、これを、著しい健康に対する影響なく、おそらく1000倍程度まで緩和しても問題はないであろう[4]。

ALARA の方針をまったく採用しないことによってもたらされる世界規模でみた経済的利益は大きなものとなる。一方で原子力発電の安定化に向けて厳格に制御するためのコストの支出は続くべきであるが、原発という選択肢について支払われる安全コストの大部分は大幅に減るだろう。世界中のエネルギー消費者が、ALARA の不当な追加コスト(廃棄物の処理コストも含む)を喜んで負担するとは考え難い。この観点からみると ALARA を基準とする規制は明らかに再考されるべきである。原子力の「赤旗法」は撤廃されるべきだ。

ウェイド・アリソン氏はオックスフォード大学名誉教授。専攻は核物理学、放射線医学。著書に『放射能と理性』(徳間書店)(英語版ガイダンス
(アリソン氏の略歴

脚注のリンク
[1]IAEA Report (2006)and UN Report (2011)
[2] ICRP Report 103 (2007)
[3] reference [2] p. 35
[4] Radiation and Reason (2009)
[5] Royal College of Radiologists (2006)
[6] Japanese Govt. Regulation, 27 July 2011