(続き)私は、この学校理事会の下に教育長をおいて学校経営にあたらせるべきだと考えていますが、この民主党の考え方にはおおむね賛成です。しかし、これを大阪府教育基本条例案に規定する地方教育行政組織に見てみると、そもそも府教委の教育委員は現行法では知事が任命し議会の同意を受けているのに、その教育委員に対する不信が露骨に現れています。その結果、知事が学校教育目標を設定したり、その目標を実現できない教育委員を罷免したり、議会を通じて知事が府教育委員会に是正要請をするなどの規定が見られます。
また、教職員の人事任用制度のあり方について、現行の県費負担教職員制度は、教職員の任命権・給与負担と服務監督権が都道府県と市町村に分離しているために、学校経営の責任主体が都道府県教委にあるのか市町村教委にあるのか分からなくなっていることが問題なのです。従って、これを是正するためには、現在都道府県教委に置かれている教職員の任免権を市町村教委に一本化する必要がありますが、従来、小規模市町村の学校管理能力に限界があるため、現在は政令指定都市のみに任命権が委譲されているのです。
また、教育委員会制度そのものも、行政委員会として長部局に対する相対的自律性が保障されていますが、現実的には、予算編成権や予算執行権は長にあり、また、市町村教育委員会事務局の人事権は、指導主事等専門的教職員を除いて長が握っています。都道府県教育委員会の場合は、事務局の人事権を巡って教職と行政職の間で綱引きが行われますが、これは、都道府県教職員組合の組織状況によっても大きく左右される。つまり教育委員会の自律性はこうした事情によっても左右されるのです。
おそらく、大阪府の教職員団体の組織率は高いので、橋下氏にとってはそれが白河法皇における「山法師」のようなものに見えたのでしょう。ただ、その団体交渉の様子をYOUTUBEで見ると、職員団体の分が悪いようですが・・・。いずれにしても、これらの問題は、学校経営の管理主体がどこにあるのか。学校か、教育委員会か、あるいは自治体の長かが判らなくなっていることが原因なのです。従って、この問題さえ解決できれば、教職員の職務モラルは高いですから、自ずと専門的リーダーシップを発揮する方向で問題解決が可能になると思います。
では、以上述べたような問題点を持つ現行教育委員会制度をどのように改革すべきかということですが、これを橋下氏が構想している大阪都構想に即して言えば、まず、学校管理の最終責任は区長が負う。区長は区内の学校の経営にあたる教育長を任命する。また、その教育長による区学校経営の監督機関として保護者、地域住民、学校評議会委員、教育専門家等よりなる学校理事会(=教育委員会)を置く。区長は、この学校理事会の意見を踏まえて教育長の任命・解職を行う。また、学校には校長の他、当該校の学校経営を評価する学校評議会を置く。
では、このように区長を区の学校経営の最終的な責任主体とした場合、大阪都はどういう役割を果たすべきか、ということですが、都は都全体の広義教育行政機能(給料表の作成や勤務条件の基準の設定等)を担う事になると思います。それは、知事部局の部課で処理すればよく、合議制の教育委員会を置く必要はないと思います。また、採用試験を都が行うとしても、実際の採用・転任、昇任・昇格等は区教育長の権限とする。教科書採択は折角教科書検定制度があるのですから、できるだけ学校の裁量権を拡大すべきです。
なお、国には、民主党の政策集にあるような「中央教育委員会」を設置する必要があります。ここでは、全国的な教育基準の設定や、教育研究・教職員研修、教育内容研究や指導技術の開発、各種教育資料の提供、教育の機会均等を保障するための教育予算の確保、教員免許の授与(教員免許を国家試験とする)、教職員定数標準の設定等の、国の教育行政の全体的枠組みを設定します。
以上、大阪都構想に即して、あるべき地方教育行制度改革のあり方を述べてきましたが、このためには、現行教育委員会制度の抜本的改革がどうしても必要です。実は、このような教育委員会制度の改革の必要性については、過去、教育改革論議がなされるたびに繰り返し指摘されてきたのですが、その都度換骨奪胎されてしまいました。なぜか。その最大の理由は、この地方教育行政組織を巡る関係者の利害が、同床異夢で不思議に一致しているからです。
というのは、教職員にとっては管理機関は弱体の方がいい。市町村長には予算権がある。市町村教委は人事的に長部局と一体であり、曲がりなりにも学校管理権がある。都道府県教委は知事部局に対する相対的自律性が保障されていて教職員閥が形成できる。教職員団体は組織率さえ高ければ、地公労組織を通じて教育委員会や知事部局に対するヘゲモニーを握れる。文科省は教育委員会を地方出先機関として地方教育行政に対する指導力を発揮できる、というわけです。だから、この制度が学校経営上の機能不全を起こしていても、それは関係者にとって深刻な問題とはならないのです。
橋下氏が大阪府知事となってこれを問題としたのは、おそらく大阪府の小中学校の学力向上のため、学力テスト結果を公表しようとして、府市教育委員会に反対されたためではないかと思われます。これに加えて、府知事選で、職員団体が組織的に現職知事を支持し、公務員には禁止されている選挙活動を公然と行い、しかもこれが常態化しているということもあって、冒頭言及したような、拙速かつ感情的で適法性を欠く府教育基本条例案の提案となったのではないかと思われます。
だが、地方教育行政組織における学校経営組織の機能不全という問題は、教育委員会制度を抜本的に改革しない限り、決して解決できません。これを、府教育基本条例案に見るようなやり方――知事の教育管理権を強化したり、教職員の処分権を強化したりするようなやり方で解決できると考えることは、何より現行法に抵触することでもありますし、民主政治下の権力行使の作法という点で、余りに感情的かつ独善的との批判を免れないと思います。
といっても、大方の世評は、既得権にしがみつく現状維持勢力に対する、氏の切れの良い、長時間の応答にも耐える、明快かつ攻撃的言説に拍手喝采しているようです。確かに、決定できる民主主義、責任をとる民主主義を目指すことは正しい。また、強烈な権力意志を持つことは政治家としての必要条件です。また、氏の演説は人々の関心を的確に捉えてよどみがありません。しかし、府教育基本条例案は、そうした評価を台なしにしてしまう程拙速かつ不用意なものです。
この事実に橋下氏が一日も早く気付き、この条例案を撤回し、「克・伐・怨・欲」の感情を四絶することによって、真の、決定できる民主的リーダー、責任をとる民主的リーダーに成長されることを切に希望したいと思います。(おわり)