年金なんか止めちまえ。なんで年寄りっていうだけで、国がカネをやらなきゃならんのだ? もともと年金なんて、国のために戦って死んだ兵士たちに対する国家賠償だった。もしくは、運よく長生きできた者たちが、早く夫を亡くした同世代の寡婦を支える、というものだった。それがいつの間にか、国が若い連中から強制的に集金して、年寄りたちに現ナマをばらまくイカサマ制度にすり替えられた。
そもそも年金は、年寄りは働けない、収入がないから、という理屈だったはず。しかし、いまは若い連中だって仕事も収入もない。だったら、年寄りだけ特別扱いせず、働けない障害者や、収入がない貧困者の生活保護と一本化すべき話。この不景気に、何十年も昔の、バブルのころの収入を基準にして、若者を搾取してまで年寄りに大金をばらまき続ける過大な年金など、政治制度として絶対に不公正だ。
もちろん生活保護に関しても、大幅な見直しが必要だろう。いまの生活保護は、身を粉にして働くより明らかに多い。このうえ増税となれば、働けば働くほど貧しくなるワーキングプアがもっと増える。この国では、働ける、ということと、もっと落ちるところまで落ちて体を壊して働けなくなれ、ということが同義語なのか? これでは、労働意欲もへったくれもあるまい。わざと事故でも起こして障害者になった方がまし、むりに犯罪でも犯して刑務所に入った方がまし、こんな行き詰まった国で食い詰めて暮らすくらいならいっそ死んでしまった方がまし、と思う者が出てきても不思議ではなかろう。
税収を増やしたいなら、まず国民の収入を増せ。雇用を創れ。国民が低収入や失業であっぷあっぷしているのに、足りないからもっと、なんて、政府のわがまま、政治家の無能にもほどがある。公務政治に携わる者は、国民が憂うときは先に憂い、国民が楽しんで後に楽しむべきである、というのが、いにしえの偉人たちの教えだ。公務員や政治家の給与は国民の所得税収との連動制にし、税収不足ならボーナス無しが当然じゃないのか。
豪華海外旅行だの、公共スポーツセンターだの、昼間のファミレスだのを占拠して、ぷらぷら遊び歩いて無駄話に明け暮れているくらいなら、年寄りだって、もっと働けるはずだ。一方、いま、この国の自殺者は、三万人を越える。児童虐待は、把握しているだけでも五万件だ。まして独居者の孤立や病死は、今後、爆発的に増え続ける。国としてやるべき仕事は、山ほどある。年寄りにムダガネを与えて遊ばせている場合ではあるまい。
年寄りや障害者に対し、おまえは働けない、社会の役立たずだ、仕方ないから国で保護してやろう、などという決めつけほど人間の尊厳を傷つけるものはない。車イスの人だって、電話にくらい出られる。ジョギングをしているくらいなら、近所の家々を訪れることだってできる。どんな人であろうと、ただでカネを与えたりせず、なにかその人にできる仕事こそを政府は考え出すべきだ。必要ならきちんと資格を取ってもらって、その人生経験を踏まえ、命の電話カウンセラーだの、民政委員や子育て援助だの、働く機会を作り、生きがいを与えることこそ、政府のやるべき責務だ。
まして、若い連中に対しまったく無策なくせに、彼らから税金だけ取ろうなどというのは詐欺、強盗にも等しい。カネを取る前に、まずきちんと政府としてのサービス、教育と雇用を提供しろよ。長い人生の中で、若い間の勉強や仕事の経験ほど貴重なものはない。にもかかわらず、それをむざむざ潰すような政府なら、いつか根本から潰されるぞ。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰博士
(大阪芸術大学哲学教授、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)