今、日本は、新しい金融市場政策を必要としている

矢澤 豊

フェイスブックでご承認いただいている方のおかげで、以下の記事に目が留まった。

Volcker Rule Stirs Up Opposition Overseas

記事の内容を要約させていただくと、リーマンショック後の金融市場規制の新時代を拓くべく成立された、いわゆるドッド・フランク法の一部、ヴォルカー・ルールに対して、アメリカ以外の関係者が異議を唱えているということだ。ダヴォス会議でのことである。


ヴォルカー・ルールに関しては藤沢さんが以前のエントリー(社会主義化する国際金融の世界)で詳述されているので、そちらを参照していただきたい。

ドッド・フランク法の下で法律化されるヴォルカー・ルールにより、銀行は自己勘定で投資リスクをとることを禁じられる。したがって銀行のトレーディング・デスクが(一部のマーケット・メイクの例外をのぞき)マーケットでポジションを持つことも、関連会社でファンドを運用したり、ファンドをスポンサーしたり、ファンドに一定以上の投資分を持つことも禁じられる。

リーマンショックの際、Too Big To Failな金融機関が、過剰なリスクテイクで自滅したことへの反省の上に立ったルールだ。

ドッド・フランク法の容赦ないタイムテーブルにより、ヴォルカー・ルールの施行スケジュールは着々と進んでいる。先月中にパブリック・コメントは〆切。今年7月には施行が予定されている。金融機関はその後2年間の猶予期間中に、ルール遵守の体制を整えることが必要となる。

今回の新聞記事は、このヴォルカー・ルールに対してアメリカ政府がちゃっかり例外を設けていることに対して、ガイトナー財務長官相手に各国の政府関係者が文句をつけている様子を伝えている。

現行のヴォルカー・ルールでは、アメリカ国債への投資は例外として扱われており、アメリカ国債に関しては銀行も従前通り投資対象として扱うことが許されているのだ。

ヨーロッパの政府関係者や金融市場参加者にしてみれば、ただでさえユーロ危機で買手がつかないヨーロッパ各国の国債が、アメリカの法律により一方的かつ不公平に投資対象外とされてはたまらない。

ことはヴォルカー・ルールだけではない。これも藤沢さんが指摘するように、近々導入が予定されているバーゼルIIIの自己資本規制により、金融市場は世界的規模におけるより一層の流動性の枯渇が危惧されている。

この問題は国債市場だけでなく、社債市場にも深刻な影響を及ぼす。2015年までにヨーロッパの債券市場だけで約1.2兆米ドルの社債が償還を迎えるといわれている。これらの繰り延べに応えるだけの資力は、ヨーロッパの金融機関には残されていないかもしれない。

記事の中では、ヨーロッパ勢と共に反対意見を述べている日本の官僚氏の意見が紹介されている。曰く、ヴォルカー・ルールの施行により、日本国債市場が受ける影響を不安視するとともに、ヴォルカー・ルールの適用を受けて、外資系金融機関が日本でのプレゼンスを縮小し、日本の金融機関もルールの適用を避けるためにアメリカからの撤退を余儀なくされるかもしれない、と。

官僚氏の言われるとおり、ドッド・フランクが及ぼす問題は、日本国債と日本の財政危機という「今そこにある危機」以上に大きいものがある。

ドッド・フランク法は、ヴォルカー・ルールを含めて、以下の3つ面において世界、そして日本の金融市場に大きな影響を及ぼす。

一つには、ドッド・フランク法の下、ファンド・マネジャーはSEC(アメリカ証券取引委員会)への登録が義務づけられることだ。これは直接、間接をとわず、アメリカ籍の投資家の資産を運用するファンド・マネージャーが対象となっており、おおざっぱに言わせていただければ、よっぽどの弱小か、スタート・アップ直後のファンド・マネジャーでなければ、たいていの資産運用業にたずさわる法人が対象となる。

二つには、ヴォルカー・ルール。ルールの主な適用対象はもちろんアメリカの銀行だが、アメリカで銀行業を営む(アメリカからみた)外資系銀行の関連会社もこの対象となる。したがって、前出の官僚氏による「日本の金融機関のアメリカ撤退」という発言になるわけだ。

ドッド・フランク法の条文を読む限り、「(アメリカからみた)国外限定ファンド」に関する適用例外がうたわれているものの、「国外限定」の定義が不明瞭。万が一これがきわめて狭義に定義され、ルールが広義に適用されるとなると、行政の音頭とりで日本のメガバンクが横一列で参加している「再生」ファンドやら、「地域振興」ファンドなど、一連の「自作自演」ファンドが規制対象となり、お手上げだ。

三つ目は、ドッド・フランク法の下に設立される、デリヴァティブ商品の清算機構の設立。リーマンショックの際、店頭市場で取引されていたデリバティブ商品が、急速な信用悪化による取引停止であっという間に紙くずとなってしまい、パニックに拍車をかけたことを教訓とし、清算機構をカウンターパーティーとすることで流動性の下支えをすることをその主な目的としている。

まことに妥当な解決策に思えるが、この清算機構の設立は、巨大なアメリカの金融市場に今後デリバティブ取引が一極集中していくことを暗示している。それはアメリカ/ウォール・ストリートにデリバティブ市場の利益の大部分が独占されるということだ。

危機感をいだいている諸国政府や各取引所は、みずからの清算機構によるデリバティブ取引のプラットフォームの設立を急いでいる。

ヨーロッパ諸国は、独自の適格取引システム(Organized Trading Facility)を提案中。シンガポールは昨年11月より、NDF商品と、シンガポール・ドルと米ドルの金利スワップ商品の清算を開始。韓国は今年1月から国内金融機関の間における金利スワップ商品の清算を開始するとともに、人民元フューチャーの清算を検討中。香港も同様の清算システムの設立を研究している。

我が国では、株式会社日本証券クリアリング機構が、昨年3月23日発表の中期経営計画で、「CDS取引の清算業務に係る制度要綱を公表、さらに、稼働に向けてリスク管理面、リーガル面、オペレーション面の詳細な検討を進めた。」とし、同年7月19日よりCDS 取引の清算業務を開始した。当初の清算参加者は

大和証券キャピタル・マーケッツ株式会社、
野村證券株式会社、
みずほ証券株式会社、
三菱 UFJ モルガン・スタンレー証券株式会社、
モルガン・スタンレーMUFG 証券株式会社

昨年7月15日発表のプレスリリースによると、「なお、清算参加者については、各市場参加者の準備が整い次第、順次、増加が見込まれております。」とも言っているが、いまのところ新規参加者の情報は確認できていない。

とにもかくにも、日本証券クリアリング機構の早急な対応は評価できる。しかし、BIS(国債決済銀行)の統計によると、2010年末においてCDSマーケットの世界規模は約$30兆米ドルだが、金利スワップ・マーケットは約465兆米ドルであり、店頭マーケットの4分の3以上を占める。同様の市場シェア/取扱商品の拡張イニシアティブを、金利先物市場の清算機構として一日以上の長を有する東京金融取引所にも期待したい。(ちなみに同取引所の金利先物取引システムは富士通これ担当とのこと。嗚呼...汚名返上を期待する。)

金融市場は国の財産だ。産業として雇用を創出するのみならず、経済の発展に貢献することにより、富の創出を容易ならしめる。

目下、アメリカは金融危機の谷底からはい上がり、国境を越えて大きな影響を及ぼす新たな市場ルールの枠組みを策定することにより、ウォールストリートに代表されるアメリカの金融産業の覇権を保全するとともに、これを更に強固なものにすることに専念している。

個々の従業員のボーナスの多寡といったレベルの話ではなく、産業全体のレベルでの話だ。

日本政府が、このまま無策なままに、アメリカ発のトレンドに流されるままとなると、日本が失うものは金融マーケットのシェアだけにとどまらない。

ドッド・フランク法が意味するところは次のようなものだ。

SECに登録された日本のファンド・マネジャーは、アメリカのコンプライアンス/ガバナンス・ルールに準拠することが求められる。

ヴォルカー・ルールは日本の金融産業の業態に大きな影響を及ぼす可能性がある。アメリカの立法により、これに準じた日本の業界再編が行われることになる。

日本のデリバティブ市場参加者は、アメリカの清算機構の利用することが必須となり、取引は(今以上に)日本法以外の法律に準拠することが大部分となるであろう。

以前のエントリー(フラットな法律)の延長線上になるが、日本は金融市場を司る、「法律」というOSソフトに対する主体性を大きく損なうことになるだろう。

しかし失われるものなかで一番の損失は、制度的なものではない。

他の産業以上に、金融産業の基盤をなすものは人間である。個々の金融マン・ウーマンのノウハウとイノヴェーションが産業全体を底上げしているのだ。

今、日本の金融は金融円滑化法にみられるように、政府の指導に準拠するだけで、銀行家(バンカー)本来の業務を遂行する能力を有する人材を育てていない。国際的にも、バブル後の海外撤退の影響があとを引き、海外ビジネスのノウハウの大部分を喪失している。この上、新たな国際金融の枠組みの中で、日本の金融は「ウォール・ストリートの子分」ということが定位置となってしまうと、日本の金融に残るのは(比較的)高給取りの事務員さんだけということになりかねない。

「法律」という面からみれば、日本の弁護士で「金融分野の専門家」などということを国際レベルでいえる人は、いなくなってしまうかもしれない。

日本政府はこうした世界のトレンドをふまえた上で、自国の金融産業の発展にたいして一定のヴィジョンを確立するとともに、それを実現させる政策の立案をいそぐべきだ。

アメリカへの流れの全てに逆らうことは難しいとしても、守るべきものを守り、発展させるべきものに手を差し伸べ、この流れをどう御して、これをして自らに利するものとすべき方法を模索することが喫緊の課題だ。

かつて橋本政権から小泉政権にかけての規制緩和方針の下では、証券市場の健全な発展と、それによる直接金融の活性化という政策ヴィジョンがうたわれていた。このスタンスが、一部の不正によりイメージ悪化すると、官僚の一部に金融市場をあしざまに卑下する発言があり、以来金融政策は放置されたまま。日本という国の富は、目に見えないところで流出していっている。

増税を含めた財政の健全化を推進することは、もちろん現政権にとって重要かつ必要な政治課題だ。しかし目前のことばかりに注力し、将来のことを怠ることは許されない。メディア受けすることばかりを追い求め、卑怯と臆病が慢性化している政治家におかれては、ここであえて勇気をふるい、金融政策の新しい指針を示すことの必要性を自覚して欲しい。

最後に、以前のエントリー(海外資産運用 ー オフショア金融「第二幕」への前奏曲)でも引用した、以下の故事をまた改めて引用させていただく。

中国春秋時代、管仲は斉の桓公をよく補佐してこれを覇者と成らしめた。桓公が葵丘に会盟して覇者となったのが紀元前651年。管仲が没したのが紀元前645年である。

斉の国(今の山東省あたり)のお家騒動において、当初、管仲は桓公の敵方に組していた。しかし、かつての親友で桓公の懐刀であった鮑叔の命乞いで生きながらえ(「管鮑の交わり」の語源)、その後、桓公の臣として、斉の富国強兵策を進めた。

管仲の著作とされる「管子」の中で、戦費をまかなう目的で国内の商人に重税を課そうとした桓公に対し、管仲は次の言葉を述べている。

「万乗の国には必ず万金の賈(商人)あり。千乗の国には必ず千金の賈あり。百乗の国には必ず百金の賈あり。君の頼るところにあらざるなり。君の与うるところなり。」

戦車一万台を抱える強国には、必ず万金の資力を持つ豪商がおり、戦車千台の国には千金の富を持つ富商がいる。

主君たるものはそれらの商人に重税を課すことにより国を富ますことを考えてはいけない。主君の政治が優れていて、国がよく治まっているからこそ商人たちはその国にやって来て、国をさらに富ませるのだ、と。