ドラマ『孤独のグルメ』(テレ東系)が面白い。私の周りの中年男たちは皆、見ている。日常の中に幸せを見出す生き方に、激しく共感してしまう。主人公の生き様はまるで、村上春樹の言うところの「小確幸」つまり小さくても確かな幸せを楽しんでいるように見える。
そんな中、著者である久住昌之氏のインタビューが日刊サイゾーに掲載された。
『孤独のグルメ』原作者・久住昌之インタビュー「店選びは失敗があるから面白いんでしょ」(前編)
『孤独のグルメ』原作者・久住昌之インタビュー「店選びは失敗があるから面白いんでしょ」(後編)
私の心を激しく打つインタビューだった。このインタビュー自体が、レビューなる「集合知」のようで「集合愚」に振り回される現代人に警鐘を鳴らしているように感じられた。
■レビューに振り回されるのはやめなさい
食べログなどでのヤラセ口コミ、俗に言うステマ事件により、消費者がレビューを書き込めるサイトのあり方が問われている。
※ステマの定義は諸説あるし、そもそもあれをマーケティングと呼ぶのかという意見もあるが、ここでは俗に言われている表記で書く。また、タイトルではたまたま<食べログ>と書かせて頂いたが、この括弧は香山リカがかつて『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)で「<勝間和代>を目指さない」と書いて勝間和代的なものを目指して疲れるなと言ったように、食べログ的なものをさしている。レビューがという意味では、Amazonやじゃらんnetなども一緒だ。
問題であることは間違いないが、この手のものは実に巧妙にできていて、常にイタチごっこである。やや思考停止気味の答えであるが、消費者がこの手のものを見る眼を厳しくしていくしかないと考えている。
基本的なことではあるが、点数だけでなく、コメントの中身も見ること、レビューを書いた人がどんな人かを推測することが大切であることは言うまでもない。統計の基本だが、平均点もそうだが、分布をみるべきだ。どんな人がどんなことを言っているのかも大事である。
さらに、他人がどう言ってようと、自分がどう思うのか?という視点が大切である。他人のレビューがどうであろうと、自分にとって一番であればいいじゃないか。
そういえば、以前、『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)の著者、中川淳一郎がプレジデントの2011年8月1日号でこんなコメントをしていた。仕事つながりの先輩と一緒に行きつけの店に行ったところ、一緒に行った若者が「えっ、このお店、食べログで3.18点ですよ」と言ったというのだ。実際は先輩や彼によると大変美味しい店なのだそうだが。そんなこともあり、彼はその頃、食べログのランキングで50位くらいの店をあえてまわる実験をしていたらしい。
よく分かる。私もこう見えて、仲間の間では美食家と言われ「下町の海原雄山」と呼ばれる一方、B級グルメにも強く、テレ東の番組では自宅ですたみな丼を作る男「イエスタドン」として紹介されたこともあるのだが、そんな私がいつも最高に美味いと評価し、一緒に行った人に感謝され、その人が必ずリピーターになる店の食べログでの評価を調べてみた。
流石(東銀座)→3.61点
魚がし料理佃喜知(銀座)→3.43点
すし屋の野八(浅草)→3.46点
蕎上人(浅草)→3.46点
ブラッスリー ホロホロ(表参道)→3.56点
狗山(恵比寿)→3.00点
日吉寿し(新橋)→評価、なし
華(新橋)→2.83点
リストランテ・ヒロ・チェントロ 丸ビル店(丸の内)→3.61点
焼肉亭 いなみ(国立)→3.16点
すべて3点台以下ではあるまいか。十分高い方とも言えるのだが。
もちろん、理由はなんとなくわかる。
・お店のメインターゲットではない顧客が評価する場合、評価は低めになりがち
・サンプル数が少ないため(サンプルが多い店=人気店と言えなくもないが、一方、行きやすいかどうかという問題もある)
・期待値が高かった分(特に高い店、おしゃれな店、有名な店)、評価が辛口になる
・有名店は、味にシビアな人が行くので、やはり評価が辛口になる
・クセの強い店、結果として熱烈なファンとアンチに分かれる店は評価が両極端になる傾向に(Amazonでの勝間本のレビューなどもそう)
他にも理由はあるのだが。
くれぐれも言うが、だから食べログは信用できないというわけではない。レビューというものはそもそもそういうものなのだ。
やや余談だが、私がリクルートでじゃらんnetを担当していた頃はクチコミ文化は浸透し始めたくらいの頃で、クライアントである宿からは批判の声も多かった。観光地でセミナーをしたところ、宿の経営者に「あの悪いクチコミは、消せないのか?」「クチコミに対して裁判を起こすことはできないのか?」などと言われたものである。
その頃に比べると、クチコミというのは消費者主導になったようにも思うし、衆愚化したようにも、逆に影響力が上がりすぎて、ヤラセ口コミに代表される問題が起こっていったわけなのだが。
■心技体を総動員せよ!楽しむというスタンスを忘れるな
ここからは、一美食家としての、B級グルメ評論家として意見を述べさせて頂く。
本当に美味しいものを食べるにはどうすればいいか?そのためには、自分の舌と鼻と眼を磨くしかないということだ。クチコミにしがみつくことによって、あなたはそこそこのお店にしか出会えていないかもしれないのだ。
特にデートや合コン、接待で美味いものを食べたいなら、絶対に下見をした方がいい。「食べログで美味しいと評判の店ですから」ではなく自分が自信を持っておすすめできるかどうか。こちらの方が信頼されるのは言うまでもない。これらだけに依存した考えは、ずっと餌を与えられ飼いならされたブロイラー並であり、情報社会の中で羽ばたけずに埋没するタイプの思考である。
また、楽しむというスタンスが大切である。真のグルメは、「楽しむ」というスタンスが大切である。高くて美味いのは当たり前である。たとえカップラーメンであれ、立ち食いそばであれ、牛丼であれ、美味い食べ方を考え、味わい抜くのが真のグルメである。私が神と崇拝する矢沢永吉は「銀座で飲むロマネ・コンティ(高級ワイン)も屋台で飲む焼酎も両方楽しめることが大事」と言った。その通りだ。楽しむことをサボってはいけない。
また何を食べるかよりも、誰と食べるかが大切だ。最高に愛する人と食べれば、チキンラーメンだって美味しいじゃないか。
この境地には、一朝一夕では到達できない。『孤独のグルメ』の著者が語るように、失敗を繰り返してこそ辿りつけるとも言える。もちろん、現代社会はミヒャエル・エンデの『モモ』どころじゃないほど、時間泥棒に毒された、忙しい日々を送っているし、ITなどを使いこなし最短距離で答えを出すことが求められていることもよくわかる。食べログなどを活用するにしても、自分の眼、鼻、舌を総動員しなければならない。心技体を総動員してこそ、美味いものにはとどりつけるのだ。
特に男闘呼(おとこ)たちに言いたい。勝負デート、勝負合コンの店を集合知という名の集合愚にしがみついて決めるのは男らしくない。「ここは美味い」と言いきってこそ男闘呼である。魂をアウトソーシングしてはいけない。ましてや空白化させてはいけないのだ。
金曜日だからゆるいネタと思ったがつい熱くなってしまった。『孤独のグルメ』と、その著者インタビューは食べログ時代において私達がこだわらなければならないことを問いかけるのである。ぜひ、消費を増やすためにも今晩は、美味い店を探して、体にガソリン(ビールとも言う)を注入して頂きたい。
そうそう、ドラマや記事のURL、店の名前を紹介したが、これだけは言わせて欲しい。これは、ステマでは、ない。