日本も、見捨てたものじゃない(1)─「買い心地の良い」小売業

北村 隆司

悲観的話題の多い最近の日本だが、世界に類例のない素晴らしい物も沢山ある。その一つが小売業だ。「素晴らしい」と言っても別に客観的な証拠がある訳でなく、私の個人的な日本自慢と考えて頂きたい。

産業革命によって市場主義が発達し、社会や市場の変化に敏感になった欧米では、消費者の求める、利便性、均一性、信頼性、品揃えなどを定型化した、デパート、スーパー、コンビ二、モール、DIY等の小売方式が考え出され、日本でも続々採用された。

処が、小売後進国であるはずの日本で買い物をしたアメリカの友人達は必ず、日本の小売業の素晴らしさに惚れて帰ってくる。デパ地下を利用した若者の驚きようと言ったら、説明出来ない程だ。


一方、小売先進国であるはずのアメリカの顧客扱いの悪さは、米国を訪れた日本人が等しく感ずる処である。両国の設備や品揃えには大差が無いだけに、効率を優先しがちな欧米の経営に比べ、経営と現場が近く顧客第一の日本的経営がこの差を生んだのは間違いない。これまで日本企業の欧米進出は製造業に限られて来たが、経営力に優れる日本の小売業も積極的に進出して欲しい。

事業の基本は人、物、金だと言うが、サービス業は何と言っても人の質で勝負が決まる。入店すると一斉に「いらっしゃいませ!」と叫ばれ、朝方のデパートなどで持ち場に並んだ店員に揃って頭を下げられると、いたたまれなくなる事も有るが、マニュアル化の行き過ぎを差し引いても、日本の店員の対応の良さは抜群である。

とは言っても、店員の感じの良さだけで競争に勝てるほど欧米の小売業界は甘くない。やはり、特徴を持たなければ勝ち目はなく、欧米でも生き残れそうな小売業は、ユニクロや無印良品など特徴のある企業と日本独特のコンビニや家電量販店などに限られると思う。

日本の小売が力をつけ出した歴史は浅い。1962年に消費流通革命の必要性を強調した行制だが、実際は1973年に大店法を施行して小売反革命を起し、時計の針を30年近くも遅らせてしまった。2000年になってやっと旧大店法を廃止して新大店法が施行されたが、時代の変化に遅れた商店街は、少子高齢化や不況も手伝い、シャッター通り化するケースが続出してしまった。

「れば、たら」を言っても始まらないが、当時の行政が既得権保護に走らず、「証券化とネット化」を導入するなどの未来志向で職住兼用ビルの高層化などを奨励し、商店街を共同店舗化していたら、余った土地の緑地化や駐車場建設も可能で、郊外の大規模店舗にも対抗出来、証券化に依る高齢者の選択も広がっていたのでは? と思うと、行政の犯した罪が悔やまれる。

五番街に超大型店舗を進出させたユニクロを利用した人たちの話では、店員の高いモラルに加え、高い品質の商品を考えられないほどの低価格で提供している事に驚いていた。

海外のマスコミでも好意的な露出の多い日本の小売業が、日本の規格大量生産型社会と言う古びたモデルから脱却し、「買い心地」の良さを武器に海外に進出すれば、未だ世界のトップ10にも入れない日本の小売業から、世界的企業が出現するのも夢ではない。
日本も、まだまだ見捨てたものじゃない。

北村 隆司