モラルハザードと勤勉革命

池田 信夫

ちょっとおもしろいブログ記事があったのでメモ。

ゴムホース大學で、ワタミの話を取り上げている。この事件そのものはよくある過労死(過労自殺)だが、それについての渡辺美樹会長のコメントが原因でツイッターで炎上している。過労自殺の起こる原因を、この記事はこう分析する:

自分が諸外国の低賃金労働と日本のブラック企業が違う生態系の生物だと考えるのは、労働者使い捨ての部分ではない(使い捨ては途上国も酷い)。それは低賃金、長期労働なのに現場の労働のモラルハザードが起きていない点である。それどころか賃金低下、サービスの価格低下に反比例するかのように神経症的にサービスを特化させている印象すらある。これはわが国外食産業で象徴的だ。


このモラルハザードの使い方は正しい。それは「倫理の欠如」ではなく、情報の非対称性を利用した合理的行動である。不思議なのは、なぜ日本の労働者が(この事件のような20代の女性でさえ)低賃金と苛酷な労働条件のもとでも怠けないのかということだ。

それは、このブログ記事も書いているように日本軍の行動様式に似ている。補給もろくにないのに脱走せず、特攻隊やバンザイ突撃など自殺的な攻撃を仕掛けた日本軍は、世界の戦史の中でも特異な存在である。このブログ記事は「自分も含めて日本人の精神性は家父長的な村社会構造に根ざしている」からだろうというが、なぜ村社会ではこうした長時間労働が起こるのだろうか。

これを速水融氏は勤勉革命(industrious revolution)と呼んでいる。農民が土地にしばりつけられ、農地の拡大の余地の乏しかった江戸時代には、与えられた農地で長時間労働することが唯一の生産性向上の手段だった。名目上の石高で決められる年貢を超える部分は農民自身の収入になったので彼らの労働意欲は高く、狭い土地を徹底的に有効利用する集約農業が発達した。普通は農業技術が発達すると人間の労働を牛馬で代替するようになるが、江戸時代には逆に人間が牛馬を代替したのである。

これは資本集約的な機械の導入によって産業化する産業革命(industrial revolution)と対照的に、労働集約的な「勤勉」で生産性を上げるものだ。それを実現するには労働者が自発的に長時間労働するしくみが必要だが、農民が死ぬまで一緒に暮らさざるをえない村社会では、怠け者は村八分にされる。つまり労働の固定性が、モラルハザードを防止して勤勉革命を実現する上で有効だったのである。

このような勤勉革命が300年ぐらい続いたことから、日本人の感情には労働奉仕を求める偏狭な利他主義が深く埋め込まれていると思われる。近代化した後も、貧弱な資本で長時間労働によって高い品質を実現した。工場では一生同じ釜の飯を食う同僚が相互監視しているので情報の非対称性はなく、モラルハザードは起こりえない。この特徴は、貧弱な装備を「大和魂」で補おうとした日本軍によくあらわれている。

こうした「空気」の同調圧力が日本企業の効率性を支えてきたが、それは労働者を幸福にしない。小池和男氏なども指摘するように、日本の労働者は会社がきらいだ。彼らは会社を辞めるという外部オプションがないから残業しているだけで、匿名になると2ちゃんねるに会社の悪口を書き連ね、他人を激しく攻撃する。

そして「現場の強さ」に頼って経営者がシステムの合理化を怠ったため、日本の企業は世界から置き去りにされている。労働人口が減少する時代に必要なのは、労働を節約して合理的に組織することだ。労働者は、仕事がいやなら辞めればいい。政治の仕事は契約社員を規制して「社畜」を保護することではなく、労働市場で外部オプションを広げることである。