著者:櫻田 淳
販売元:新潮社
(2012-01-17)
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★★★☆☆
日本の政治が混迷している一つの原因は、冷戦時代の「保守対革新」という対立軸がなくなったのに、それに代わる軸ができていないことにある。民主党も自民党も、世界的な基準でいえば「大きな政府」をめざす社民勢力だ。保守党を自称する自民党が実際にやったのは大衆迎合のバラマキであり、反原発ヒステリーが広がっても「世論」に遠慮して歯止めをかけることができない。
本書はこうした与野党のポピュリズムに対して、「独立自尊」の自由主義としての保守主義を掲げる。その源流であるエドマンド・バーク以来、「正義」や「理性」を盲信せず、大衆の「空気」に水をさす懐疑が保守主義のコアだった。それは「戦争はよくないから軍備を放棄しよう」といった心情倫理を排し、統治者としての責任倫理によって必要なら不人気な政策を実行するエリート主義である。
著者は日本における保守主義の典型を、丸山眞男の批判した「重臣リベラリズム」に求める。戦前、立憲君主制を守ろうとした重臣の努力は、軍部に粉砕された。丸山はその反省から大衆に根ざした「革新勢力」に期待したが、彼らは一度も政権をとることなく、朽ち果ててしまった。いま必要なのは「世論」に惑わされず立憲君主制の精神に忠実なエリートによる統治だ、というのが著者の立場である。
本書は保守主義の入門書だが、解説はいささか平板だ。保守主義は一枚岩ではなく、フランス革命を批判したバークはアメリカ独立革命を支持し、イギリス労働党の「設計主義」を批判したハイエクは晩年には議会改革を提案した。サッチャーもレーガンも小泉純一郎も、どちらかといえば革命的な政治家である。日本に必要なのは、こうした「保守革命」の党と、それに水をさすバーク的保守主義の党の対立ではないか。