DRAMの「敗戦」は装置産業化が原因ではない

井上 晃宏


日本「半導体」敗戦 (光文社ペーパーバックス)
☆☆☆★★
著者は1987年に日立に入社し、出向先を転々とし、2002年に日立から早期退職の勧奨を受け、退職し、社会科学者に転職した。

87年といえば、日本製DRAMが世界の8割を占めた絶頂期であった。しかし、その後、次第にシェアは減少していった。各社は赤字を出し続けるDRAM事業を切り離し、合弁会社を作り、それでもシェアが回復しないと、さらに合弁を繰り返し、最後にエルピーダ(希望を意味する)が残った。そのエルピーダも、今年、ついに会社更生法を申請した。

著者は、16年半もの間、ずっとDRAM生産と設計に関わってきたが、心ならずも、日本半導体の衰退過程を生産現場で見ることになった。


日本半導体事業は、87年の時点で、すでに、高コスト体質という問題を抱えていた。その頃は、DRAM需要といえば、メインフレームやミニコンであり、需要者側は、25年動作保証を要求した。電電公社も、23年保証を要求していた。日本メーカは見事にその要求に応えたのだが、次第にコンピュータがダウンサイジングされ、DRAM需要がパソコンに切り替わるにつれ、そんな長期保証は意味がなくなった。25年動作保証など無意味なのだが、いったん成立した企業内文化は変わることがなく、ついに、DRAM事業そのものが壊滅した。

高コスト体質になる理由として著者が上げている原因は、ごく簡単なものだ。

日本の半導体研究所には、設計段階におけるコスト目標が存在しないというのである。半導体は、いったん試作され、生産工程が決められると、量産段階で、いくらコスト削減努力をしても、ほとんど安くならない。設計、試作段階で、大半のコストが決まってしまう。それなのに、設計部門は、高品質、高精度の製品を作ることばかりを考えていて、コストなど問題にしない。

円高、高人件費下でも、日本で生産を行い、立派に利益を出している自動車メーカの設計は全く違う。最初に製品の最終価格が決められ、それで利益を出せる程度のコストで生産ができるように設計が行われる。自動車メーカでは当然のことが、半導体メーカでは全く行われていない。DRAMとは製品価格が2桁違うCPUを作るインテルですら、設計段階で、最終製品価格を想定しているのに、低価格製品であるDRAM設計にコスト目標がない。

人事の点でも、決定的な問題がある。日本の半導体メーカでは、リソグラフィ、ドライエッチング、アッシング、洗浄といった部門別に技術者が別れており、彼らは入社後、ずっと同じ部門で技術開発を行う(著者はドライエッチング担当)。リソグラフィを担当した技術者が別工程に移るということは、まず、考えられない。半導体技術者といっても、一度も自分でトランジスタを作った経験がないのだ。要素技術に特化しているため、全体を見渡すことができず、結果として、コストなど考えなくなってしまう。全体最適化を行う部門が存在しないので、各要素部門は好き勝手に高性能、高精度製品の開発に熱中し、製造装置メーカに特注品を納入させ、高コスト製品を作ってしまう。

昇進人事による組織の無能化という問題もある。例えば、256MbitDRAM設計の時に、課長職をしていた著者が見た事例は以下のようなものである。

256Mの工程の中で、なぜやっているのかわからないプロセスがある。担当者に聞くと、「64Mにそれがあったから」と言うだけで、意味はわからないと言う。64Mの担当者に話を聞くと、「16Mにあったから」と言う。さらに、16Mの担当者に聞くと、「4Mにそれがあったから」と言う。この調子で、製品が世代交代するたびに、意味のわからないプロセスがどんどん積み重なっていき、コストが上昇してきたのだ。著者は、この手法を「数学的帰納法」と呼んでいる。

担当者に能力があれば、自分の目の前のプロセスだけでも、意味を考え、不要なプロセスを省くことができるはずだが、そうはいかない。半導体メーカでは、能力のある、功績を上げた技術者を、仕事の報奨として管理職にしてしまう。その結果、いつまでもラインに張り付いている技術者は、さして能力のない平凡な社員だけになってしまう。前任者よりも能力的に劣る技術者が、より高度な製品開発をしなくてはならないのだから、前例踏襲という安直な解決策を選んでしまうのは当然だ。

技術的には優れていても、管理能力があるとは限らない技術者をラインから引き離し、管理をさせ、技術的に劣った技術者に技術開発をさせるという誤った人事を行った結果、組織全体が無能化していったのだ。

他にも、半導体「敗戦」の原因として、著者は、特許戦略の失敗、合弁会社におけるたすきがけ人事と対立、コンソーシアムの失敗などを挙げている。この中で、エルピーダの坂本社長が解決できたのは、合弁会社内の対立だけだった。しかし、それだけでも、エルピーダは一時的に立ち直った。

本書は、半導体設計と生産の現場にいた人の報告という点では貴重だが、肝心のマネジメント、経営論の部分が弱い。技術者でしかなかったのだから仕方がないが、経営の場にいた人の報告が読みたい。『エルピーダは蘇った 異色の経営者坂本幸雄の挑戦』は、インタビューでしかなく、立ち入った話は書かれていない。

以下は、私の素人経営論である。

マネジメントに問題のある企業を再建するには、経営者を入れ替えるしかない。人事権を握る経営者の解雇は、株主による資本の圧力によるしかないが、日本の株式会社は、「持ち合い」や外資買収規制によって、資本の圧力から守られている。M&Aを盛んにして、資本の圧力が経営者にかかるように、資本市場を改革しなくてはならない。政府から科学研究予算を引き出す口実として、「産業競争力の強化」を言うのは、研究者や教育者の常套手段だが、科学研究をいくら盛んにして、博士をどれだけ増やしても、産業競争力は強化されないと思う。