師匠の島田裕巳にAKB論を語られては、現代アイドル論を専攻する弟子が反論しないわけにはいかない。
なぜ島田氏が誤っているかというと、彼の専攻はキャンディーズであり(彼のキャンディーズ論(AERAにかつて掲載)は秀逸)、現代はモデルが全く異なるからだ。Perfumeを専攻し、AKBとの比較論を副専攻とする私からの反論を以下では展開したい。
そのポイントは、島田は、Perfumeを現代のキャンディーズと捉えている点にある。それは誤りだ。キャンディーズはアマチュアであり、Perfumeはプロフェッショナルである。そして、AKBはプロフェッショナルを目指す高校生であり、甲子園を目指す高校野球チームなのだ。
キャンディーズは、「私たち普通の女の子に戻りたいんです!」と叫んで、去って行った。後に二人はプロとして復帰するが、それはキャンディーズとは別物の個人であり、プロに成り代わっていたのである。だから、あれは卒業というより解散であり、キャンディーズは、あの時点で消滅したのである。同時に、あの時点で消滅したために、キャンディーズは不滅なのである。長嶋茂雄は、巨人軍は不滅だと叫んだが、あれは誤りで、長嶋茂雄が不滅だったのである。
組織というモノは不滅にはなり得ない。なぜなら、組織は生きているのであり、組織は内的にも外的にも同じところにとどまってはいられないからだ。
Perfumeは組織ではない。AKBは組織だ。これが両者の決定的な違いである。おニャン子クラブとAKBの比較がなされることも多いが、両者は本質的には同一である。おニャン子クラブは、秋元康氏の描いた図に反して、消滅させられてしまった。そこで、今回はきちんとしたある程度継続可能でマネジメント可能な組織として打ち出してきたのである。
しかし、組織として打ち出すということは、コントロールしようということではない。組織はコントロールできない。マネジメント出来るだけだ。コントロール使用とすれば、組織の経営は失敗する。行政機関も同じだ。組織の構成員(企業においては社員だけではない。顧客も構成員に含まれる。ただし、この議論は改めて。)は生きているから、自由に動けないと行けないし、動いていないと腐る。
Perfumeに卒業はない。なぜなら、これは組織ではなく、有機体であり、共同体であるからだ。キャンディーズもそうだった。卒業はない。解散があるのであり、彼女たちが卒業したのは、アイドルグループというものから卒業し、普通の女の子になったのである。しかし、彼女たちは、ずっとアマチュアだった。
解散を島田のいうイニシエーションと捉えてもいいが、彼女たちにとっての本当の試練は、普通の女の子に戻ったところから始まる。キャンディーズは試練ではない。キャンディーズを通過してしまった後の自分の存在意義について考えること、それが試練なのだ。だから普通の女の子に戻って、そこから個人のプロとして芸能界に登場すること、この登場がイニシエーションの終了であり、試練は、キャンディーズであったにもかかわらず今は普通の女の子である、という状況にあった。その意味では、宇多田ヒカルは、今、その試練に直面しているのだと思う。
さて、AKBとPerfumeにとってはイニシエーションも卒業も存在しない。Perfumeは11歳の時からプロであり、AKBはAKBに入ったときからプロ予備軍であり、彼女たちの自己意識は下手くそなプロなのである。だから、おニャン子クラブとはこの点ではことなる。あれはサークル活動であり、アマチュアであり、プロであることを目指すはずではなかった。ところが、社会現象となり、プロとなる子も出てくる。プロを目指す、プロになり損ねて、もう一度再起をかけるプロも混じってくる。そして変質していったのである。このプロセスをマネジメントできなくなったので、消滅したのだ。しかし、根はずっとアマチュアで、そうでなければプロの秋元康氏がメンバーと結婚することなど起こりえなかった。AKBにおいては、秋元氏が若くて独身であったとしてもメンバーとの結婚はなかっただろう。
ついでにいえば、モーニング娘。は、プロを目指す少女達だが、つんくというプロデューサーは当初アマチュアとして、趣味として好きなことをやる、というスタンスでスタートした。だから、マネジメントも出来ない部分があった。しかし、それが面白く魅力にあふれていたのである。そう言う意味では、おニャン子クラブがファンにとっては最も魅力的であり、モーニング娘。がその次だ。AKBはそれらと異なり、プロの組織としての安定感がある。
意外性。驚き。マネジメント出来ないところに爆発的な魅力が生まれるのであり、おニャン子クラブは最高だった。そのファンの興奮は、突然の消滅に戸惑い、卒業できずにいた。彼らの多くが、今はAKBファンであるのは、アイドルオタクとかでくくれるものではない。今でもあのときの興奮を求めているのである。
だから、アイドルグループをコントロールしようなどというのは日本では問題外であり、その点が韓国のグループ、アイドルと大きく異なる。SMAPも嵐もコントロールとは無縁であるから生きており、有機体として長生きしているのだ。
キャンディーズの興奮は、彼女たちもファンも、これがアマチュアなのかプロなのか分からない、前代未聞の現象であることから来ている。おニャン子クラブもそうだが、Perfumeはそれをプロフェッショナルとして実現しているところがすばらしいのである。プロでありながら、行き先不明のサプライズの連続、コントロールもマネジメントもなし。ただ、彼女たちもファンも全力で駆け抜けている。そして、それがPerfumeというコミュニティとして有機的な共同体となっている。ファンも含めてPerfumeであり、三人のことだけを指すのではないのだ。
さて、きりが無いので、とりあえずの今日の結論は、前田敦子は卒業するのはAKBという枠組みであり、プロとしての第一関門を通過したのであり、勝負はこれから。斎藤佑樹が甲子園から早稲田を選んだのと異なり(これはキャンディーズで、一旦普通の選手に戻ったのである。田中将大は高校生の時からプロでこっちはPerfume)、彼女はすぐにプロを選ぶだろうが、その意味で、プロからプロへの移行であり、イニシエーションでも卒業でもない。
AKBと言う組織については、組織は生きているから個人よりは息が長いだろうが、企業も栄枯盛衰、旬があるから、寿命はある。その寿命は、AKBが組織としてしっかりしていることから、逆説的だが、意外と早く来るだろう。なぜなら、日本のファンの興奮は、プロとアマチュアの混沌から来るのであり、PerfumeもAKBも最初からプロでありながら、アマチュア的な全力疾走を組み合わせたことから成功しているのだが、今後は、AKBが組織として成功してから、それを目指して入ってくるメンバーが増え、周囲も新しい顧客も、AKBが確立してからの過程だけを知って、できあがったモノとして捉えるから、その意味での混沌、危うさがなく、興奮は80%程度となるだろう。80%でどう持続するかがマネジメントとして重要であり、ビジネスとしては重要なのだが(ここが規模的には一番儲かる)、組織の活力、魅力としては寿命を終えていくことになるだろう。