仏教はキリスト教である アゴラ連続セミナーへの誘い --- 島田 裕巳

アゴラ編集部

池田信夫氏から依頼を受けて、仏教にかんする連続セミナーを担当することになった。最近では、仏教関係のこともかなり書いているので、セミナーで仏教について語ることはできると思う。だが、普段アゴラにアクセスしている人たちは、むしろ政治や経済の問題に関心があるようで、果たして仏教のことにどの程度の関心をもっているかが分からない。


そこで内容について考えてみたが、やはり仏教についての見方が変わるようなものにしなくてはならないと感じた。一般のカルチャーセンターとはかなり趣が違うことを話さなければならないだろう。考えた末に出てきたのが、案内にあるような内容だ。

第1回に「仏教はキリスト教である」という、意表を突いたタイトルをつけてみたのは、この前、「維新の会は前田敦子である」という投稿をして、それがかなり評判を呼んだからでもある。結びつきそうでないものを、ある意味無理に結びつけてみると、予想外の展開に至ることがある。

ただし、「仏教はキリスト教である」という言い方には、かなり重要な意味が含まれているのではないかとも思っている。

手元に本がないので、詳しくは紹介できないが、以前、キリスト教は仏教の影響で生まれた宗教だということを証明しようとする本を読んだことがある。翻訳本だったが、本の後半には多くの日本人がその本を読んでの感想や見解が載せられていて、かなりの量があった。

翻訳者としては、その本が、いわゆる「トンデモ本」と思われることを避けたいと考えたのだろうが、その本のなかでの議論にはやはり納得がいかなかった。

ただし、仏教の方がキリスト教よりもかなり早く生まれている。それに、『ミリンダ王の問い』のように、仏教とギリシア哲学との対話のような書物もある。これは、紀元前2世紀後半のもので、東西の宗教的な交流があった証として見ることができる。

初期の仏教では仏像を作る伝統がなかった。仏像が生まれたのはギリシアの神像の影響だという見方もあるが、これはかなり可能性がある。その点で、キリスト教の誕生に仏教が何らかの影響を与えていた可能性はゼロではない。

ただし、アゴラでのセミナーで話したいと思っているのは、もう少し別のことである。あるいはそれは、古代でのことではなく、近代における事柄かもしれない。その詳しい分析にかんしては、実際のセミナーに譲りたい。

島田 裕巳
宗教学者、文筆家
島田裕巳の「経堂日記」