この記事は2012年5月9日の再掲です。
甲子園の開催時間を変えられるのか?
--電力ピークのコントロールは行えるのか。
現在ある技術レベルでは限りなく不可能に近いだろう。
「タイムマシン」があれば別だが、夏の気温の推移、工場の稼動などで決まる未来の電力の需要が正確に分からないためだ。暑く、湿度が高い日本の夏を、大半の人はエアコンなく過ごせないだろう。そのために夏にピークがくる。特に、8月中旬の夏の高校野球のシーズンは暑く、人々がテレビを見て、冷房をつけるために、ピークになりやすい。
ピークシフトに経産省は取り組んできた。かつて90年代の通産省時代、私は文部省に夏の高校野球の秋へのシフト、もしくはナイターへのシフトを依頼すべく真剣に内部で検討したことがある。しかし、あえなく頓挫した。それ以前にも通産省として文部省に打診した経緯もあるらしいが、やはりけんもほろろに拒否され続けたそうだ。「国民的行事であり動かせない」「夜の野球は高校生の教育上よくない」という理由だったと聞く。
これは一例だが、ライフスタイルの変更というと、一瞬聞こえは好いかもしれない。だが実際やろうとすると、既得権者たちによる障壁が強過ぎる。それでもやり抜こうとするなら、牛歩で臨むしかないだろう。
昨年夏は東電管内で大規模な節電に成功した。しかし、それは経済と社会に課題な負担を加えることで達成された。これを繰り返し続けることは私たちの生活や経済社会に重荷となる。再稼動が問題になっている大阪、関西圏は日本の第2の経済地域だ。計画停電であれ、突如のブラックアウトであれ、日本経済にとって大変な負担と痛手になるはずだ。
--原発が停止した後で、電力会社は天然ガスによる発電にシフトした。
天然ガスシフトが起こるのは選択肢の中で当然であろう。天然ガスは発電コストが重油火力よりも安く、政策的に重視される温室効果ガスの削減量も相対的に小さいためだ。しかし、それにはコスト面や安定供給面で問題がある。無資源国の日本でガスは輸入でしか調達できない。
ロシアのサハリンで産出する天然ガスをLNG(液化天然ガス)ではなく、パイプラインをつくって通常の天然ガスのまま日本に輸入する構想が、政治家からも浮上している。1990年代に通産省や関係業界でこれを検討したが断念した経緯がある。近年また気運が出てきて、関係方面で検討がなされているようだ。ただ、海底パイプラインは世界に類例がなく、巨額の初期投資と維持費用もかかる。日本の近海では漁業補償の問題もある。
仮に実現したとしても、ロシアに過度にエネルギー供給は依存することは、エネルギーの安全保障上、極めて危険だと思う。私はパイプライン有効論があることも知っており、その趣旨には一理にも二理もあると思う。だが仮にガスシフトをするにしても、思いつきではなく、現実的な政策の立案が必要だ。
残念ながら、今政府ではエネルギーをめぐる委員会が乱立していて、議論が錯綜・混乱している状況になっている。分かりやすく国民に、選択肢を提供することができていない。民間から現実的なエネルギー政策の提案を出すことも考えなければならないだろう。
自然減する原発、国民の決断が迫る
--原発の行く末をどのように考えるか。
原発の推進か反対かという議論は意味がないと思う。私はそれぞれの政策を実現可能性という観点から見るが、原発事故後に社会に広がった不信感を考えれば、日本では今後当分の間、新規立地は本当に不可能だろう。老朽化した原発は逐次廃炉に向かうはずで、発電に占める原発の割合は、このままでは自然と低下していく。
その際に、それが実際に起こるかどうかは別にして原発のない日本の選択肢などを含めて、あらゆる可能性を考える必要がある。案の提供は政府の仕事であるが、どのような未来を選ぶかは国民の判断による。その際に、必然的に原発のない社会を実現するには、その発電分を確保することの議論が起こるはずだ。
--原発の代替策として再生可能性エネルギーは期待できるのだろうか。
私は官僚時代、水力、地熱、風力、太陽光など再生可能エネルギー発電の振興を担当していた。政策支援によるその普及と高コストの是正や安定性の確保などの技術革新に取り組んできたが、状況の改善はゆっくりしたものだった。それは今でも変わらない。多くの技術面での制約をほとんど克服できていないためだ。今は社会全体が再生可能エネルギーに関心を向けて、その普及拡大に動くのは、かつての担当として感慨深い。しかし「過剰な期待はバブルになる」ということも申し上げておきたい。
一例を挙げてみよう。国産エネルギーとして地熱発電が注目されている。しかし、建設は遅々として進んでいない。私は担当者として、民間企業の担当者に提案とヒアリングを幾度となく重ねた。その際に「望遠鏡で100億光年先は見えても、地面の下は1センチすら見通すことはできないのです。それが資源探査の難しさ。実際にはそう簡単に作れませんよ」と言われたことがある。ごもっともな指摘だ。机上の計画と、現実のプラント建設と運営は違う。地熱だけに限らないが、再生可能エネルギー振興策と称してこれまでいったいいくらの予算が浪費されてきたことか。今ここで申し上げる気にはなれない。
7月にFIT(再生可能エネルギーの買取制度)が実施される。この制度は急速な普及が期待される一方で、総電力コストの増加、補助金の拡大、送配電網の安定性の追求など多くの問題が起こることが、先行して制度を取り入れた欧州で観察されている。日本での太陽光の買い取り価格は1kWh当たり42円という案が出ているが、これは非常に高い。
あまりにも高いと、一般需要家の負担増によって制度自体が継続できなくなる可能性が高い。とはいえ、経産省はFITの実施を断行するだろう、とにかく推移を見守るとしか今は言えない。問題が顕在化した時に臨機応変かつ前向きに対処していってもらいたい。
「安定供給」「価格の低位安定」という政策目的による議論を
--東京電力の経営不安が出ている。政府出資による債務超過企業への救済の形だが、この処理スキームをどのように考えるか。
今、政治とメディアが関心を向けているのは国の出資と議決権の割合、会長人事だが、当面はこれらがそれほど重要な問題ではないと私は思う。電気事業法の許認可権を使えば行政は実質的に経営に介入できる。
それより、この処理策が壊れやすいものになっていることが問題だ。どこまで東電が原発事故の責任を負うことが明確に決まっていないため、賠償の範囲が見えないていない。原発事故によって苦しんでいる福島の被災者の方の救済をしなければならないが、この形では補償の先行きが見えず、逆に被災地の方に過剰な期待、先行き不安などの負担をかけることになりかねないと思う。「今後20年で概ね理解と納得をいただけるような賠償に努める」などの目標を政府が示すべきだと考える。
また危惧しているのは、東京電力を中心に大量に退職者が出ている問題だ。原発事故被災地の支援、さらに技術継承という点から見ても、東電の潜在力を維持し、かつ、それを上手に引き出していく必要がある。要するに、東京電力で働く人の雇用は維持されるべき、と強調したい。もちろん原発事故をめぐる責任の追及を行わなければならないが、それは主に経営陣や幹部が対応すべきであって、一般社員には別の重要な役割を担ってもらう必要がある。
原発事故の問題では、誰もが満足できる解決策は見当たらない。被害者を救うことを第一に考え、それと東電が支払えないという現実を見れば、東電グループ企業はもちろんのこと、東電管内の電力需要家の負担などの形で、東電の電力需給に関わるすべての人々が損害賠償を引き受ける仕組みを考えざるを得ない。
--電力自由化を枝野経産大臣が表明した。石川氏は、過去に2回、資源エネルギー庁で電気事業法改正に従事した経験があるが、現在の議論をどのように考えるか。
はっきりさせるべきなのは、電力自由化は「政策目的」を達成する「手段」ということだ。その目的を明確にしなければならない、また「自由化」の意味も受け取る人によって異なるために、言葉を使うことに注意が必要だ。
電力供給による政策の目的は「安定供給」と「価格の低位安定」の二つであることに、異論はないはずだ。安全は安定供給の前提として当然含まれる。
私は2度ほど電気事業法の改正に携わったが、当時、やり方次第では発送電分離と地域独占の見直し競争の拡大、電力価格の下落誘導、自然エネの普及促進などの成果があると考えた。しかし、「改革」なるものが大きく前進したとは思っていない。「これまでうまくいったのに、なぜ今変えるのか」という内外の主張の全部を突き崩せなかった。これは、当時の改正チーム全員が感じていたことだと思う。
世界では90年代に電力を独占事業から民営化、競争自由化の動きがあったが、電力価格が下落した例は少ない。おそらく資源輸入国の日本では、仮に自由化しても、劇的に電力価格は下がる道理が見当たらない。
電力自由化は政治面で見れば、巨大な社会的影響力を持つ電力会社の力を削ぐことにつながる。だからといって、政治目的のために実行して、本当の目的を見失ってはならない。
--今後は電力の供給体制をめぐる議論が本格化していく。この際に何に気をつけなければならないか。
「今の社会の安寧秩序を維持し、緩やかな経済成長を目指す」ということが、ほとんどの国民の現実的な願いであることは、どの立場の人も一致するのではないか。現状維持だけでは全然ダメだが、私は『緩やかな改革』こそが肝要だと思う。もっとも、現状維持を金科玉条の如く説く若手論客勢力がいるのには驚愕させられるが、そんなのはシカトすれば良い。
自分たちの現在と近未来を自分たちの手で作り上げることの繰り返しが繁栄の歴史を作っていくと思う。今の日本、経済の停滞が続いているとは言え、世界の水準から見れば安定して暮らしやすい国だ。エネルギー政策の目的である「安定供給」「価格の低位安定」は、日本の経済社会の『緩やかな改革』のために位置づけられる。これらを忘れてはならないと思う。
国を変える力は、政治にも民間にも役所にも、至る所にある。原発事故後に、エネルギーの未来をめぐるさまざまな意見が社会にあふれた。議論が活発になり、理想を語り合うことは望ましい姿だ。ただ、最終的には実現性を考えたものに収れんしていかないといけないとも思う。実際の経済社会の中で実現可能なものでなければならない。
その際に、感情論はできるだけ排除したほうがいい。例えば、電力会社の社長の給料とか、天下り批判が、電力改革の議論で語られている。もちろん癒着や旧態依然の既得権温存といったことは是正されなければならないが、それはそれとして並行して処理すべきだ。混同しては議論が混乱するだけだ。
こうしたことを踏まえながら基軸となる「安定供給」「価格の低位安定」のための論点を示し、コツコツと合意を積み重ねる必要がある。そうすることで賢明な日本国民は適切な結論を導くと確信している。
取材・構成 アゴラ研究所フェロー 石井孝明