関西電力大飯原発をはじめとして、各地の原発の再稼働をめぐって混乱が続いている。政府は再稼働を進めようとするが、地元の首長や住民の反対によって実現は不透明なままだ。そして5月5日に日本の全原発が停止した。
福島の原発事故によって原発への不安が社会に広がる。それは当然としてもその感情に政策が流されて原発が停止することにより、電力需要が増える夏の需給ひっ迫や、発電コスト増加の懸念がある。混乱がなぜ起こったのか。それを繰り返さないために何をすればいいのか。政策家で社会保障経済研究所代表、東京財団上席研究員などを務める石川和男氏に聞いた。
石川氏は経済産業省の元官僚で、電力・ガス事業制度改革に数次にわたり従事し、水力・地熱、風力など再生可能エネルギー発電も担当した経験を持つ。体調不良で政府を離れたが、現在はほぼ全快。「政策家」として、中立の立場から社会保障、産業金融、消費者政策、行政改革などについて政策提言などを行っている。現在、内閣府行政刷新会議WG委員も兼務。(GEPR版)
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政府の準備不足が混乱の背景に
--再稼動問題をめぐる混乱をどのように考えているか。
政府・経産省、そして関西電力をはじめとする電力会社の対応は評価できない。適切に動けば、ここまで問題はこじれなかっただろう。福島の原発事故の後で既存のエネルギー・原発政策への信頼が根底から崩れた。そのために原発立地場所の自治体の首長や議会、そして地域住民の方が不安を抱くのは当然だ。しかしその不信感によって今年の再稼動が揉めることは昨年秋時点で予想できた。それなのに混乱したのは、対応の準備不足と言わざるを得ない。
問題の始まりは、昨年夏に菅直人前首相の行政指導ならぬ“政治指導”により、定期検査が終わった原発の再稼働でストレステストの合格を条件にしたこと。これには法的根拠がない。法治国家である我が国では異常なことだ。菅氏の要請による浜岡原発の停止も法的根拠がない。一連の政治的暴走は行政面での手続きを混乱させた。かねてからの霞が関バッシングや民主党政権への不信感も手伝って、「政府の言うことは信じられない」との念が広がったと思う。
政治の失敗があっても、経産省がやるべきことは数多くあったのに動きは鈍かった。例えば、エネルギー政策の論点の提示、特に原発を止めた場合の日本経済への損害がどの程度なのか、政府からの情報提供が十分だったとは言い難い。宣伝活動がそれほど行われたとも思えないし、地元の自治体や住民への説明も不十分だ。もっとも政府の説明が十分だなどとよいしょ気味の世論にはならないのが常ではあるが。
--なぜ優秀と言われる経産省の官僚たちの動きが鈍かったのだろうか。
私はすでに経産省の職員ではないが、いろいろな事情が重なっているのだろうと推察できる。福島の原発事故によって経産省は社会から批判を受け萎縮している面があるだろう。政治主導の名の下に、政治家の顔色や意向に過剰に反応してしまう面もあるかもしれない。どの省庁でも政務三役の了解がなければ官僚が動けない状況になっている。
また許認可事業という電気事業の特徴が影響したかもしれない。電気事業法の上では供給義務を電力会社が負う。経産省の中に発電所の稼動は電力会社の仕事であるという考えや、命令すれば実現したと思い込む「主従関係」と言えるような意識があったのかもしれない。許認可ビジネスの悪い面である「責任の所在があいまいになる」ことが起こったのではないか。
経産省自身の政策調整の機会が著しく減っている面もあると思う。かつての中央官庁は、問題が起こる前に、政界、所管業界、関係自治体、マスコミなどにホットラインをつくり、関係者の根回しを丁寧にやって政策が円滑に実現するように動けた。そうした活動によって関係者からの情報も集まり政策の修正もできた。だがこれに対して「行政と業界が癒着している」との批判が世論から出て、動きづらくなっている。元官僚の私が言っても詮無いことだが「良い意味での行政指導」が今はできない。こうした事情も影響しているのかもしれない。
超法規的措置ではなく慎重な行動が各自治体に必要
--大飯原発をめぐる問題では大阪府・市、京都府、滋賀県などの周辺自治体が、「安全基準の根本的作り直し」など、再稼動の条件を独自に設定(大阪などは設定後適応を先送り)したり、周辺市町村の住民の懸念が広がったりするなどして、再稼動が困難になっている。首長や自治体のエネルギー政策への関与というこれまでにない動きをどのように考えるべきか。
今後のエネルギー行政を大きく変える動きだと思うし、政策に国民が関心を強めることになるのは意義深いこと。周辺自治体の首長の方々が地元有権者の意向や不安感を代弁するのも当然だ。橋下徹大阪市長が「でたらめ」と言ったように、原発事故が起きてしまったという点で、これまでのエネルギー行政と業界の問題点が表面化し、それらへの不信感が湧いたことはまさにそのとおりだ。
ただ、現行法制度の下では、原発再稼動に関する最終決定は経済産業大臣が行う。原発を稼動させないことによって燃料費が増えて、現在の総括原価方式という料金の決定の仕組みでは、結局は需要家の電気代負担が増えるということには変わりない。料金制度も含めて何らかの改正法規が施行されるまでは、現行制度を法治国家に生きる国民として甘受せざるを得ない。
“民意”なるものは、超法規的措置を痛快がるだろう。「今は緊急時であり、民意を反映した新たな稼動手続きにすべき」旨の主張もある。同じ国民の一人として重々理解できる。しかし冷静に考えてみれば、被災地以外は「平時」であると私は思う。原発の安全規範が不十分である点は速やかに是正していくべきだが、これは原発再稼働と両立できる。新たな安全規範が施行されるまでは現行法規で臨み、改正法規施行後はその時点で再び原発の稼働の可否を決めるのが法治国家として妥当だと考える。
--「再稼動の是非を民意に問いたい」などの意向が、関西の首長らから出ている。
その主張もよく分かるのだが、現実問題として、現在の政治体制の中ではいかにして民意を測ることができるというのだろか。地方自治における民意とは、選挙を経た首長や議会に委ねられるもので、それら為政者の決断が事実上の民意であろう。そして民意とは、社会の安寧秩序を求めるものであるはずで、夏を迎えようとして暑くなってくればくるほど、自然と再稼動も含めた需給安定の方向になると思う。これがごくごく普通の生活者の感覚なのではないだろうか。
報道によると、大阪市の橋下市長は4月26日「ライフスタイルの変更を市民にお願いすることになる。その負担が受け入れられないなら、再稼働は仕方がない」と述べ、節電策に住民支持が得られない場合、再稼働を容認する意向を示した。これが真意ならば、それまでの再稼動反対の姿勢が変わったことになる。
この姿勢変化を批判的に語る人々もいるが、私はむしろ高く評価する。『君子は豹変しても好い』のだ。状況によって姿勢を変えることは、政治家として何らおかしくない。いつまでも空想的マニフェストに拘泥する一部の与党議員のようになっては、何も託したくなくなる。
政府は情報を出し、国民に選択肢の提供を
--今後、全国各地の原発で大飯原発と同じように、時間と手間がかかる可能性がある。どのような対応が必要か。
政府・経産省が、これまでの一歩引いた形を改め、電力の安定供給は国の責務という考えに立った上で、原発立地地域の住民の方、そして全国民への情報提供、選択肢の提供・説得を繰り返す必要がある。加えて、安全確保について現在の最高叡智を以て対策を徹底し、情報を公開することも重要だ。原子力政策に対する信頼が、福島の原発事故によって崩壊した。難しいだろうが果敢に取り組まなければ、我が国のエネルギー政策は立ち直れない。
5月3日に枝野経産大臣は、関電管内の計画停電の実施に言及した。これでようやく現実的な電力危機への切迫感が醸成され始めるだろう。関係自治体の首長・議会の動向は、それはそれとして、最終判断責任者は経済産業大臣である。再稼動の可否判断は『大半の電力需要家の既得権を維持』に向くことになると確信する。そうあるべきだからだ。
経産省は事故後、原発を止めた場合にどうなるか、エネルギーの未来像をどうするかについて強く発信していると思えない。菅政権の時につくられた数多くの委員会で今でも審議中であるためだろうが、なるべく早いうちに国民に対して選択肢を示さなければならない。
特に原発が動かない場合の国の経済運営についても国民に示さなければならないだろう。例えば、昨年の化石燃料の輸入は21兆8000億円と、前年から4兆4000億円も増えて、昨年マイナス成長に陥った日本経済に打撃となったに違いない。こうした状況が続けば、我が国の国力低下は加速してしまうだろう。経済が全てだとは言わないが、経済状況をこれ以上暗転させることは回避させるべきだ。それが、『移ろいやすい民意』を見据える政治と行政のあるべき姿だと考える。
必要な情報を整理して出すことで、適切な選択のできる環境を整えるべきだ。エネルギーの選択は国の経済の形、そして未来に影響を与える重要な決断だ。政治家、経産省の役割と責任は重いが、同時に国民にも責任がある。私たちも問題に向き合い、選挙などを通じて慎重に判断を下さなければならない。震災からの復興で、冷静さや、公共心を世界に示したことでも分かる通り、日本国民は賢明な人々だ。適切な判断を下せると信じる。
「(下)容易ではないピークシフトの実現、再生可能エネの拡充」に続く。
取材・構成 アゴラ研究所フェロー 石井孝明