“新聞冬の時代”が言われて久しい。アメリカでは地方紙を中心に倒産・廃刊が珍しくないが、日本では逆だ。堅調な地方新聞に比べて全国紙が相対的に部数や広告出稿量を落とし続けている。大手紙の業績は厳しいが、潤沢な不動産ビジネスが経営を支えているからびくともしない。TBSのことが「東京(T)・ビルディング(B)・システム(S)」と揶揄されて久しいが、キー局の親会社である全国紙も都心に優良不動産を持っている。
都心に不動産がなくても地方紙の経営は堅調。その理由は簡単。
“選択と集中”である。市場を限定してそこを掘り下げているのだ。徹底して地ネタを拾い、それをできる限る収容できるスペースを紙面で割ける。地域の課題を調査報道でじっくり追いかけることができる。子供のスポーツ大会からおじいちゃんおばあちゃんの敬老会の様子までカバーできるのだ。日本人の間で情報の信頼性の点では、新聞がいまだにテレビやラジオやネットを断然凌駕する。その新聞に掲載されることの喜びと誇らしさは違う。これが地域に根を張る地方新聞の強さの源である。全国紙の地方支局ではやりたくてもマンパワーとネットワークで地方紙のようにはできない。地方紙の記者の多くはその地方出身者。土地勘含めた地域の理解度や地域への溶け込み方が違う。地方の情報満載で地域に根付いたチラシが豊富な地方新聞は、地方で生きる人々にとって地方紙はかかせない。
地方における地方新聞の普及率は大手紙を寄せ付けない。ABC協会のデータによれば、47都道府県のうち、実に8割近い37道府県で地方紙が全国紙を圧倒しているのだ。徳島新聞、鳥取県の日本海新聞、福井県の福井新聞が、県内シェア75%を超える御三家だ。その三県では全国紙5大紙が束になっても半分にも満たない。
県内シェアが70%台以上の地方紙は3紙、60%台が8紙、50%台10紙である。シェア50%以上が計21紙もある。これは47都道府県の45%に当たる。40%台も拾うと12紙もあり、計33紙。47都道府県の70%での地域で、地方紙のシェアが40%を超えるのだ。全国紙では読売が茨城で41・5%と40%を唯一超えているが、あとは埼玉で39・1%、千葉で36・2%、和歌山で29.9%の順で、シェアは40%に届かないのだ。
電通の歴代社長の殆どは新聞局地方部出身であるということは意外と知られていない。日本を代表する広告代理店で、なぜ今や最も広告代金を稼げない新聞局の、それも地方新聞担当がなぜ出世するのか?それは、電通のパワーの源泉は地方紙にあるからだ。
電通の源泉は権力。各県に3~4つもあるTV局では力が分散している。一方地方新聞は沖縄等を除き原則各県一紙であり、各新聞社が県や市町村等各自治体から有力企業、地方の名士までほぼしっかりネットワーキングしている。当選回数主義の日本の国会では、一票の重みが重く都会ほど風が吹かない地方出身議員が有力議員となるケースが多い。有力国会議員もこれだけ各県でシェアが高い地方紙に足を向けては寝られない。日本各地で様々なイベントを行う電通として、各地のあらゆる資源にアクセスを持つ地方新聞との円滑な連携が欠かせないわけだ。
地方紙全紙を合計した発行部数は1900万部で、読売、朝日、毎日の合計を上回る。発信力も全国紙に負けていない。
大阪維新の会を筆頭に地域政党が“地方分権”の旗を掲げる。この流れは正しい。行政の現場を持たない霞が関が現場を知らないまま裁量でやってきたことが、財政をおかしくさせ、国から地方までの経済を停滞させてきた。教育もそうだ。国民の近くに財政を持ってきて、財政錯覚をなくす。住民によるガバナンスを効かせつつ、テーラーメイドな行政サービスを行う。地方分権が必要なのだ。
地方分権でニュースも多く地方にやってくる。より多くの権限と財源を持った地方を監視する役割も増す。地方紙もあらゆる意味でレベルアップしないといけない。
より大きな財源と権限を持った地方政府と地域住民と地方新聞はより緊密な運命共同体になる。出来合いの記者クラブ制度に頼らない、取材力や調査能力が必要となってくる。そうやって初めて地方紙の時代が来る。日本のメディア改革は地方分権を通じて、地方紙によってなされるのだと思う。