電力自由化は政治である

池田 信夫

朝日新聞によると、経産省が2014年には発送電を分離する方針だそうだ。これはニュースではなく、私が経済産業研究所に勤務していた10年前から役所の方針としてはあった。それが実現できるかどうかは政治の問題である。


電力自由化を「悪い東電を解体する」懲罰と考えるのはナンセンスで、競争促進や効率化につながるかどうかを事実に即して考えるべきだ。その観点からいうと、ニューズウィークにも書いたことだが、今のまま小口電力(50kW以下)の自由化を行なうと、競争相手が出てこなくて電力会社が料金を上げ放題になるおそれが強い。発送電分離についても、料金が下がるとは限らない一方、市場が機能しないと電圧が不安定になり、停電が起こりやすくなる。

これについては、30年前に前例がある。当時の中曽根政権は、国鉄に続いて電電公社の民営化を行ない、第二臨調は分割・民営化の答申を出した。私はこのとき「巨大企業への転進」というNHK特集で民営化前の半年を取材したが、最大の争点は、NTTの初代社長に誰がなるかだった。

中曽根首相は彼に近い真藤総裁をすえようとしたが、田中派は北原副総裁を昇格させて真藤氏を会長に棚上げしようとした。これはぎりぎりまでもつれこみ、放送が3月25日に繰り上がったとき、真藤は「正式の辞令が出る前に放送するのは許さん。官邸に手を回して延期させる」と通告してきた。もちろん、そんな政治的圧力でNHKの編成を変更することはできないが、彼も政治家なんだな、と印象に残るエピソードだった。

キャスティング・ボートを握っていたのは全電通だった。山岸委員長は「真藤の手下は2万人やけど、わしの手下は30万人や」と豪語し、金丸信との会談にカメラを同行させるなど、政治力を誇示していた。全電通は最終的に、民営化を飲むことで分割を阻止する取引を行なった。これは徹底抗戦した国労がつぶされたのを見て山岸の行なった政治決断だったが、結果的には正解だった。三公社五現業の横並びだった賃金は大幅に上がり、業務の自由度も上がって社員の士気も高まった。

電電民営化と同時に1985年に電気通信事業法が施行され、通信事業への参入が自由化された。しかし最大の難問は、競争が機能するかどうかだった。アメリカではMCIなどの新興企業がAT&Tを訴えて分割させたのだが、日本ではそういう独立系の業者がいなかった。インフラをもっている国鉄と道路公団が手を上げたが、これは手ごわいライバルにはなりそうになかった。問題はインフラではなく起業家精神なのだ。

そこで中曽根政権は経団連と提携して京セラの稲盛氏を中心とした新興企業に「第二電電」をつくらせ、NTTのマイクロ回線を1ルート貸すなど援助して第二電電を育成した。郵政省はDDIの料金も必ずNTTより安い料金で早く認可した。千本専務は「第二電電は絶対つぶれない。真藤さんがスポンサーだから」と言っていた。真藤の最大の敵は全電通だったので、合理化を行なうために競争相手をつくったのだ。

このように通信自由化の本質は、労働組合の支配下にあった電電公社の主導権を自民党政権が取り戻す闘いであり、競争促進はそのための「仮想敵」をつくる手段だった。しかし結果的には、このように明確な国家意志と戦略があり、政官財が連携して労組との妥協が成立した結果、通信自由化は大きな成果を収めたのだ。

それに比べて、今回の電力自由化では「脱原発」というどうでもいい問題が表に出て、長期的な戦略もない。政権はあと何ヶ月もつかわからない状態で、霞ヶ関は面従腹背、経団連とはパイプが切れている。当時の中曽根首相や真藤総裁や山岸委員長に比べると、今のリーダーの指導力は格段に落ちた。唯一有利な条件は、東電が政府の「子会社」になって抵抗できないことだが、他方では指導力も発揮できない。今の政権にできるのは、問題点の整理ぐらいではないか。