君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか?!

田村 耕太郎

サッカー日本代表が快調だ。その原動力は本田圭祐選手、香川真司選手、岡崎慎司選手、長谷部誠選手、長友佑都選手ら海外組だ。今回の代表25名のうち12名が海外のリーグでプレーしている。過去のW杯代表と比べても海外組の比重が高い。世界と戦うのがミッションである日本代表で日本の外のサッカーや選手や環境を知っている選手が大きなプラスにならないはずはない。

全員が海外へ出る必要もない。キーポジションの選手が海外組であれば、彼らを見て国内組も刺激を受け、化学反応を起こし変わっていく。正確な技術、“オレがオレが”ではない献身的なプレー、高い守備意識等、国内組のいいところと、海外組のいいところ、個で突破する意識、外国人へのコンプレックスのなさ、当たり負けしない心と身体、がうまく融合している気がする。

日本人が国内で結果を残し、海外で必要とされ、国際舞台でもまれて覚醒したら、一気に進化するのではないかと、今回の代表チームそしてそのキープレイヤーは思わせてくれる。


多くの識者は「日本がいかにグローバルに通用しないか」を力説されるが、私はそうは思わない。自分の経験から言わせてもらえば、多くの日本人は開き直れば、十分世界で通用する。情報感度が高く、空気を読める細やかさがある日本人は実は世界では強いのだ。日本人は一気に、グローバルに変われる能力にあふれている。

近代で、日本が輝いたのは時期は以下の3つだと思う。明治維新の頃、日露戦争近辺、戦後の復興期。いずれも、多くの日本人が世界に出ていき、世界と戦いながら世界から学び、力をつけて日本を文化的にも経済的にも進歩させてきた。戦国時代まで振り返れば、欧州の軍事技術や文化と交流し、多くを学び日本流にアレンジして、経済から軍事まで強くしていった。

今こそもう一度、日本人が世界に出てゆき、成長したあの時代の輝きを一緒に取り戻すべきではなかろうか。明治維新の時代よりも幅広い人材が、先進国だけでなく、新興国にも飛び出して、力をつける時だ。日本を出れば、相対的な視点を持てる。いかに日本が素晴らしい国か認識できる。

日本の海外留学者数は、2004年には8万2945人だったものが、2009年には6万6838人に減少。中でも米国への留学者数は2000年の4万6497人から2009年の2万4824人へとほぼ半減した。高校生の海外留学も1992年の4487人をピークに、2008年には3190名に減少している

日本の最高の頭脳を持つ東大にいたっては現状は悲惨だ。海外留学中の東大生は昨年5月現在、学部で53人(0.4%),大学院で286人(2.1%)しかいない。

こんな中、6月28日に、新著「君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか?!」を出す。アマゾンで予約が開始されている。
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私がなぜこの本を書こうと思ったのか? それには3つの理由がある。

ひとつは「君らはこんなワクワクする世界を見ずに死ねるか?」と思うからだ。私自身、広い世界にあこがれて留学し、その後社会人として外国人と仕事をし、友人として付き合ってきた。広い世界を見て多様な人と付き合うことが、どれほど自分の人生を豊かにしてくれたか。出会ったすべての人たちに、感謝している。日本は素晴らしい国だが、世界は広い。そして激変している。新興国などの躍進は凄まじく、古いガイドブックや昔訪れた印象があまり役に立たないくらいだ。

次の理由は、これからは外に出ないと生きていけなくなる事実を、正確に伝えたいからだ。日本企業は今後、大企業でも中小企業でもベンチャー企業でも、生き残る会社は世界とつながっていくだろう。「それはよほどの大企業だけの話」と思っている人も多いだろうが、実は中小企業の海外展開も目覚ましく、築地にある老舗仲卸や包丁屋の若大将も顧客のうち外国人が多くなり、英語や中国語を操っている。外国人を店員に採用したりしている。

社内では英語が当たり前のように使われ、日本語を話す新興国の優秀な若者も日本の会社にもっと多く採用されてくる。彼らが長く社内に留まる人材ではないとの指摘もある。しかし、大量に数はいるので、これからは日本の中だけの日本人同士だけの競争ではなく、多くの外国人と同じ土俵で競争をしなければならなくなる。年齢も国籍も性別も関係なく、世界中の人材との競争が当たり前になり、グローバル対応ができていなくては、仕事を見つけるのも困難になると思う。

学ばなければいけないのは言葉だけではなく、多様な背景を持つ人材に囲まれた時の対応力や人間関係力だ。これだけ経済が大きい国で、世界とは特異な同質性の高い国は他には見当たらない。日本人同士の少しの差でも“いじめ”につなげてしまうくらい、差異に非常に敏感な日本人だ。顔、皮膚の色、話す言葉、慣習、信条も全く違う人々に囲まれる経験がないだけにそうなったらパニックになりかねないと思う。「そんなの当たり前の常識」という表現が通用するのは日本国内だけだ。“人の数だけ常識”があるのが世界なのだ。

日本という社会もそうだが、個人の問題として、世界を知り、様々な価値観を受け入れ、広い視野と知識を持っていなければこれからの世の中、生き抜いてはいけないだろう。日本の社会保障はやがて大きな危機を迎える。「老後は年金で」などとのんきな考えはもう通用しないと考えるべきだろう。死ぬまで現役で働かねばならない時代が来るだろう。しかし、同時にITやロボット技術がこれから多くの単純動労という雇用を破壊していく。世界に仕事を探しに行ったり、視野を広げて技術に淘汰されない仕事を身に着けたりする必要がある。

日本の持つ潜在力を活かせば、未来は必ずしも真っ暗ではないと思う。日本にはまだまだ巨大な内需がある。日本経済を内需と外需でわかれば、大まかに言って85%が内需、15%が外需である。国際舞台で戦う必要があるのは経済の6分の1ほどだ。

しかし、規制や利権やしがらみや慣習でがんじがらめのこの内需をときほどき、活用するために海外組の経験と知恵が必要になると思う。海外組は、日本の良さを外に出て相対的に認識できるようになり、空気を読みながら空気を断ち切り、海外で日本の良さと海外の多様性を融合させてイノベーションを起こせる可能性が大きい。海外の叡智や資本や人材を引っ張ってきて活用するにも海外組の存在意義は大きい。私は、世界に出ていき世界と戦い世界を知ったものが、今後の日本の内需を有効活用をやれば、日本にはまだまだ可能性はあると思う。内需の活用のためにも「国をさらに開くこと」が不可欠になってくると思うのだ。

日本の再生は、グローバル化された日本社会をやりくりするのは、世界に出たことのある人物が増えて行かないとできないと思う。国内しか知らない発想や視野の狭い人物だけでは無理だと思う。これからの世界そして日本で活躍できる人材が多く出てきてほしいと思う。これからの時代を担う日本人に「できるだけ早くできるだけたくさん世界に出て欲しい」のだ。

3つ目の理由は「しっかり“詰め込んで”から外に行け」と言いたいからだ。今「日本人よ世界に飛び出せ」という趣旨で書かれた本はたくさんある。しかし、この本も結論は同じだが、ひとつだけ脱出論を煽るような本との大きな相違点がある。それは「世界で戦える準備をした者だけが世界に出て何かを得られる」との思いだ。
ちょっと昔まで日本人は全くリスクを取らないと揶揄されていた日本人だが、今では新卒で簡単に起業したり、会社を辞めたり、ノマドを目指すとか、リスクを取る若者が増えているように思う。リスクを取らない保守性も危険だが、やたら考えす準備もせずリスクを取るのは、それはそれで危険な兆候だと思う。何でもかんでもリスクを取ればいいというものではない。“準備をしっかりした上で”リスクを取るのだ!内容がない人間がリスクを取ってもよりひどい状況に陥る可能性が高いと思う。

私は、外に出て初めて、日本の素晴らしさをより実感し、心の底から日本人であることのへの感謝の気持ちと、それに基づく健全な愛国心を持てた。そして日本にいてはみることのできない、素晴らしい世界や過酷な現実をたくさん経験することができた。世界の厳しさから大きさから暖かさまで感じることができた。一度きりの人生で、見ておくべきものはこの地球上にたくさんあると思う。

学生や若手社会人だけでなく、小さいお子さんをお持ちの親御さん、一仕事終えたシニア世代、に是非手に取って読んでいただきたい。できれば、これを手荷物に入れて、一緒に海を渡って頂ければ何よりもうれしく思う。