人類はずっと戦争を続けてきた

池田 信夫

いま社会科学と自然科学を横断して、大きな変化が起こっている。聖書に始まり、ルソーやマルクスやレヴィ=ストロースに至るまで偉大な思想家が信じてきた「人類は太古には平和で平等だった」という神話が否定されつつあるのだ。

今までにも紹介してきたように、これはNorth-Wallis-WeingastLeblancGatRosenthal-WongFukuyamaWilsonなどが一致して指摘する事実であり、その影響は生物学から政治学に至るまで幅広い。本書は、これを世界でもっとも有名な心理学者が実証データで詳細に分析したものだ。


40年前に人類学者が発見し、20年前に考古学者が提唱した「国家が戦争を生んだのではなく、その逆だ」という仮説は、本書で検証されたといってもいいだろう。この図は見にくい(クリックで拡大)が、最上段が先史時代の戦争による死亡率で、人口の最大60%にのぼる。最下段が現代で、第2次大戦の死者でも世界の人口の2%程度だ。

このように時代や文化圏によっても大きく違うが、近代以前の人類は平均して15~20%ぐらいが戦争で殺されていたと推定される。この比率は成年男子ではもっと高く、半数近くが戦死した社会も珍しくない。つまり数百年前まで、人間の最大の死因は殺人であり、われわれは史上もっとも平和な時代に生きていると著者は主張する。

暴力は人類の遺伝子に影響を与える。まず必要なのは、家族や親族に殺されないことだ。これは当たり前だと思うかも知れないが、第二次大戦でレイテ島で飢餓に直面した中内功(ダイエー創業者)は「戦争で一番こわかったのは、寝ているとき隣の同僚に殺されて食われることだった」という。この共食いを防ぐために生まれた心的メカニズムが、愛情である。それは子孫を殖やす装置でもあり、時代を超えて人間のもっとも強い感情だ。

しかし直接の愛情だけでは、大きな農耕社会で暴力を抑制するのはむずかしい。そのために生まれたのが信仰である。これは狭義の宗教である必要はなく、生まれたときから一つの観念を教え込むことによって、敵を憎み味方を愛する偏狭な利他主義の制度化である。それは自明の事実ではないので、繰り返し儀式や神話で人々の「暗黙知」になるまでたたきこまれる。

だから人類の最大の問題は戦争を防ぐことだった。国家はそのための制度だが、武器だけでは戦争を止められないので、ウェストファリア条約以後は、休戦ラインとしての国境ができた。しかし著者は、戦争を減らした決定的な要因は商取引だという。戦争はゼロサム・ゲームだが、取引では双方が利益を得ることができる。しかも植民地からの搾取より貿易による利益のほうが大きい――これを発見したことが20世紀後半の「長い平和」の原因だという。

人類の遺伝子には暴力的な衝動が埋め込まれているが、理性と経済がそれを抑制した、という本書のストーリーに経済学者は喜ぶだろうが、いささか疑問だ。類人猿は人類ほど獰猛ではないので、「攻撃本能」はそれほど強いとは思われない。むしろ武器の発見が戦争を誘発し、それを「最終兵器」としての核兵器が抑制した、というGatのシニカルな見方のほうが当たっているように思われる。

いずれにせよ遺伝学から経済学に至るアカデミズムの世界的権威が、ここ5年ぐらいの間に同じように戦争に注目しているのは、おそらく偶然ではないだろう。冷戦の終了とともに地域紛争がかえって増え、平和を維持するコストがいかに大きいかがわかってきたのではないか。そして核の均衡も永遠に続く保証はない。この点で理性を信頼する本書の結論は、楽観的に過ぎるように思われる。

来月からのアゴラ読書塾では、このように21世紀の科学的常識になろうとしているように見える「戦争する人間」をテーマにしたい。テキストは英語が多いが、内容は私が解説する。逐語的に読むのではなく、戦争という切り口で人間を考えるとどんなことが見えるかを、皆さんと一緒に考えたい。