地球温暖化とつきあいながら私たちは生きていける・書評「環境史から学ぶ地球温暖化」

アゴラ編集部

環境史から学ぶ地球温暖化
杉山大志著

エネルギーフォーラム

アゴラ研究所フェロー 石井孝明

GEPR版

温暖化を新視点の「歴史」で考察

地球温暖化問題は、原発事故以来の日本では、エネルギー政策の中で忘れられてしまったかのように見える。2008年から09年ごろの世界に広がった過剰な関心も一服している。ところが問題は何も解決していない。


鳩山由紀夫元首相の唱えた2020年までに1990年比25%削減、2050年までに80%削減という非現実的な削減目標を、日本政府はまだ正式に取り下げていない。新興国を中心に温室効果ガスの排出増は止まらない。

地球温暖化問題にどのように対応すればいいのか。そして一部の人があおるように、人類と地球は、温暖化によってひどい状態に陥ってしまうのだろうか。

こうした疑問に答えるために、環境史をひもといて、現代に役立つヒントを探ろうとしたのが『環境史から学ぶ地球温暖化』だ。

著者杉山大志氏は電力中央研究所上席研究員で、エネルギー政策・温暖化政策の研究者だ。その明晰で冷静な考察で、これまで日本のエネルギー政策の議論をリードしてきた人だ。また世界の温暖化の議論を主導するIPCC(国連・気候変動に関する政府間パネル)の報告書の主執筆者という要職も務めている。

今回は学術書ではなく、一般向けに環境が人間に与えた歴史をまとめたものだ。人と歴史をめぐる面白いエピソードがたくさんあり、歴史を環境や気候変動という新しい視点で見る楽しみを与えてくれる。歴史を観察すると、重要な問題が正確に分析されることなく、イメージで語られていることが多い。この本を読むと環境をめぐる「思い込み」の多さが分かる。

「日本は昔から緑の国」?

「日本は国土の7割が緑」「生態系を保持する水田」などと、日本の自然の豊かさ、そして日本人の自然愛好心を強調する言説が多い。ところが、こうした光景が生まれたのはここ20年に過ぎないという。

昔のエネルギー源と建設資材は木材であるため、原生林はほぼ切り尽くされ中世の日本では禿げ山が多かった。江戸期に一部で植林が行われたが、太平洋戦争末期の燃料不足で木を切り、また山は荒れた。昭和30年代に植林が行われ、林業が衰退する中で放置された。今の日本の山が木で覆われているのはその結果だ。また昔の水田は、かなり水はけが悪く、泥田(どろた)が多かった。今のように整然と区画が整理され、美しくなったのは昭和30年代の整地事業によるものという。

気温の変化は、温度計がないために正確には分からないものの、人間の歴史にある程度の影響を与えてきたらしい。気候は農業に影響を与える。日本で9世紀から12世紀の平安時代に比較的政権が安定したのは、当時のヨーロッパもそうであったように気候が温暖になり、農業生産が比較的安定していたことが一因のようだ。この時期に今は寒い東北で奥州藤原氏が栄えたのも、当時の気候が温暖であったことが影響しているのかもしれない。

日本でも世界でも自然礼賛の中で農業を過度に賛美する人が多い。ところが歴史を振り返れば、農業は人間による自然の改変、つまり灌漑、整地、農薬、品種改良によって生産を増やしてきた。

筆者は指摘する。「現在の先進国は途上国に押し付ける形で汚染を減らしている。しかしこれと同じことを途上国が際限なくできるわけがない。…結局のところ地球環境は悪化する」

「エコで素晴らしい江戸時代」?

江戸時代をリサイクルの工夫に満ち、「もったいない精神」にあふれた時代と美化する主張がある。ところが実態は、貧しさゆえに物の再利用を繰り返さなければならなかった時代だった。当時は都市部でも農村でも、飢えの恐怖の中で暮らしていた。当時の寿命は37歳だった。明治時代に広島で聞き取られた江戸時代の飢饉の様子を聞き取った記録が紹介されているが興味深い。

「里芋の皮をついて餅にして食べた。皮ばかりでない実のない屑込めを粉にひき餅にした。…畔(あぜ、田んぼの周辺道)に自生するユグサ、山の蕨(ワラビ)根、秋は槙(マキ、常緑樹)の実の団子、古いむしろ(使用後のもの、しかもふだん女性が座るところが、長時間使用後なので塩味が強くおいしかったそうである!)にヨモギを入れた団子、蕎(ソバ)の葉の餅、麦の穂、樫の実などを食べた」

この文章は飢饉の凄惨さを示すと同時に、当時の知恵も示す。江戸時代の幕藩体制は米で経済力を計る「米本位制」を、そのはじまりで採用した。その結果、米作に適さない寒い東北や火山灰に覆われた鹿児島を含めて、全国で米が作られてしまった。また江戸時代に進んだ貨幣経済の発展にこの経済体制は追いつかなかった。これは飢饉や各藩の財政悪化の一因となった。一方で庶民は多様な食料をつくって飢えに備えた。

食料生産でも、エネルギーの確保でも、不確実な未来に備えるためには「多様性」が必要なのだ。

地球環境は変わり続けてきた

温暖化問題を考える際に忘れられがちなのは、地球の気温は一定ではないし、また人類は環境を変えてきたという当たり前の事実だ。IPCCは2100年までに温室効果ガスの影響によって気温が上昇する可能性があると報告している。歴史を振り返り、また最新の科学的な知見を参照して、杉山氏は「地球温暖化とつきあいながら、私たちは生きていける」と述べている。

「日本人はかつて環境の変化に翻弄される弱い存在だったが、中世以降はむしろ環境を大きく作り変える強い存在となった。森を切り開き、川の流れを変え、海岸を埋め立てた。多様な外来生物を導入し品種改良に励んだ。…2100年までに3度程度の地球温暖化の影響であれば、このような人為的介入による環境変化の中に埋もれてしまうだろう。我々は十分に対応できる。過度に心配することはない」

もちろん杉山氏はCO2など温室効果ガスの増加による温暖化の可能性が大きいことを認め、その影響に気温上昇による悪影響を含めて、「不確実性」があると指摘している。しかし効果を考えずに大量の資金や労力を投じる現在の温暖化政策は批判的だ。

期待される政策への応用

そして環境史の研究の進化はこれまでの温暖化研究や政策に影響を与えるかもしれない。

杉山氏は第4次報告からIPCCの主要メンバーの一人だ。杉山氏はIPCCについて、科学的な知見を集め、温暖化に警鐘を鳴らしたことでは評価されるべきと、指摘する。一方で各国の人々の「私の住む地域ではどのような影響があるか」とか「対策をどうすればいいのか」という疑問には、詳細に応じてこなかったという。

環境史の研究によって、先人たちの気候変動への適応方法や、特定地域の気候変動を分析することで、温暖化問題が地球レベルの巨大なものから、自らの生活に直結する身近なものになるだろう。それは適切な対策に結びつく。

「環境で何か変化があるならば、それは人間が悪さをしたせいだと理解する傾向がある。…しかし実際には、とくに地域的に見ると自然は大きく変わり続けており、温暖化による影響はそれに付加的に加わるものである。両者の大小をよく見極めないと、どのように環境を守ったらよいのか、適切な方法が分からなくなる」

歴史から学び、冷静な温暖化とエネルギーの議論を

温暖化と言えば、「シロクマを救え」とか「地球が滅びる」式の感情論が先行してしまった。世界各国で、温暖化をめぐる過剰反応が繰り返され、日本の温暖化対策費は、他の目的との重複があるものの、国と地方自治体を合わせて3兆円を超えてしまう。

杉山氏は「地球温暖化問題の本質は不確実性のリスク管理である」と指摘する。のぞましいのは大規模な温室効果ガスの排出削減だが、今のところはその決め手となる技術はない。さらに京都議定書や現在の国際交渉では数値目標の策定で、まとまらない交渉が延々と続いている。決めることも、守ることもできない「数値目標」に注目した国際交渉を筆者は批判した上で、政策では次の考え方が妥当であると指摘している。

「なすべきことは、排出削減、適応、気候工学というポートフォリオを組んでそれぞれの役割を見極め、適切に資源を配分し、かつ温暖化対策と経済・安全保障のバランスをとることである」

残念ながら、こうした理性的な方向に、なかなか政策と研究の方向が向かない。福島原発事故の衝撃によって、日本ではエネルギー政策の混迷が続く。それは温暖化政策と表裏一体にあるのだが、そこでも冷静な議論が展開されていない。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という、使い古された、しかし忘れられがちな格言がある。この本を読みながら、この言葉を改めて噛み締めてみたい。