「全員一致」という建て前

池田 信夫

産経新聞によると、民主党の輿石幹事長は「全会一致が原則の自民党総務会を参考にした新たな意思決定のあり方」を検討するそうだ。自民党総務会は「村の寄り合い」の意思決定が現代に残っている例としてよく引き合いに出されるが、民主党まで「江戸時代」に戻ろうというのだろうか。


きのうの記事でも書いたように、日本の組織でものが決まらない一つの原因は、全員一致が原則になっていることだが、実際には政治的決定で全員の意見が一致することはほとんどない。決定できない場合は先送りされるが、それもできないで決まってしまった場合はどうするのだろうか?

山本七平は『日本人とユダヤ人』で、そういう場合の「日本教」の知恵を紹介している。それはルールを100%守る必要はないと考えるのだ。

たとえば個人情報保護法では、5000人以上の個人情報をもつ人は「個人情報取扱事業者」として役所に届け出る義務がある。年賀状ソフトのCD-ROMだけで4000万人分の個人情報を含むので、ほぼすべてのPCユーザーは個人情報保護法の規制対象になる。もし警察があなたの家を捜索してPCを押収したら、6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金を課せられることは確実だ。

しかしそういう事件は起こらない。なぜなら違反者が多すぎるので、すべて摘発したら大変なことになるからだ。今国会で改正された著作権法で、違法ダウンロードに刑事罰を課すのも同じだ。これを厳密に適用したら、クラウド・コンピューティングは「違法行為の幇助」になるおそれがあるので禁止せざるをえないが、実際には「悪質な事案しか摘発しない」と警察はいう。

つまり建て前としてはきびしい罰則を決めておいて、それを「お目こぼし」する裁量権を官僚や警察がもつことが彼らの権力の源泉なのだ。川島武宜によれば、これは明治憲法の時代からある慣習らしい。このように法律と生活実態が大きくかけ離れているから、まともに法律を守ろうとすると過剰コンプライアンスが起こって法務コストが莫大になる。

消費税の増税と一緒に決まる予定の「マイナンバー」(国民共通番号)は、こうしたルールの決め方・守り方について大きな問題を提起している。今夜10時からのニコ生アゴラでは、玉井克哉・鈴木正朝・八木晃二の各氏と一緒に共通番号と個人情報の問題を考える。