財政出動に関する普通の話 2

小幡 績

Keynesのメインの主張は、縮小均衡、あるいは不均衡が持続することがあり、それを打破することが重要である。失業は何より経済の一番の損失だ。だから、雇用を回復するために、その不均衡、縮小均衡をうごかし、そこからテクオフするために、何らかの外部の力が必要だ。ということだ。

そして、彼は、その外部の力として、政府の財政出動を提案した。それが第三のポイントだ。

だから、Keynesの財政出動の本意は前のエントリーの1の意味での財政出動にある。

この財政出動は、起爆剤としてのものだから、起爆させるには、大きなショックが必要である。

ショックにより何が変わるかというと、人々の将来に対する期待が変わるのである。

将来経済への期待が、プラス、経済は少なくとも今より良くなる、この泥沼のような、あるいはスパイラルのような下落の継続はもう止まる、ということを確信させることが重要なのであり、それは期待、予測の変化なのである。

だから、Keynesは期待を重要視しなかった、という批判は間違いなのだ。


経済主体の期待を変化させるのに必要なのが,起爆剤だが、それを財政出動でやるには、質と量とがある。

量はわかりやすい。政府がこれだけ財政出動すれば、明らかに、総需要は増える。総需要が増えれば、それが所得となり、個人はいくらかは消費するだろう。そうなれば、企業も投資を再開するし、生産が部品などの仕入れで生産の循環をもたらす。

これをいわゆる乗数効果と考えても良いが、一般理論における乗数効果については、議論が分かれるところなので、これも後で議論しよう。

ポイントだけ言っておくと、現在の初歩のマクロ経済学のテキストに載っているような乗数効果と解釈すると、流れが変わるということではなく、波及効果が多少あるので、政府支出が民間の消費、投資をある程度増加させることになり、経済は政府の支出以上に拡大する、ということだ。

一方、ケインズの相場師的な起爆剤として乗数効果を解釈すると、政府の支出が起爆剤となって、独自に自律的に民間経済主体も民間経済も動き始めるということだ。

これは、起爆剤の質の効果とも考えられる。

政府の動きが、それが量的に大きいから、ということでもいいし、流れが変わるまで政府がやりそうだという予測(期待)でもいいし、政府が動いたから、まわりのほかの(自分とは別の)民間経済主体も動くだろうから、自分も動こうとみんなが思うようになるか、いずれにせよ、将来の他人の行動に対する期待が変化し、自分の行動も変わる。

縮小均衡から、別の均衡に移る。よくある言葉で言えば、囚人のジレンマから脱却できるということだ。

これが、Keynesの一般理論の精神に最も忠実な財政出動がなぜ雇用を増大させ、経済を動かすか、ということの説明だ。

起爆するから、最初の起爆剤の政府の財政支出が無駄なモノ、穴を掘って埋める、ということでも構わない。十分、均衡が変化することにより、大きなゲインがあるから、元が取れる。

量の効果の方であると、政府の支出が無駄なモノであれば、元が取れない。いくら乗数効果があっても、その無駄を帳消しには出来ないのだ。だから、wise spendingという議論が出てくる。