財政出動に関する普通の話 3

小幡 績

池尾先生が、よりすぐれた解説をしてくださっているので、そちらを参照されると、これまでの普通の議論は、すっきりわかるだろう。

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Keynesの財政出動の本質は、1の起爆剤としての効果にあると述べてきた。

池尾解説の言葉を使えば、悪い均衡から良い均衡に移るための効果である。

さて、ここから、もう少し、さらに普通の話を続けよう。

しかし、現代においては、2-1の方、つまり、起爆剤ではなく、摩擦緩和の効果が重要である。

2-1 需要の補填だが、経済が構造変化に直面し、その際の失業などの摩擦問題を緩和するための需要補填

(先のエントリーより再掲)

Keynesが現代に生きていれば、別の形の財政政策を提言したかもしれない。


起爆剤としての財政出動を政策提言することの意義がなくなったのは、1つには、縮小均衡という危機はあまり起きていなかったからだ。

しかし、その例外が起きた。リーマンショックだった。

このときは、世界中の政府は財政出動をした。激しくした。

量的効果により、起爆剤としての機能を果たしたか。

その判断は実は微妙である。

理由はいくつかあり、第一には、金融政策もとことん行われたので、金融政策がメインで効果を持った可能性があること。第二には、現在、財政出動をしすぎたおかげで、別の意味での悪い均衡に陥ってしまっている可能性もあること。第三には、第二の議論と似ているが、大規模財政出動でも、結局良い均衡にはたどり着かなかったこと。

この第三の場合には、Krugmanの、もっととことんやらなきゃ駄目だ、という議論になるのであるが、それでもたどり着かない可能性がある。

なぜなら、民間経済主体の期待が変化しないといけないが、短期には、需要増で一息つくが、将来への見通しは何ら変わらないからだ。

このときの政策議論は、底割れ防止、と言う言葉が飛び交った。経済が底割れ、底抜け、してしまう、金融市場だけでなく、実体経済も崩壊してしまう、それを防止しよう、と言うことだった。

だから、効果はあった。それはさらに悪い均衡、あるいは不均衡スパイラルでとことん落ちていく、というシナリオを回避した。

しかし、それが良い均衡に移るまでは行かなかった。

と言う解釈ができる。

このときの良い均衡とは何か、というのが問題で、Krugman的には、リーマンショック前、と言うことだが、私の意見は、良い均衡とはバブルに過ぎず、それは逆の意味で、長期には持続可能でないと言う意味で、悪い均衡だった、という解釈だ。

そのときに、逆の意味で悪い均衡、あるいは過剰に良い均衡、これに戻すべきかどうか、という議論になる。

逆の意味で悪い均衡なら、なぜ戻すのか、というと、摩擦があるからである。

つまり、過剰に良い均衡においては、人々は、その枠組みで仕事をしていた。ホテルマンなら、東京のホテルは安すぎると言われ、外資系の超高級ホテルが参入し続け、日本の老舗ホテルは、これまで以上にサービスレベルを上げることを求められた。それは少数のお客にかなりのコストをかけて行うものだった。

金融関係者を中心に米国からの客が定宿とするから、それは必死に努力した。それが一番の収益を上げる方法だったし、サービスは、その観点からは大きく改善した。

しかし、彼らはいなくなった。

そして定常状態に戻さなければ行けないが、もう体制は変わってしまったし、箱も(ホテルの建物も設備も)超高級志向になってしまっている。

どうするか。

何とか補わないと行けない。

せっかく人的資本を積み上げたホテルマンはすべて首になり、別の仕事、単純労働をしなければいけなくなるかもしれないからだ。この人的資本が無駄になる。

だから、ある程度、需要を補って、少しずつ人的資本を修正するのを助けるということだ。これまでのものを生かしつつ、新しい環境に適応させる。

サプライサイドの調整、修正、改善を助けるために、起爆ではなく、補填の需要が役に立つことがある、ということだ。

これが、現代の変化の速い経済における、財政政策の役割の1つであり、本来は多くの政策がこれを目指している。実際に成功しているかどうかはともかく、労働を有効活用し、かつ人的資本を無駄にしないこと、そして、長期的に、新しい良い均衡に向かうように補助するということだ。

これは起爆剤とは違う。